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第二章 其の十三

 康介たちが孤児院に戻ると、カミーユは既に帰宅していた。

 カミーユは門前で康介たちを出迎えた。

 「私、居ても立ってもいられなくて」

 カミーユはそう云うと、康介の後ろに隠れるようにしていたクレスタを認めた。そして、サーニャが居ないことにも当然気が附いた。

 意味することを悟ると、カミーユは顔面を掌で覆い、深い溜息を吐いた。

 「そうですか……。あの子せっかちで、何時も一人で先走っちゃうのですよ。あの子、本当に莫迦な子」


 暫しの間、沈黙があった。

 康介は何と声を掛ければ好いのか分からず、カミーユを見守ることしか出来なかった。

 カミーユはもう一度深い溜息を吐くと、面を上げて、何時もの微笑を湛えた。康介には、其の笑みには何時も見せる笑みの半分しか活気がなく、彼女は気丈に振る舞っているように思われた。しかし、康介は其の考えをすぐに打ち消した。

 カミーユは康介たちに深々と頭を垂れた。

 「お二人には、本当にご迷惑を掛けました。あの子が帰り次第、私からきつく云っときます。お二人には謝りに行かせます」

 カミーユは気丈に振る舞っているのではなく、何処までも気丈であった。彼女は、サーニャの無事を、いやきっとターニャの無事をも信じ抜いていた。それは、血の繋がりを越えた、家族の絆から生じていた。彼女にとって家族とは、一緒に過ごした時間の重さに由来する信頼を置ける人間関係の証であった。だから、仮令どれだけ空間的や時間的に離れていようとも、心は何時も繋がっていると考えていた。


 カミーユは、俯いているクレスタの手をとると、引き寄せて、ぎゅっと抱擁した。

 「貴方も莫迦よ」

 クレスタはカミーユの体に身を委ねる。

 「ごめんなさい、お姉ちゃん……」

 クレスタは、それだけ呟いた。

 康介には、堅い甲羅を被ったようなクレスタが、一瞬だけ本音を垣間見せたような気がした。皆に心配を掛けるのを承知で、そして其れに対して心の中で謝っていたのだと。


 しかし、クレスタはカミーユの腕を振り解くと、そっと押し返した。

 「でも、お姉ちゃん、私たちは間違ったことをしたとは思っていないの。きっと、『神隠し』の正体を暴いて見せるわ」

 強気に云い切ると、無言のまま玄関へと向う。

 困惑したカミーユは、「待ちなさい、クレスタ」、と呼び止めたが、クレスタは、「御免なさい。疲れたから少し休まして。エルシールお姉ちゃんが帰ってきたらきちんと説明するわ」、と云って、すごすごと家に入った。

 クレスタは家に上がると、玄関の真横にある階段を上り、自室に向った。食卓など外には目も向けなかった。見た目以上に心労が激しいのだろう。


 康介たちが帰ってきたことを察知して、メイたち下の子らが慌しく食卓からやって来た。

 「クレスタ、お姉ちゃん……」

 不安そうな瞳を揺らしながら、一番にやって来たのはメイだった。

 「サーニャお姉ちゃんは……」

 「あのね、サーニャは……」

 カミーユは、何と云って好いのか咄嗟に浮かばず、言葉を濁した。途切れた言葉を、コロナが大袈裟に拾った。

 「凄いわよ!サーニャはね、この事件を解決するために、今敵のアジトに潜入しているのよ。もうすぐ、敵のアジトをエルシールさんに知らせる手筈になっているのよ」

 「え、本当?ターニャお姉ちゃんも帰ってくる?」

 「二人ともすぐに帰ってくるわよ。だから、そんな泣きそうな顔しない。泣いたら、二人に笑われちゃうわよ」

 コロナはそう云って、今にも泣きそうなメイの頬を抓った。縦、縦、横、横、そしてグリグリと柔らかな頬を引っ張った。

 「痛い」

 「ゴメン。でも、情けない顔していたら、二人が帰ってきたときに笑われちゃうわよ?」

 「メイ、泣いてなんていないもん」

 メイは、風船みたいに頬を膨らませ、その後クスクスと笑った。


 メイが安心しきった表情を浮かべるのを見て、コロナは少し心が締め付けられた。それでも、時として嘘が必要な時もあると自分に云いきかした。

 メイが走って他の子供たちの元へ走って行くのを見て、カミーユは、「ありがとう、コロナさん」、と礼を述べた。

 コロナは、「お互いさまよ」、と云って、カミーユを励ました。

 かくして、康介たち三人は、重い足取りながら家の中へ入った。


――――


 エルシールの帰宅まで暫く時間を持て余した康介は、寝室で時間を潰すことにした。

 ベッドの上に腰をかけ、窓越しに雨音が絶えない通りをぼんやりと眺めていた。石畳を打つ太い雨は、まるで心まで穿つようであった。


 康介は隣のコロナの様子を盗み見た。

 同じくコロナも手持ち無沙汰のようで、ベッドの上に薔薇色の髪を乱しながら天臥して、手を天井の灯に翳していた。

 サーニャが連れ攫われたことが二人に間に重苦しい空気を垂れ込ます。口喧嘩が絶えず、コロナの減らず口が少しでも止んでくれないかと願っていた康介だが、こうして同じ時間、同じ空間を共有しているにもかかわらず会話の一つもないことは、逆に息苦しさに加えて寂寥感を齎した。


 康介は我慢しきれずに、会話の糸口を適当に作った。

 「なあ、今回の『神隠し』の犯人なんだけど」

 『神隠し』と云う単語に反応し、コロナはむっくりと起き上がった。

 「ジャックさんは『魔術師』が関与しているかもしれないって……」

 康介は何を期待してでもなく、只会話が欲しかった。

 「確かに、『魔術師』が関与している可能性があるわね……」

 「コロナだったら、魔術とか詳しそうだから何か分かるんじゃないのか?」


 何気なく突いた言葉は、無意識の内にコロナと黒幕の魔術師を一括りにしていた。

 コロナは何処か憎々しげに云った。

 「わたしだって云いたくないけれども、魔術師全員が善人とは限らないのよ。特に先程のような使い魔を見せられれば、誰だって黒幕に魔術師を思い浮かべるわ」

 「ゴメン、別に他意があったわけじゃないんだ」

 「別に謝らなくても良いわ。私だって慣れっこだから。ところで、康介、魔術を使う上で一難重要なことって何だと思う?」


 尋ねていた積りが逆に質問を投げ返されて、康介は戸惑った。見当もつかない。

 腕組みをして考える康介に、コロナは時間切れとばかり話を進めた。

 「魔術はね、血が一番重要なのよ。即ち血統、遺伝ね。一部の魔術を除いて、生まれた時点で魔術が扱えるか、扱えないかが決まるわ」

 「じゃあ、コロナも?」

 「ええ。私の一族はウルギスト族といって有名な血族よ」

 『ウルギスト族』と云う単語に、康介は聞き覚えがあった。質屋に行った帰り際に、店主が漏らしていた言葉だ。たしか、コロナは嫌がっていた筈だ。

 「まあ、私のことなんて今はどうでも好いわね……。で、今回の『神隠し』の主犯についてだけど、現時点では情報量が少なすぎて何とも云えない。一体どんな魔術師なのか、どんな魔術に長けているのかなど、予想も出来ないわ。只、使い魔を見る限りはそれなりの高等魔術を使えると思う。そもそも、康介が見た『黒い獣』というのは恐らく忌族の一種ね」

 「忌族?」

 「ええ、魔獣の中には魔術師との契約に応じて召喚されるモノがいるのよ。そう云った族種を一般的には忌族と呼ぶわ。例えば、デーモン族が有名かしら。其れら忌族は普通契約に応じないから、其れらを使役できると云うことはそれなりに有能な魔術師と云えるわね」

 おどろおどろしい響きに、聞いているだけで康介は頭が痛くなった。


 「聞いていいかな。コロンナ魔術師として腕はどうなの?」

 コロナは、肩を竦めながら深い溜息を吐いた。

 「ウルギスト族は、例外なく生まれて時点で魔術を扱える能力が賦与されているの。だから、時として忌み嫌われる一族。そして、炎の魔術を扱うと云うことに関して云えば、右に出る者がいないぐらい長けている一族よ。本当かどうか知らないけれども、生後三日の赤子が山を一つ焼いたと云う言い伝承があるくらいよ。私も間違いなく魔術を扱うと云う観点からは、一流だと自負するわ」


 そこでコロンは一旦区切ってから、「だけど、」と語を繋ぐ。

 「魔術が扱えることが、すぐさま魔術を使えることには直結しないの。此処が難しいところ。例えば、薪を思い浮かべて欲しいわ。薪は燃やすことが出来るけど、それ自体が自然に燃え上がることは決してないわ。薪を燃やすためにはマッチの火が必要でしょう?其れと同じで、魔術を使うためには、魔術を扱える能力以外にも、魔術を使うための素、つまり魔力が必要になるの。だけど、ウルギスト族は、一度に備蓄できる魔力が少ない者が生まれつき多いわ。私だってそうよ」


 そう云って、コロンは自分の手首を指し示した。手首には、銀色に輝く腕輪が嵌まっていた。康介は、雑貨屋で見たときから気に掛かっていた。

 「此れは『契約の腕輪』と云い、魔力を持つ者に片方の腕輪を装着してもらうことで、魔力を供給してもらうの。だから、私が自分の力を最大限に発揮しようとすれば、魔力を持つ誰かに此れを着けて貰わないとダメなの」

 灯を反射する銀色の腕輪を見るコロンの瞳は、何処か儚げで哀しげだった。以前から自分の出自をあまり詳しく語りたがらない理由、否、寧ろ避けているとさえ思える風体も、其の腕輪か其れに関連することでコロナには快くない記憶があるのであろうと、鈍感な康介でも分かった。余計な話を詮索しないように、康介は言葉を慎重に選んだ。


 「もしもだけれども、コロナは其の腕輪を使えば魔術師に勝てることはできる?」

 コロナは静かに首を振った。

 「どうだろう……。光が七色に分かれるように、一口に魔力と云っても、波長によって万に、いえもっと多くに分別できるの。そして、自分の魔力の波長と同じ波長を持つ魔力を供給してもらわないとダメ。其れ以外だと受け附けられないのよ」

 「それじゃあ……」

 「ええ。わたしは魔術を使えるけれども、能力を最大限に引き出すことは出来ないわ。若し相手が私と同等で持久戦に持ち込まれたら、勝機はないと思う……」


 コロナにしては何時になく弱気の発言だった。コロナは口を噤んで俯き、まるで子供が掌の中で小石を遊ばすように、右手で左腕に嵌められた『契約の腕輪』の冷たい感触を確かめながら、銀色の金属光沢を放つ其れをじっと凝視していた。

 ここ数日間の中で、康介はここまで悄然としたコロナを見たことがなかった。コロナの派手な言動と破天荒とまで云える性格は、感受性の強い心を其れと悟られぬ為の装飾であることに今更ながら気が附いた。いや、それには些か語弊があった。きっと、本人も意識していないだろうが、彼女の繊細さの裏返しに違いない。


 康介が生きることに臆病で歩むことを止めた人間であるのであれば、コロナは失うことへの過度の怖れを抱いた人間なのだろう。故に、コロナは他の者へ積極的に関わろうとしているのだ。硝子で縁取りされた彫像品のような心を持つコロナは、他人を失うことや他人が傷つくことにきっと耐えられないのだ。だから、サーニャが攫われた事に関して必要以上に自責の念に駆られているに違いない。

 そう思ったとき、康介は、コロナは自分と全く懸け離れた場所に居るのではなく、自分と正反対の位置に対極しているどころか、本当は自分と似たような存在なのではないかと感じた。そして、恐らくコロナは、自分自身の感情や行動基準が何処から去来するのか、また自分自身が孕んでいる脆弱さと云うものを理解していないのではないかと思った。


 だから、康介はコロナを励まそうと考えた。嘗て彼女が自分自身をそうしてくれたように。

 「なあ、コロナ……」

 「?」

 自分の肩を?んで真剣な眼差しをする康介に、コロナの金色の瞳が不安に揺れる。

 「……」

 「?」

 「…………」

 「?」

 「………………。ダァーァー」

 ダメだ、慰めの文句が一つも思いつかない……。康介は硬直してしまった。自分の不甲斐無さに、そして無意味な沈黙に耐え切れず、半ば狂乱したかのように髪を掻き毟った。

 「……、大丈夫康介?」

 終いには、励まそうと思った本人に励まされる有様。改めて康介は、自分の語彙力のなさと内向的吃りにげんなりしてしまう。


 しかし、

 「ぷっ、は、は、は、は、は」

 康介が自分の失態にウンザリしていると、突如コロナが笑い出した。

 「御免なさい。康介が慣れないことしようとするから、つい可笑しくて」

 堪えきれずに笑うコロナの目尻には、笑い涙溜まっていた。

 状況を呑み込めない康介は、頭上に数個の疑問符が浮かび上がるばかり。

 「だって、康介、落ち込んでる私を慰めようとしたんでしょ?」

 悪戯っぽく上目遣いの眼差しで見てくるコロナに、康介は自分の頬が紅潮するのを感じた。其れを見たコロナは、益々ニヤニヤしながら猫属性を持ったじゃれるような面持ちで見つめてくる。

 「別に、俺はそんな積りは!」

 声を荒げてしまっては自白も同然。其の上、康介の声は裏返る。


 「あ、そう……」

 物悲しそうな表情をすると、今度はコロナが顔面を掌で覆って、「ひっ、ひっ」、としゃっくりを漏らし始めた。

 「え、そうじゃなくて、俺は……。えーっと……」

 対処も儘成らない康介は、最早正常な判断を失って、落ち着きのない熊のように右往左往するばかりだ。康介がオロオロとしていると、コロナは、

 「なーんてね。冗談よ、冗談」

 「なんだよ、コロナは。人が折角心配しているのに」

 良いようにあしらわれていたことに康介は、一寸ばかり憤慨する。

 一方のコロンは悪びれる積りは微塵もなかった。そして、

 「ありがとう。でも、私そんな康介嫌いじゃないわよ」

 情熱的な薔薇色の髪を揺らしながら、にっこりと笑うコロナ。天使のような笑顔は破壊的効果だ。

 其れを見た康介の頭は沸点を越え、頭上から蒸気が噴出する。

 コロナは、けらけら笑いながら、

 「この不肖コロナを慰めようとしてくれて、過分な気遣い誠に恐縮の極みです。仮令、如何なる敵が顕れようとも、このコロナはソヤツらめを、ギッタンギッタンのケチョンケチョンにしてやりたい所存でございます」


 ベッドの脇に立って、詰所の自警団員のように右手を額に当てて敬礼してみせる。

 其れを見た康介は、漸く何時ものコロナに戻ってくれたと胸を撫で下ろす。

 落ち着いた二人は、コロコロと一頻り笑った。そして、エルシールが帰って来るまでの間、コロナは魔術の知識が皆無な康介に一寸ばかり講義をしてやった。


 ――尤も、本当は落ち込む康介を見たくなかったコロナが、演技をして見せただけだったのだが、そのことに気がつくには康介はまだ若すぎた。詰まるところ、コロナの方が康介よりやはり一枚上手だったのである。

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