第四章 其の七
「あ、貴方様は主なのですか?」
ライヤ神父も驚きの声を上げた。
「我は汝の懺悔を聞くために、此処に訪れた……」
太い応えに、ライヤ神父は畏れ入った様子で深々として平伏した。
「主よ。私は取り返しのつかない過ちを犯した罪人でです。どうか私をお裁きください」
「良かろう。では、汝の罪を此処に告白せよ」
「わ、私は……」
ライヤ神父の声は震えていた。下げ続けている額には、ふつふつと汗が滲み(にじみ)出ていた。意を決したように息を吸い込んだ。
「私は二つの大きな過ちを犯しました。一つは、無二の親友であった、デレンを殺しにしたことです。もう一つは、身体を悪魔に乗っ取られたとはいえ、子供たちを監禁し続けたことです」
「では、順次、汝の罪を述べよ」
そして、神父の懺悔がとうとうと語りだされた。
「私は、リュックブルセルクの領主の子として生を受けました。その頃、先代の領主、即ち父は、リュックブルセルクをより発展させるため、ここより北にあるリュックブルセルク鉱山の開発に力を入れていました。両親共にキリス教の家系に生まれた私は、乳飲み子の時分に洗礼を受けました。しかし、父はキリス教よりもリュックブルセルクの経済の方に熱心でした。いわゆる、形だけの信者でした」
「父と同じ立場に居る今の私であれば、無論父がどのような気持ちで任に当たっていたのかを理解できます。当時のリュックブルセルクは貧しく、大した施設もありませんでした。職にあぶれた男たちは昼間から酒に溺れ、生まれたばかりの子が溝に捨てられる有様でした。しかし、尊い教えを自ら説きながら、一度も教会に赴かないどころか大した信仰ももたず、何かに苛立ちを抱えているような父を見て、まだ幼かった私には、それがどうしても不合理のことのように思われたのです」
静謐が降りた教会内部には、ライヤ神父の声だけが響いていた。
「そのような父に私は反発を覚えました。まだ、若かったということもあるでしょう。十七歳の時、私は家を飛び出しました。しかし、家を飛び出したところで何かが変わるということはありませし、何よりも食い扶持に困りました。そこで、私は身分を偽って、父が経営するリュックブルセルク鉱山で働くことにしました。仮にリュックブルセルク鉱山で金脈でも掘り起こせば街も潤うので、実際に数年もしないうちに実現するのですが、私も微力ながらもそれに助力したいという思いがあったからでした。また、当時私は頭で物事を考えるよりも、体を動かした方が気を紛らわせたからです。比較的が体が良く、若かった私は、難なく鉱山で働くことが出来るようになりました。そこで、デレンに出会ったのです」
ライヤ神父の告白はとうとうと続いた。
「デレンは、私と同い年でありましたが、私よりも早く鉱夫として働いていた彼は、ツルハシの持ち方など、様々なコツを一から私に教えてくれました。デレンは鉱夫としてだけでなく、人間的にも優れている男でした。例えば、年上であろうとも、間違いを犯した者には、彼は一切臆することなく進言したものです。誰にでも分け隔てなく接するデレンの姿勢は、当時の仲間たちの信頼を勝ち得ており、私には到底真似出来ないものでした。私は、デレンの太陽に向かって花弁を広げる向日葵のような真直ぐな姿勢を今でも尊敬しています。しかし、デレンと私との幸福な時間は長くは続きませんでした。それは、悲劇とでも云うべき不可抗力の洪水の前に引き裂かれてしまったのです。いえ、それは私がもう少し注意をしていれば、避けられたかもしれません」
神はライヤ神父の告白を黙したまま聞いていた。
「今でも、覚えております。その日は、私が鉱山で働き始めて半年ばかり経った、朝から雨が絶えない日でした。私は霧のように細切れの雨に降られながら、その日も寄宿舎から仕事場である鉱山へと向かいました。雨にもかかわらず、私はデレンと意気揚々と鉱山の中に入っていきました。何故なら、僅かづつではありますが、金脈を当て始めている手応えがあったからでした。必ずや金脈が見つかるというのが、仲間内のでもっぱらの噂でした。だから、私もグレンも、普段以上に仕事に力が入っていたのです。それなのに、それなのに……、あの忌まわしい出来事が起こってしまったのです」
過去の嫌な記憶を思い出して感情が昂った(たかぶった)のか、ライヤ神父の皺枯れた表情に、より一層深い悲嘆が刻み込まれた。
「私とデレンはペアを組み、ある一角を掘っていました。私は握り拳程度の一塊の金を見つけ、デレンに見せました。デレンは、無邪気な喜びを見せました。『ライヤ、すごいじゃないか。これは今までに見つかった物の中で一番大きいに違いないよ』と子供のようにはしゃぐのです。その時でした。まるで獣の低い咆哮のように、坑道全体が震えたのです。落盤だと感ずきました。私とデレンは急いで、坑道を抜け出す必要がありました。しかし途中で、私はこけた拍子に、大事な金塊を溝に落としてしまったのでした。デレンの呼び止めにもかかわらず、私は金塊を取り出そうとしました。しかし、もう僅かなばかりのところで手が届きませんでした。それを見かねたデレンは、『金塊は僕が取ろう』というのです。私は、深く考えず、デレンに場所を譲ったのでした。しかし、デレンもなかなか手が届きませんでした。私は、少し離れた場所で彼を見守っていた。しかし、その時でした。再び、坑道内が大きく揺れたのです。頭上からは、岩盤が崩れてきて、そこで私は意識を手放しました」
若いエルシールは、現在の商業都市リュックブルセルクの繁栄が、かつての鉱山と工業の上に成り立っていることを知ってはいたが、これほど壮絶な危険を極めたものだとは予想だにしていなかった。
「目を覚ますと、私は寄宿舎のベットの上に寝かされていました。体を起こそうとすると、全身が鞭を打たれたように激しく痛むのです。辛うじて動かせる、首と目を駆使して見ますと、私の全身は包帯で包まれていました。そのとき、私は自分の身に何が起こったかはっきりと思い出しました。左右を見ますと、私と同様に体中を包帯で覆われた者達が横たわっていました。右の者などは、全身で荒い呼吸をしておりました。その時、私は、一緒に居た筈のデレンが居ないことに気がつきました」
「私は身を起こそうとしました。看護婦が駆け寄ってきて、『絶対安静にして下さい』と制止しました。私は、気が気でなりませんでした。看護婦に向かって、気が触れた者、いいえ、実際に私はあの時気が触れていたのでしょう、『デレン、デレンが居ない。デレンはどうしたんだ』と動揺を隠さず、狂ったように叫びました。壊れた人形のように叫ぶ私を見て、医者達が集まってきました。私は医者に気持ちだけは喰いかかりました。『私と一緒に若者が居た筈だ。背は私より少しばかり高く、肌の色はやや浅黒く、精悍な顔立ちの若者だ』」
「医者は気の毒そうな顔をして、『確かに君と一緒に若者が発見された。ただ、残念だったが……』と首を横に振るのです。私は俄か(にわか)には信じられませんでした。私はさらに叫びました。『嘘だ、嘘だ。デレンが死ぬ筈がない。お前は嘘をついているんだ』。医者は私を押さえつけ、『君、助かったことを神に感謝しなさい。確かに、ご友人のことは残念だったけれども、君は奇蹟的に全身の打撲と左腕の骨折だけで済んでいるんだ。安静にしていれば、一ヶ月もすれば完治するんだからね』と諭すのです。私が一ヶ月の負傷で、デレンが死亡?私はただ呆然としました。あの、誰にでも公平であったデレンが、どうして死ななければならないのでしょうか?もし死ななければならないとすれば、それは、金塊に目の眩んだ私の方です。私は運命の皮肉さを、そして神を憎みました」
それは運命という名の神に対する問いかけのようであった。
「数日ののちに、父が私を引き取りに来ました。負傷者および死者は身元を照合され、私も例に洩れなかったのです。無論、適当に誤魔化していい逃れる術もありましたが、デレンを失って放心状態にあった私には、全てに対して自棄になっていたのです。父親は私の胸倉をつかんでベットから引きずり出すと、『この、セレスタ家の面汚しめ』と激しく罵って、私の頬を力一杯に殴りました。床に殴り倒された私には、歯向かう気力も、いい返す気すら起こりませんでした。泉のように悲しみが胸の中に湧き出し、漠然とした気持ちで、ただ天臥してして天井の虚ろな明かりを見つめていました」
「それからのことは良く覚えていません。父は私を叱咤していたような気もしますが、定かではありません。私は自分の無能さと生き残ったことへの罪の意識が深かったのです。それから、私は馬車に担ぎこまれ、自宅へと戻ったのです」
時折、教会内部に吹き込む風が悲しみの声を上げていた。
「一週間ほど療養すると、左腕の骨折は未だ治らないものの打撲は退き、私は外出する許しを得ました。初めに私が向ったところは、デレンの家でした。場所はデレンから聞いていました。デレンの家は狭い路地裏を抜けたところにありました。母親はデレンの幼い頃に亡くなっており、彼は左足の不自由な父親と二人暮しでした。私は扉を叩きました。暫くすると、悄然とした男性が、むっとした臭いと共に、『どちら様でしょうか』と顔を出しました。私は、デレンと一緒に鉱山で働いていた者だと告げました。父親は私を家に上げてくれました。家の中は酷い有様でした。無造作に何本もの酒瓶が、床に転がっているのです。テーブルの上にも、口をつけている酒瓶が置かれていました。その時、父親が顔を出した時の異様な臭いが酒気だということに気がつきました」
「父親は、『倅が死んでしまってからというもの、ご覧の通り、この家は殺伐としてしまい……。実にお見苦しいかと思いますが、一体何の御用でしょうか?』と尋ねました。迷いましたが、私は真実を打ち明けることにしました。見つけた金塊を誤って落としてしまい、それを取ろうと手間取っている時に落盤に遭ったことを。私の話が聞き終るか終わらないかの中に、父親の顔は見る見る激昂に紅潮し、『お前か、お前が俺の息子を殺したのか』と声を荒げました。そして、デレンの父親はテーブルの上にあった酒瓶を私に投げました。酒瓶は私の額に当たり砕けました。額の切り口からは、血がたらたらと流れ落ちました。それでも、彼の怒りは収まることはありませんでした」
「『俺の息子は、この紙束程度の価値しかないのか』と叫び、戸棚の中にあった紙束を投げました。粉雪のように舞う紙束は、大量の紙幣でした。後で知ったことですが、事実を知った父は慰謝料として札束を握らしたのです。しまいには、右手で杖を振り上げて、『出て行け、出て行け。お前は疫病神だ。お前が息子を殺したんだ』と泣け叫びました。父親の涙を見て、私は、悲しんでいるのは自分だけでないことを悟りました。私は何度も謝りながら、その場を逃げ去るように立ち去りました。私に出来ることは、ただ謝ることだけだったのです。帰る途中で、傷口が熱を帯びたように何度も痛みました。それは、酒瓶を投げられて額を切ったからではありません。父親に『お前が殺したんだ』といわれたからでもありません。ただ泣き叫ぶ父親の姿が、瞼の裏に焼きついて離れなかったからです。そして、彼に対して何も出来ない自分の無力さが悔しかったからです」
嗚咽を漏らす神父の背中を、エルシールが優しく擦った。
「今でも私は、何故デレンの家に赴いたのか、不思議に思うときがあります。それは、許しを請うためでしょうか?それとも、悲しみを共有して二人で慰め合う為でしょうか?いいえ、違います。私は、友を失った自分を誰かに慰めて欲しいと思っていたのでしょう。真実を語る、誠実な青年を演じ、それを受け入れる証人を得ることによって、自分自身を正当化しようとしていたのです。私は、自分自身の愚かさに気がつきました。それからです。私がより一層、神による救済を求めたのは。私は、今まで以上に身を粉にして、神学を学ぶことにしました」
ライヤ神父は深い溜息をついた。




