それはいつしか鎖になって
アレンの部屋に向かう途中、王宮で保護されているミシェルと鉢合わせするかもしれないと思っていたリーリアだったが、特に何事もなく部屋に到着した。
「どうぞ、リーリア」
「失礼いたしますわ」
アレンが後ろで部屋の扉を閉める音を聞いてから、リーリアはアレンに問いかけた。
「アレン様、ミシェル嬢は今どちらに?」
「ミシェルなら今日は朝から出かけると言って、城にはいないよ」
「そうなんですのね。良いタイミングで来ることができて安心いたしましたわ」
「……君は僕の婚約者なのに、そのような思いをさせてしまって本当にすまない」
「いえ、気にしておりませんわ。それにしても、こうしてアレン様のお部屋を訪れたのはいつぶりでしょうか……内装も少し変えられたのですね」
リーリアは興味津々といった態度で壁に歩み寄り、自然な流れで部屋の中を観察し始めた。
アレンの部屋は、前よりも幾分か窮屈に感じる。それはおそらく、部屋の端に置かれた大きな本棚のせいだろう。
「アレン様は最近、読書をなさっておいでなのですか?……あら?これは、魔導書?」
「ああ、そうだよ」
「わたくしはこの文字は読めませんが、どんな事が書かれているのです?」
「……そうだね、それらは全て封印についての本だ」
「封印……?」
「実を言うと、君の封印について、ずっと調べているんだ。僕は魔導士ではないけれど、でも大切な婚約者である君に封印がかけられているだなんて、心配せずにはいられないだろう?」
「いえ、そんな……わたくしなんかの為に、アレン様の手を煩わせてしまって、申し訳ございません」
「リーリア、君は僕に恐縮する必要はないんだよ。僕たちは将来夫婦になるんだ。そうだろう?」
「は、はい……」
恐縮するなと言われても、幼い頃から王太子の婚約者として礼儀作法を叩き込まれてきたリーリアにとっては、かしこまるなという方が無理な話である。
しかし、アレンの中にある、何かのスイッチが入ってしまったのだろうか。そう思えるほどに、アレンの纏う空気にみるみるうちに影が入り込んでいく。
「ねえ、リーリア。リーリアは最近、僕と会っていない間に、どんな事をしていたの?」
「い、以前と変わりありませんわ。お屋敷の中で、ハンカチに刺繍などを……」
「そう。他には?」
「え、ええと……あっ!少し前ですが、妹のマリアと母と共に、街に行きましたわ。それで、マリアが屋敷の庭に植えるお花を選んだんですの。マリアにとっては初めての街へのお出かけで、それはもう大はしゃぎでしたわ。とても可愛らしくて……」
上手く誤魔化すはずが、途中から本当に妹への愛が爆発しかけていたが、リーリアはマリアの話をする事で、自分から話題を逸らすつもりであった。
「……そう、街に行ったんだね」
「はい、そうなんですの」
「実は僕も前にお忍びで街に出かけた事があって、その時に君を見かけたんだが……でもあれは、君じゃないかもしれないな。だって、あの子は町娘のような服装で、僕の知らない男と笑い合っていたからね」
リーリアの心臓が大きく音を立てた。リーリアは必死に平静を保つが、手は少しだけ震えてしまう。
(あの時誰かの視線を感じたけど、あれはアレン様だったの……!?まさかアレン様に、よりにもよってあのタイミングで見られてしまうなんて!)
リーリアは急いで微笑みを浮かべた。
「まあ、きっと、わたくしによく似た方だったのでしょう」
「そうだね。僕もそう思っているよ」
アレンは穏やかな笑顔でそう答えたが、突然手を顎に当てると、何やら考え込むような顔をした。
(……ア、アレン様は今、いったい何を考えていらっしゃるのかしら?)
リーリアが内心で冷や汗をかいていると、アレンが妙案を思いついた、とばかりに顔を上げ、こう言った。
「そうだ。リーリア、少しの間、君も王宮で暮らさないか?」
「…………え?」
「僕たちに足りないものは、共に過ごす時間だと思うんだ。離れている時間が長ければ、お互いを完全に信頼することは難しい。君も僕を頭から信じることは出来ない、そうだろう?」
「あ、あの、いったい何のお話ですか……?」
「いや、僕はずっと考えていたんだ。街で君にそっくりな人間を見かけた時、正直なところ、君が隠れて浮気をしているんじゃないかと疑ってしまったんだ。でも、君はそんなことしないよね?だったら、こうして僕が疑ってしまうのは、2人での時間が足りないせいに違いない、とね。それに、先ほど君も“会えなくて寂しかった”言っていただろう?」
「確かにそう申し上げましたが……家族と会えなくなるのも寂しいと言いますか……」
「そうだよね。でも、君は将来この城で王妃として生活することになるんだ。今から慣れておくことも大事じゃないか?」
「で、でも、ミシェル嬢もここに住んでいますし、わたくしが住むことで、ミシェル嬢の機嫌を損ねることになってしまうのでは?」
「大丈夫。ミシェルの行動範囲は狭いから、君の部屋を上の階にしておけば彼女にバレずに過ごせると思う。それに、最近はミシェルも出かける事が多くてね、僕もそこまで彼女に時間を割かなくて大丈夫なんだ」
「そうですか………」
ラウドといたところをアレンに見られている以上、ここで頑なに拒むことは出来ないリーリアは、完全に退路を絶たれてしまった。
「……では、お願いなのですが、マリーもここに置いていただけませんか?」
「ああ、もちろん構わないよ」
「ありがとうございます」
そこからアレンのペースでとんとん拍子に話が進み、なんとリーリアは明日から王宮で生活することになった。となれば、アレンの真意を探る暇のは今ではない。リーリアはアレンに荷物の用意をすると伝え、すぐにマリーと屋敷に帰った。
リーリアの両親は、その話を聞くなり、驚いて表情を曇らせた。
「確かにお前ももう16だし、そろそろ嫁入りしてもおかしくない年齢ではあるが、あまりにも急ではないか?」
「そうよ。リーリア、本当に大丈夫なの?お城にはあの男爵令嬢もいるんでしょう?もしアレン殿下がミシェル嬢と繋がっているとしたら、これは巧妙な罠かもしれないわ……!」
「落ち着いてください、お母様。王宮には人がたくさんいますし、マリーが付いてきてくれるのですから、大丈夫ですわ。それに、アレン様はミシェル嬢を嫌悪していらっしゃるご様子ですし……」
「ですがお嬢様。お嬢様が王宮で過ごされる間、魔導会との連絡はいかが致しますか?」
「そうね……今日中にラウドに手紙を書いて、事情を説明するわ。もしこれから伝えたい事があれば、その時は何とか言い訳を作って、あなたにウィーゼルへの伝言を頼むかもしれないわ」
「承知いたしました」
「だけど、逆となると、途端に難しくなるわ。魔導会がこっそり城に手紙を寄越したとしても、マリーとわたくしよりも前に、誰かの目に触れてしまうわね……でも、ラウドなら上手くやってくれると信じて、それに関しては魔導会に任せましょう。それも手紙に書いておくわ」
「そうですね、それがよろしいかと」
ベルモンドとリューネは心配そうな顔でリーリアとマリーが頷き合うのを見ていたが、もう引き留める様子はなかった。しかし、小さな可愛い1人はそうではなかった。
「おねえさま、このおうちからいなくなってしまうの……?」
「そうよ。でも大丈夫よ、マリア。お姉さまはね、マリアが思っているよりもずっと、ずっと強いのよ?」
「……でも、でも、マリアおねえさまとさよならしたくない」
マリアは目に涙をいっぱい溜めてリーリアを見つめる。リーリアは胸がぎゅうっと苦しくなった。やはり最愛の妹の辛そうな顔を見るのは、両親の寂しそうな顔をみる事の何倍も堪える。
「またすぐに会いに来るわ。永遠の別れではないのだから」
「……分かった。じゃあ、今日はおねえさまと一緒に寝てもいい?」
「……ええ、良いわよ」
リーリア自身、今生の別れではないと分かっているはずなのに、鼻の奥がツンとした。
リーリアは就寝前、ラウドに向けて手紙を書いていた。アレンに言われ、明日から王宮で過ごすこと、そして今後の連絡手段について、そして……
(『しばらくあなたに会えないのが寂しいわ』だなんて、またラウドに笑われてしまうかしら……)
迷った末、リーリアは正直に自分の想いを綴った。もしアレンの言うことが本当で、彼がミシェルの企みを無事阻止したなら、リーリアはそのまま永久に王宮暮らしになるかもしれない。
(……お礼を伝えるのは、まだ早いわよね)
リーリアはペンを置き、想いを込めるかのように手紙にゆっくりと封をした
(さあ、今夜はマリアと寝るんだったわよね)
明日から、婚約者と共に過ごす時間が増える。それは至極当然の事なのに、リーリアはこの時初めて王太子の婚約者という肩書を煩わしく思った。
(王太子殿下の婚約者が、好きな場所に外出する事もままならないなんて、前から分かっていた事じゃない……やはり、初めからアレン様はわたくしを裏切ってなどいなかったのかもしれないわ。だとしたら、あとはわたくしが以前と同様、アレン様の婚約を受け入れればいいだけ……)
自分の家のためならどんな事だってする、と意気込んでいた公爵令嬢の中に、願ってはいけないはずの夢が芽生えていた。
 




