第二章 其の十四
夜が更けた頃、エルシールが帰って来た。
エルシールに召集されて、当事者である、康介、コロナ、カミーユ、そしてクレスタらの一同が食堂に会していた。他の子供たちは既に就寝している。
まず、初めにコロンとカミーユが互いの話を補いながら、件のあらましを説明した。
淡々と続く二人の説明に、エルシールは時折うなずき相槌を打つばかりで、口を引き結んだままであった。その表情には、普段見せる朗らかさは微塵もなく、柳眉を逆立てた険しさだけがあった。疲弊とも、落胆とも、狼狽とも、憤怒ともつかぬ鉄面皮に、彼女の感情を推し測ることは容易ならざらなかった。しかし、胸中は決して穏やかなものではないことは察せられた。
それも無理からぬ話であった。
一人目の被害者であるターニャが出た時点で、この孤児院を支える者として、エルシールの心労は並々ならぬものがあった。それでも、彼女は子供たちの前では努めて明るく振る舞っていた。「弱気の虫に食われた終りだ。そうすれば、子供たちにまで伝染してしまうに違いない」と、自分に重ねていい聞かせきた。それは、子供たちを束ねる長として、エルシールが自らに課した誓約であり義務でもあった。
子供たちも気丈に振る舞う姉の姿を見て察したのか、心配の様子を見せるものの、食が通らなくなるなど酷く取り乱す者はいなかった。しかし、エルシールが今にして思えば、それは子供たちなりの姉に対する気遣いであった。
――もっと早くに気が附いてやるべきであった。
――妹のターニャがさらわれた時点で、サーニャの暴発をもっと考慮すべきであった。
エルシールの胸を締め上げるのは、一種の自責の念だ。
しかし、自分にだけでなく、目の前のクレスタとさらわれたサーニャにも憤りを覚えるのも事実であった。なぜ、そこまで思いつめるのであれば、前もって相談をしてくれなかったのかと。
ややちぐはぐながらも、コロンとクレスタは事の顛末を話し終えた。
「その手紙というのは?」
エルシールは、話の途中で出てきたターニャの手紙を求めた。
クレスタが、二つ折りにしたそれをエルシールに手渡した。
エルシールが苦渋に満ちた顔で、黙したまま手紙に目を通す。
――ターニャがいなくなってから、もう一ヶ月が過ぎています。だけど、手掛かりはありません。エルシールお姉ちゃんが、頑張って捜してくれているのは知っています。だけど、ターニャはきっと心細い思いをしているはずです。だから、私はターニャを捜しに行きたいと思います。また、ターニャの居場所を皆に知らせる良い考えがあります。
だから、きっと、この手紙を読んでいる頃には、皆に一杯の心配を掛けた後だと思います。ごめんなさい。でも、私にはこの方法しか思いつきませんでした。クレスタには私が無理を云って手伝ってもらったので、どうかクレスタのことは叱らないで下さい。
皆に愛を込めて、サーニャ=セレスタ。
読み終えたエルシールは手紙を握り潰すと、クレスタに向かって声を荒げた。
「バカ、あんた何考えているのよ!」
「だって、今のままじゃ何も解決できていないじゃないか。他にどうしろっていうのよ?」
その言葉を聞くや否や、エルシールは憤怒の形相を露わにして手を上げた。
打たれることを覚悟して、クレスタは肩を縮めて目をつむった。
エルシールは、クレスタの肩が小さく打ち震えているのに気がついた。唇をぎゅっと噛み締め、一言も発しないまま強く手を握り締めていた。握りこぶしと堪える涙が痛々しかった。
エルシールにはクレスタを打つことが出来なかった。静かに振り上げた右手を下ろすと、「もう、夜も遅いから貴方は寝なさい」、と乾いた言葉を投げた。
クレスタは項垂れたまま、無言で自室に引き下がる。部屋を出て行く前に、振り返り、
「お姉ちゃん、サーニャは目印を残しているはずだから」
「目印?」
エルシールは怪訝な顔した。
「ええ。適当な間隔でガラス球を落としてくれているはずよ。だから、ガラス球を辿って行けば、必ず『神隠し』の正体に行き着くはず」
そういうと、「お休みなさい」との言葉を残して、クレスタは部屋を後にした。
エルシールは溜息を吐きながら、椅子に腰を下ろした。
暫くの間、沈黙だけが部屋を支配した。
「ダメね。あの子の気持ちにも気がつかず、ついかっとなって打とうとしたんだから」
エルシールは、深い失意のうちに苦々しく呟く。
「ここの子たちは皆、心のどこかで寂しさを抱えている。だから、一番の年長者として私があの子たちの支えにならないと思っていたのだけれども、やっぱり私には母親代わりなんて出来ないんだわ」
先程のクレスタの様相を見て、康介は、エルシールが思う母親像にズレがある気がした。
「それは違うような気がします。何て云うか、上手く云えないんですけど、別にエルシールさんはわざわざ母親代わりにならなくてもいいんだと思います」
康介の一言に、エルシールはうつむけていた面を上げた。
「その、やっぱり上手くいえないんですけど、クレスタにしろ、メイちゃんにしろ、エルシールさんの中に求めているのは、母親像ではなくて頼れる姉としての存在だと思います。もし、エルシールさんのことを母親だと思っているのいるのだったら、クレスタもさっきみたいに本気になって向かってくることもないと思います」
「そう、そうかも知れないわね……」
康介は思うがままのことをいった。その言葉は、的確な言葉とは云えなかったが、エルシールには康介の意味することが理解できた。
エルシールは、「自分は大変な思い違いをしていたのかも知れない」と考えた。きっと、もっと自分から寄り添ってやらなくてはならなかったのだと。クレスタに必要だったのは、断じて上から見た保護者気取りやつまらない遠慮などではなく、気さくに話を聞き、時としては真っ向からぶつかり合うことだと。
エルシールの思いつめた表情は、まるで憑き物が落ちたようなそれへと和らぐ。考えを噛み締めるように、エルシールは暫く沈思にふけった。
柔らかさを取り戻すエルシールに胸を撫で下ろすと共に、康介たちは彼女の気持ちの整理がつくまで待った。
「有難う、少し落ち着いたわ」
そういうエルシールの顔色は随分良くなっていた。
「もっとも、まさか身内から陥落させられるとは思ってもみなかったけど」
「ごめんなさい。私がもう少し気をつけていれば」
「カミーユ、貴方は謝らなくても良いわよ。二人の変化に気がつかなかったのは、私も同じだから」
「さて」といいながら、エルシールは姿勢を正した。残りの三人も身が引き締まる。
「済んでしまったことを、くよくよしても仕方がない。それより、善後策を練ることの方がよっぽど重要だからね」
エルシールは、改めて康介たち三人を見渡した。
既に今のエルシールは、孤児院の最年長者としてではなく、リュックブルセルク自警団隊長のエルシール=セレスタであった。気持ちの切り替えは完全についているようであった。
コロナがエルシールに尋ねた。
「クレスタが云っていたガラス珠というのは?」
「サーニャとターニャは、昔から小物の蒐集が趣味なの。とりわけ、色とりどりのガラス珠は二人のお気に入り。恐らく、そのガラス珠のことだと思う」
成る程と康介は納得した。サーニャはガラス珠を隠し持ってわざと捕まり、適当に落として行っているのだろう。だとすれば、確かにガラス珠を辿って行けば、『神隠し』の主犯を探し出せる筈だ。
「私にも、手伝わせてくれないかしら」
名乗りを上げたのはコロナであった。
「ダメよ、部外者の手を煩わすことなど出来ない。それに、まだ子供の貴方を危険な目に遭わせる訳にはいかない」
泰然とした様子でエルシールが首を横に振った。負けず嫌いな性格からして、コロナが助力を申し込んで来るであろうことは、織り込み済みのようだった。
「そんなの不公平よ。『神隠し』の件は、公に賞金だってかけてるでしょ?だったら、年齢なんて関係ないはずだわ。それに、サーニャがさらわれたのは、彼女の変化を見落としていた私にだって責任があるわ」
「たとえそうであったとしても、危険な目に遭うのには変わりない」
「大丈夫。魔術の腕は一流よ。それに私は剣や武術にだって精通している。そのことは、酒場で見て知っているでしょう?そして何よりも、皆に心配を掛けたバカな子に一度きつく云ってやらないと腹の虫が治まらないわ」
コロナは鼻を鳴らした。
エルシールは逡巡したが、最後は折れた。
「分かったわ、特別に許可しましょう。今は一人でも多くの協力者が必要なことは確かだら。ただし、誰かさんみたいな一人で突っ走った行動は許さないから」
「ええ、もちろん心得ているわ」
「もう遅いし、今日はもう寝ましょう」とエルシールが話を切り上げる。
ぞろぞろと引き上げようとする皆を見て、康介は、
「俺にも手伝わさせてくれないか?」
この申し出には、三人とも驚がくした。しかし、すぐさまエルシールは険しい表情をして、「ダメよ」と有無をいわせずに断じた。
「康介君、貴方は残りなさい」
「どうしてですか?」
康介は、ようやくのことで震える声を絞り出した。
「康介、貴方には向かないわ。貴方は自分で自分の身を護る術を持っていないでしょう」
康介には、コロナの柔らかな拒絶が、「貴方は足手まといになるから」と暗に云っているように聞こえた。無論それは、康介の否定的な考えに過ぎなかった。
「別に康介君が嫌いだかそういっているのじゃないのよ。ただ貴方には向かないだけ。貴方の気持ちだけで十分よ。それに子供たちの世話をすることも立派な務めよ」
曇る康介の気持ちを汲み取って、エルシールは優しく云った。
康介とて、コロンやエルシールのなだめが分からないはずがない。むしろ、自分を気遣ってのことだと痛いほど分かる。
「分かった。じゃあ、そうするよ」
うつむき加減ながら、康介は首肯する。
かくして、四人は各々の部屋に戻った。
康介は床に潜り込みながらも、しばらく寝つけずにいた。背後からは、コロンの穏やかな寝息が規則的に聞こえて来る。
康介は窓の外に目を遣った。雨擦れの音が響いていた。
――まだ、雨が降っているのか。明日は、晴れるといいのだが……
断続的な雨音は、康介の熱くなった頭を急速に冷やすようであった。
――自分で自分の身を護る術を持っていない。
――私たちは貴方の気持ちだけで十分よ。
康介は、先程のコロンやエルシールの言葉を無意識に反芻する。
頭ではコロンやエルシールの云うことを理解していたが、康介の胸底には、ある種の惨めさが澱のように溜まったのも事実であった。
(第二章 了)




