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お嬢様として異世界で暮らすことに!?  作者: 松原 透
プロローグ

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1/89

お嬢様として異世界で暮らすことに!?

 私の朝は、だいたい些細な戦いから始まる。


「お嬢様、おはようございます。朝でございます」


 カーテンが開けられ、差し込む光に目を細める。

 ベッドの脇に立っていたのは、ルビーだった。

 私と同じ赤い髪をきっちりとまとめ、一分の隙もないメイド服。毎朝、私を起こしに来るのはルビーの役目だ。


「……おはよう、ルビー」


 この寝室には、ルキアが施した魔法石の結界がある。

 入れるのは私と、ルビーとクロ、そしてルキアだけ。賊が侵入した時に逃げ込むための部屋……らしいのだけど、私にとっては別の意味で、屋敷で一番安全な場所になっている。


 問題は、この扉の向こうだ。


 顔を洗い、寝間着のまま、扉をほんの少しだけ開けてみる。


「お嬢様、本日はこちらのドレスなどいかがでしょう!」


「いいえ、こちらの淡い色の方が絶対にお似合いです!」


「リボンは三つ! いえ、四つで!」


 扉の前には、メイドたちがずらりと並んでいた。

 それぞれの腕には、色とりどりのひらひらとした服が抱えられている。どれもこれも、フリルとリボンがこれでもかと付いた代物だ。


 私は無言で扉を閉めた。


「……今日は、ここで仕事をするわ」


 結界の中にいる限り、メイドたちは入ってこられない。

 賊のために作られた部屋だけど、今の私にとって一番の脅威は、扉の向こうにいる。


「普段着でいいって、昨日も言ったわよね!」


「昨日と同じお召し物なんて、ありえません!」


 扉越しに、即答が返ってきた。

 この屋敷で、服に関して私の意見が通ったことは、数えるほどしかない。


 ため息をついた瞬間、体がふわりと浮いた。


「朝から籠城なさるのは、淑女として感心いたしません」


 後ろから私を抱え上げたのは、ルビーだった。

 表情は穏やかなのに、私を抱える腕はびくともしない。

 そうだった。この部屋に入れるということは、ルビーも中にいるということなのだ。


「淑女じゃないもの」


「では、お嬢様はいったい何なのでしょう?」


 何なのかと聞かれたら、答えは決まっている。


 建石育実、三十四歳。

 毎日終電まで働いて、コンビニのおにぎりをかじりながら帰る、どこにでもいるおっさんだった。


 それが今は、腰まで届く赤い髪に、どう見ても子供にしか見えない少女の体。

 名前は、イクミ・グセナーレ。この屋敷の主であり……奴隷商人である。


 口にしたところで、誰も信じてはくれないのだけど。


「……お嬢様です」


「よろしい」


 ルビーは満足そうに頷くと、片手で扉を開け、私をメイドたちの前にそっと下ろした。

 逃げ道は、もうどこにもない。



 結局、着せられたのは淡い水色のドレスだった。

 リボンは二つで勘弁してもらった。これでも、交渉の末に勝ち取った成果である。


 執務室へ向かう廊下では、すれ違う皆が足を止めて頭を下げていく。


「お嬢様、おはようございます! 今日もお可愛らしいです!」


「お嬢様、昨日の報告書は机の上に置いておきました」


「お嬢様、夜更かしは駄目ですよ。ルビー様から聞きましたからね」


 この屋敷にいる皆のほとんどは、私の奴隷だ。

 その左手には奴隷紋が刻まれていて、主である私が命じれば、誰も逆らうことはできない……はずなのだけど。

 実際には、私の方が毎日叱られている気がする。


「イクミ様。本日の護衛は、私とルキアが務めます」


 いつの間にか、隣を歩いていたのは狼の獣人のクロだった。気配もなく現れるのは、いつものことだ。

 テラスに出て見上げると、屋根の上ではエルフのルキアが腕を組んで立っている。


「ルキア、たまには下りてきたら?」


「愚問です」


 ……答えになっていないのも、いつものことだ。


 執務室の椅子に座ると、机の上には書類の山が二つ。

 私がすっぽりと隠れてしまうほどの高さだ。たまにだけど、これが増える日もある。


「お嬢様。本日は午後から、お出かけのご予定がございます」


「分かっているわ。でも、その前にこれを片付けないと」


「では、こちらを」


 ルビーが差し出したのは、温かい紅茶と……一本の縄だった。


「……何、それ」


「本日も街へお出かけになりますので。手を繋ぐのがお嫌でしたら、こちらをご用意いたしました」


「迷子になんてならないわよ! ……善処はするから」


「前回も、前々回も、そうおっしゃいました。善処とは、よいお言葉ですね」


 返す言葉がない。

 前回は露店の焼き菓子につられ、前々回は大道芸につられた。どちらも、気がついた時には一人だった。


「……手でいいです」


「かしこまりました」


 ルビーはにっこりと笑って、縄をしまった。

 しまっただけで、捨ててはいない。


 ため息をついて、一枚目の書類を手に取る。

 畑の収穫量、冒険部隊からの討伐報告、新しく屋敷に来た子たちの様子……

 どれもこれも、あの日の私には想像もできなかったものばかりだ。


 ふと、ペンを持つ自分の小さな手が目に入る。


 牢屋の中で、この手を初めて見た時は、悪い夢だと思った。

 夢なら覚めてくれと、何度も頬を叩いた。


 今では、この手で書類にサインをして、皆の頭を撫でて……時々、撫でられて。

 そんな毎日を、悪くないと思っている自分がいる。


「お嬢様? どうかなさいましたか?」


「ううん、何でもない」


 こうなったのも、全部あの爺さんのせいだ。

 ……いや、爺さんのおかげ、と言うべきなのかもしれない。


 始まりは、あの日の夜。

 いつものように終電に揺られて、家に帰るはずだった、あの日の夜だった。

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