第四章 其の九
誰も居なくなった教会で、康介は椅子に座りながら、掲げられたエレスト像を眺めていた。
両手を十字架に磔られたエレスト像は、康介を見下ろすばかりで、何も語ることはなった。
「さあ、私たちも早く帰りましょう」
呼ばれた方を振り返ると、コロナが立っていた。
「他の人たちは?」
「エルシールさんはライヤ神父を送って行ったわ。孤児院の方には真っ直ぐ帰るらしいわ」
「ジャックさんは?」
「ジャックは慣れないことをしたから、疲れたといっていたわ。宿に帰ったらすぐ寝るそうよ。明日の早朝には、街を発つらしいから。康介によろしくだって」
康介は、「そうか」と呟く。
早朝に出発するのであれば、きっと彼とはもう会うことはないだろう。少し寂しい気もしたが、もし縁があるのであれば、いずれドコかで再会することもあるだろう。
「私も、今日は相当疲れたわ。それにしても、よく考えたわね。あんなことを」
コロナは腕組みをしながら、うん、うんと頷く。微妙な態度に、褒めているのか、貶しているのかサッパリ分からない。
「もちろん感心しているのよ」
康介に凝視されていることに気がついたコロナは、弁解がましくいった。『感心している』とだけいわれても、やはり判断に困るわけだが、康介は肯定的な意味で捉えることにした。
「あれでよかったのかな?」
「今更、何いっているのよ。それに発案者は康介じゃない」
コロナは、煮え切らない康介の態度をぴしゃりと撥ね(はね)つけた。
――『発案者』。その言葉に康介は少しばかり自分の行いに後ろめたさを感じた。実際には康介は何もしていない。康介は発案をしただけであって、実行者はコロナ、ジャック、そしてエルシールの三人である。
では何の?
三人は一芝居を打ったのである。いうまでもなく、一芝居とは、あたかも神様が降臨したかのように見せ、ライヤ神父を立ち直らすというものである。
ライヤ神父は放心状態で、魂の抜け殻であったといっても過言ではなかった。今回の神隠しに関して言及すれば、少なくても彼には非はなかった筈である。グレーターデーモンに体を乗っ取られ、意思の自由を剥奪されたのにも関わらず、ライヤ神父は決して子供たちを傷つけるようなことはしなかった。彼は、鋼のような剛健な魂をもっていたといえる。
しかし、ライヤ神父の罪の意識は深みの極致に至っていた。
ライヤ神父が神による救済を求めていたのは明白であった。ライヤ神父を立ち直らすには、神による救済が必要であった。しかし、神は常に沈黙を保ったままであった。ならば、少なくても、本人にそのように思わせれば良いのである。
方法は簡単である。
先ず、エルシールがライヤ神父に話しかけて注意を引きつけている間に、ジャックが壇上にある祭壇の陰に隠れる。次に、コロナが光の魔術を最大出力で光らせ、ステンドガラスを通して教会内部をくまなく照らす。そして、エルシールが『神さま?』といって、証人に成りすます。最後にジャックが声色を使って神様のような真似をしたのである。
康介は、初めは気が引けた。いうまでもなく、この方法はライヤ神父を騙しているに外ならない。それ故、この考えが浮かんだ康介は、すぐさまいいだすことが出来なかった。神の名を偽ることに良心が燻る(くすぶる)抵抗を持ち、切り出すのに躊躇ったのである。
けれども、これ以上の最善の方法を見出すことが出来なかったのも事実である。だから、康介はこの芝居を皆に提案したのである。
康介と同様に、それを聞いたエルシールは神を演じることに難色を示した。『セレスタ家』で育ってきた、信心深いエルシールには無理からぬことであった。
ジャックは、可もなく不可もなくといった風体で、「もし、お前らが実行するというのであれば、俺は手伝うぜ」と述べた。
意見が分かれた三人は、残ったコロナの顔を見た。
コロナは腕組みをしながら暫くの間考えていたが、「いいわ、やりましょう。だって、このままじゃ神父さんが可哀想よ。彼を助けるな為なら、きっと神様も大目に見てくれるわ」と頷いた。
康介は、いかにもコロナらしい前向きな考え方だと思った。恐らく、康介が今回の案を提示していなくても、彼女であれば、何らかの方法でライヤ神父を励まそうとしたに違いない。
そして、秘密の企てが実行されるべき時が来た。秘密の企ての前には、緻密で入念な打ち合わせが行われた。どうやってエルシールはライヤ神父の注意を引きつけるか、どの時点でコロナは光の魔術を使うか、どのようなことをジャックはライヤ神父に語るべきか、などなど、仔細に渡るまで具に検討した。
何も出来ることがない康介は、固唾を呑みながら成り行きを見守っていた。自分に出来ることがないと悔やむ康介に、コロナは、「だったら、康介は神様にでもお祈りしておいて。上手くいきますように」といった。それは、落ち込みやすい康介の気質を見抜いた、コロナなりの親切であった。康介は首肯して、存在するかどうかすら分からない神に祈った。康介は、今日という程、神に、そして誰かの為に祈ったことはなかった。
初めは上手く行くように思われた秘密の企てに、焦燥感を持ったのは、ジャックの「汝の魂は、地獄にて永遠に灼熱の業火に包まれるであろう」という一言だ。
初めの打ち合わせでは、ジャックがそのようなことを言うことは予定されていなかった。恐らく、一番焦ったのはライヤ神父の隣に居たエルシールだろう。ライヤ神父を送っていく前、エルシールは康介たちに耳打ちした。「あのバカに、文句をいっておいて」。いうまでもなく、あのバカとは、蛇足をつけ加えたジャックのことだ。
ジャックは、「なに、アレぐらい大したことないだろう。実際にそのあと、上手くいっただろう?」と涼しい顔をした。さらにいえば、あの後のジャックの科白は殆どがアドリブだ。ジャックは、「お前たちが考えた安芝居には誰も感動しない。なに、俺は剣術以外に即興の文才もあるんだ」と、何故かコロナの方を見下しながらいった。コロナは、「アレぐらいわたしも出来るわよ」と、妙な対抗心を燃やしていた。薔薇色の髪を揺らしながら、そっぽを向いた。
康介は、今日一日に起きた様々な出来事を反芻していた。
教会の方から爆音が聞こえたとき、どうして居ても立ってもいられなくなったのか、自分でも良く分からなかった。グレーターデーモンに立ち向かっていくとき、どうして恐怖心が薄らいだかも分からない。
「康介?」
コロナは金色の瞳で、忘我している康介を覗き込んだ。
「どうしちゃったの?又黙り込んで」
「いや、何でもない」
そういって、康介は教会を出ようとしたとき、
「ご苦労さま。貴方もこれから大変でしょうけれども、決して諦めずに頑張ってね」
不思議な声がした。
男性とも女性とも、大人とも子供ともつかぬ声であった。それは、清流のように澄み切っており、それで且つ、陽光のような温かさがあった。
康介はコロナに尋ねた。
「コロナ、何かいった?」
「は?私は何もいっていないわよ。私も体力と魔力を消費しすぎて眠いけど、寝ぼけるにはまだ早いんじゃない?」
そういいながらも、コロナは大きな欠伸を一つする。
「そうか。コロナじゃないならいいや」と答えながらも、康介は釈然としなかった。声は非常に明瞭で、決して聞き間違えなどではなかったからだ。
「早く行くわよ」
後ろ髪を引かれている康介を、コロナは急かした。
セレスタ家では、帰りの遅い二人をきっと心配して待ってくれているだろう。
康介は、コロナのようにグレーターデーモンを倒したわけではなかったが、人生の中で、今日ほど『闘った』という充足感を味わったことはなかった。そして、『闘った』ことにより、肉体的にも精神的にも程よい、いや、少しばかり過剰の、心地よい疲労感に浸ったことも初めてであった。今日は、よい眠りが約束されていた。
康介も、大きな欠伸をした。ベッドが呼んでいるなと思った。
康介は教会を立ち去る前に、もう一度中を見回した。
壇上には、救済の神であるエレスト像と、慈愛を湛えたアリア像が、静かに佇んでいる。何一つ語らぬそれらは、それ故に、多くのことを語っているかのように感じた。
「おやすみなさい」
康介はそう小さく呟き、教会を後にした。




