立ち込める暗雲
二人のぎくしゃくした関係を除けば、お茶会はとても順調に進んでいた。
リーリアはテーブルを何回か移動し、その度にラウドはテーブルについている人間全員の魔力を目で測ることができた為、挨拶に来た分を含めると、来客の半数以上については、既に目視での査定が終了していた。
リーリアはラウドをちらりと見た。今も彼はさりげなく目を光らせており、客を見極めているようだ。
(……今日の目的はあくまで調査なのだから、冷静にならないと。先ほどまでのわたくしはどうかしていたわ。我ながら、随分と子供っぽい態度をとってしまったわね)
リーリアは頃合いを見計らい、今まで話していた令嬢達に別れを告げ、ラウドの元に歩いていくと小声で話しかけた。
「どう?何か怪しい兆候などはあったかしら?」
不機嫌さはすっかりどこかに消えて、いつもの調子を取り戻したリーリアに、ラウドは少しだけ面食らった様子だったが、彼もまた冷静だった。
「いや、今のところは特に異常ねえな。今のテーブルで令嬢はほぼ見終えたから、次は当主か子息だな」
「女性ではなく男性、ということね……」
「難しいか?」
「形だけは今も殿下の婚約者ですので、積極的に他の殿方に声をかけに行くのは厳しいけれど、庭の中央の方に軽食が出ているから、そちらを勧める体で会場を回るわ」
「分かった、助かるぜ」
リーリアが端の方で立ち話をしている集団に向かって歩き始めたその時、ラウドが小声で、されど鋭い声で彼女を制した。
「リーリア、待て」
「え?」
ラウドは静止したまま、睨みつけるような目で慎重に誰かを追っている。彼の視線の先にいる人物を見ると、40代ほどの青い髪の男性が悠々とどこかへ歩いていくのが見えた。リーリアは男性の髪色と服装から、その人物の名前を記憶の片隅から引っ張り出した。
「あれは……確か、ガイル伯爵ですわね」
「………。」
「ラウド?あの方に、何が気になる点が?」
ラウドはしばらく黙って伯爵を目で追っていたが、リーリアに向き直ると、厳しい表情で言った。
「俺は今からあいつを尾行してくる。だが、あいつは魔導会の中でも危険人物扱いだ。お前を近づけるわけにはいかねえ。だから一旦、マリーのところに居てくれ」
「わ、分かったわ」
ラウドが伯爵を追うのを確認して、リーリアは首を傾げた。
(ラウドがあんなに警戒心を剥き出しにするなんて、過去に何かあったのかしらね。それにしても、わたくしはガイル伯爵とはほとんど接点がなかったはずなのに、妙に見覚えがあるのは何故かしら……?)
1人になってしまったリーリアかマリーの元へ歩いていると、伯爵とは別の、若い男が目の前に立ち塞がった。
「お久しぶりですね、リーリア嬢」
「え、ええ……あの……」
リーリアはその栗色の髪の男に、全く見覚えがなかった。
「お気になさらず。覚えていなくても仕方がありません。何せ、随分幼い頃にお会いしましたので」
「そ、そうでしたの、申し訳ございませんわ」
「構いませんよ。改めまして、私はレイゼント、伯爵家の次男です」
「まあ、ガイル伯爵の……」
「ところで、リーリア嬢、本日は独り身の紳士淑女を集めておいでのようですが、リーリア嬢ご自身についてはどのようにお考えで?」
「……それは、アレン殿下との婚約のことを言っているのかしら?」
ずけずけとリーリアの婚約事情について探りを入れてくる伯爵家次男。リーリアの表情は、無意識のうちに険しいものへと変化していった。
「今のところ、わたくしとアレン殿下の間に婚約を破棄するような取り決めはございませんが、今後どうなるかは、お互いの意思によりますわね。ですから、現段階ではわたくしはアレン殿下の婚約者ですわ。それ以上でも以下でもございません」
リーリアがレイゼントの無礼を咎めるように軽く睨むと、レイゼントは胡散臭い笑みをさらに深めた。
「では、貴女は鳥籠に囚われたままの美しい小鳥であり続けると?」
「……何のことかしら?」
その言葉が何を意味するのか、リーリアには全く分からない。しかしその言葉に何やら不穏な空気を感じ取って、反射的にレイゼントから距離を取った。
「おや、そんなに怯えないでください。私は、貴女と取引がしたいのです」
レイゼントは仰々しくリーリアに向かって手を差し伸べた。
「私が貴女を自由にして差し上げましょう。その代わりに、貴女は魔導会のヴィンセントという男について、少し教えてくれませんか?」
聞き覚えのある名前に、リーリアは思わず肩を震わせた。
(この男、ヴィンセント様が魔導会にいることも、わたくしが魔導会と通じていることも知っているということ……?)
彼女はレイゼントの貼り付けたような笑みにぞくりと恐怖を感じて、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
「お断りさせていただきますわ。……それでは、失礼いたします」
リーリアは差し伸べられたままの手を無視してお辞儀をすると、足早にマリーの元へと去っていった。歩いている間にも、今聞いた言葉が頭の中を巡っている。
(伯爵は魔導会にとって危険人物だと言っていたけれど……あの次男も怪しすぎるわ。それに、鳥籠とか自由とか……あの次男はいったい、何を知っているというの?)
マリーは緊迫した表情でこちらに一直線に向かってきたリーリアを見て目を丸くした。
「お嬢様、どうなさいましたか?それに、ラウド……いえ、ラウシュは?」
「ラウシュは、ガイル伯爵を追いかけて行ったわ。伯爵は魔導会に危険人物認定をされているみたいで、わたくしはマリーのそばにいるようにと……でも、その後すぐに、レイゼントとかいう、伯爵家の次男がわたくしに声をかけてきたの。しかも、幼い頃に、お会いしたことがあるみたいだったの……」
「その伯爵家の次男に、何か言われたのですか?」
「わたくしとアレン殿下の婚約が今も続行されていると言ったら、わたくしのことを『鳥籠に囚われている小鳥』だと表現したわ。それに、ヴィンセント様について教えてほしい、と……」
それを聞いたマリーの顔は険しかった。マリーは眉間にしわを寄せたまま、口を開いた。
「ですが、幼い頃、と言いますと……社交界以外で、お嬢様がアレン殿下以外の男性の方と会う機会はなかったはずです。6歳のお誕生日にあんなことがあってから、お嬢様のお誕生会は公爵家だけで行っていますからね。もし会ったことがあるとしても、6歳のお誕生会か、それ以前かの二択ですが……」
リーリアは考え込んでいた際にふと、マリーが運んでいたワゴンに目を留めた。そこにはリーリアの好物であるマスカットのお菓子が載っていた。マスカットを食べ過ぎてしまった6歳の誕生会。それを連想していたリーリアは、ある可能性に思い当たった。
「ねえ、マリー。変なことを聞いて申し訳ないのだけど、6歳の誕生日にマリーにお手洗いまでの道を尋ねてきた少年がいたでしょう?」
「ええ、その子を案内した時に、お嬢様の元を離れてしまったのです……」
「その少年の髪の色を、覚えているかしら?」
「そうですね、確か、深みのある茶色だったと思います。……栗色、が一番適していますかね」
「今、栗色と言った?」
「はい」
リーリアは嫌な予感がした。
レイゼントの髪の色は、まさしく栗色であった。それによって連鎖的に思い出されたのは、リーリアが意識を失う直前の景色。あの男の髪色は、青色であった。
(ガイル伯爵の髪が青色で、伯爵の息子が栗色の髪、ですって?こんなの、偶然というには出来すぎているわ)
では、もしあの時の男がガイル伯爵だとしたら。
「……マリー、ラウドが危ないわ!」
「お嬢様!?お待ち下さい!」
ラウドの身に危険が及ぶかもしれない、そう考えた時,リーリアは無意識のうちに駆け出していた。




