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第四章 其の一

 康介は、リュックブルセルク大聖堂に向ってひたすら走っていた。

 普段ろくに運動をしていない康介は、半分も行かないうちに顎が上がり始めた。手足が重くなってきていたが、懸命に身体に鞭打った。


 しばらくすると、人集かりが見えてきた。

 「これは……」

 初めは野次馬かとも思ったが、どうやらその逆で、逃げ惑う人々であることが分かった。

 康介は、すれちがう男をつかまえた。

 「一体どうしたんだ?」

 「それがよ、突然何かの轟く(とどろく)声がしたかと思うと、地震みたいに家が揺れたんだ。これは、ただ事じゃないと思って飛び出したら、夜空が赤々と燃えてやがる。びっくりしていると、そこへ大聖堂に魔物が出たって話だ。だからこうして逃げてるんだ。もう、街中じゃ大パニックだぞ。家が焼けるは、恐ろしい魔物がうようよ徘徊するわ。悪いことはいわねぇ、お前さんも早く逃げることだ」

 男は、康介に忠告すると足早に立ち去った。


 康介は、改めて事の大きさを認識した。自分が垣間見た映像は推測から確信に変わった。

 康介は人波に逆らって、間を縫うように走った。次第に人々の叫喚と建物が焼ける臭気が増していく。


 建物の角に差し掛かったときである。

 康介は突然何かの強い力で、石畳の上に押し倒された。

 天臥する鼻先には、以前路地裏で襲われた異形の『黒い獣』のおぞましく歪んだ顔があった。康介は、はっと息を呑み、すぐさま乗り掛かるそれから逃れようとする。

 しかし、康介の動作よりも早く、『黒い獣』は鋭い尖った白い牙を剥いた。

 「ああ、もう駄目だ」、と目を瞑る。しかし、しばらくたっても痛みは無かった。

 顔面が噛み砕かれる音にかわり、ずどんと巨体が地面に倒れる鈍い音がした。体が軽くなる。

 康介は、恐る恐る目を開けると、地面に横たわる首が刎ねられた『黒い獣』と、自分を睨み見下ろすジャックの姿があった。


 「こんなところで、お前は何をやっている!」

 飛んできたのはジャックの罵倒であった。

 「もし、俺が通り掛からなければ、間違いなくお前は死んでいたんだぞ!」

 ジャックは、「お前のような何も出来ないやつは、すぐにココから立ち去れ」、と暗にいっているのだった。


 しかし、今回ばかりは康介も引き下がる訳にはいかなかった。

 尻餅をついた体勢から立ち上がると、康介は、芯が一本入れられたように背筋を張った。視線を逸らすことなく、ジャックを見据え、きっぱりと断言する。

 「今から、リュックブルセルク大聖堂に向います」

 「なに?」

 すぐさま康介が譲歩するとばかり思っていたジャックは、この答えに虚を突かれた。

 「お前、自分で何をいっているのか分かっているのか?」

 「何度でもいいます。これからリュックブルセルク大聖堂に向います」

 聞き分けの悪い子供を相手にしているかのように、ジャックの眼光に怒りの色が満ち潮の如く押し寄せてきた。鋭い眼は、猛禽類もうきんるいのそれで、口答えなど一切許さぬと物語っていた。

 如何なる言葉より雄弁に語るジャックの眼を相手に、康介の眼が引けを取ることはなかった。いつしか、身体全体に力が入り緊張していた。しかし、裏を返せば、気持ちの上ではジャックに後れを取らないことであった。


 寸分の睨み合いが続いた。ジャックは、このとき初めて康介のことを、「以前出会った時に比べて随分雰囲気が変わった」と思った。また、「どこかで見た目だ」とも思った。

 ジャックは康介にいった。

 「だったら、護身用にコレを持って行け」

 康介が渡されたのは、刃渡りが三十センチ程度の短剣だった。短剣を鞘から抜いてみると、白刃に月光に照らされた自分の顔が映った。意匠などは一切施されていない簡素な作りだが、その分軽く康介にも扱いやすそうであった。

 「見たとおり、ただの短剣だ。ただし、普通の剣に劣らぬ切れ味は保証する」

 「ありがとう」

 ジャックの勧めに、康介は礼を述べた。


 「ジャックさん、貴方はこれからどうする積りですか?出来れば、貴方の力を貸していただきたいのですが?」

 「ん?」

 康介は手短に説明した。エルシールたちが神隠しの正体に目星をつけたこと。コロナが恐らくそれと闘っているだろうということ。そして、リュックブルセルク大聖堂がそこであろうということ。

 「なるほど、納得がいった。しかし、それなら尚更、お前は家に戻れといいたいがな」

 「危険なのは十分承知です。自分でも役に立つかどうかも分かりません。でも、少しでもコロナの力になりたいのです」

 「少しでも力になりたい」か、とジャックは康介の言葉を反芻はんすうした。きっと、多くのヒトはそれを、無謀や無茶だと云う一言で片付けて嘲笑うだろう。しかし、ジャックは到底それを笑うことが出来なかった。ジャックにも、若い頃に似たような経験が一つや二つはあったからだ。それでようやく、先程感じた既知感の理由に気がついた。若い頃の自分を見ていたのだと。


 「いいだろう。しかし、自分でいいだしたことだ。何が起きても自分で責任を取らなくてはならないぞ」

 「分かっています」

 「俺は、もう暫くこの辺りを周回する。大きな異常がないと判断でき次第、リュックブルセルク大聖堂に向う。命だけは粗末にするなよ」

 「はい」

 凛然と答える康介。


 ジャックは走り去る康介の背中を見ながら、「彼の者に武運を」と小さく呟いた。

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