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─ 三日目 ⑥ ─


── 春日 ──


 小石川中央病院、東病棟三階の談話室。

 田所は、壁際の柔らかな素材のベンチに腰掛けながら、がらんとした広い室内を見渡した。対面には大きなテレビが置かれ、その近くの席でパジャマ姿の人が三人、画面を観ている。一人は、体の側に置いてある点滴の袋を吊るした台が煩わしいのか、時折り鬱陶しそうに首を回して、それを見上げている。テレビはニュース番組を流しているようだが、音量はかなり絞ってあるので、田所には聞き取れない。左側の大きな窓からは暖かな日差しがレースのカーテンを通って、部屋の中に注いでいた。

 田所は腕の時計を見た。ここで待つように言われてから、十分が経っている。立ち上がって、廊下を見るが、まだやってきそうにもない。彼は、出入り口の脇にある自動販売機に歩み寄り、無糖の缶コーヒーのボタンを押した。腰を屈めて、取り出し口に手を伸ばす。

「あの」と後ろからの声に、田所は腰を伸ばして振り返った。

「ニッタ商事の方でしょうか?」背の高いすらりとした女性が、田所の顔を覗いている。

「あ、山之内君の奥様ですか?」

 山之内花江が、はい、と頷く。化粧っ気のないその顔は、憔悴からか、彼の思っていた年齢よりは老けている印象だ。

「田所です」この度はとんだことで、などと言葉をかけながら、自分が座っていたベンチまで彼女を誘導し、座らせる。

「家族以外はここから先へは行けないと言われまして、それで呼んでいただいたのですが。すみません、こんな時に。で、どんな様子でしょうか、彼は?」

 花江は、目を伏せるように下を向いた。

「まだ、集中治療室です。意識が、戻らなくて・・・」

 田所が、長く漏れるような息を吐く。


 しばらくの沈黙があった。

「頭を怪我されたんですか?」田所が遠慮がちに訊ねた。

 花江が小さく頷く。「強く打ったらしいと。骨に異常はなくて、出血もしていないのですけど」うまく防御姿勢を取ったのだろうと、医者は言っていたという。ただ、頭蓋骨を守れた分、全身打撲となり、左腕と鎖骨が骨折しているのだと彼女は顔を顰めた。

「あの、ところで、奥さん。こんな時に申し訳ないのですが、山之内君と一緒に怪我をした大石さんのことを、何かご存じではありませんか」田所がその名を出すと、花江は、ああ、と顎を持ち上げた。

「警察の方にも訊かれました。でも、わたしは知りません」

「警察が訊いたんですか。あの、警察は大石さんの怪我について何か言ってましたか?」

 花江は怪訝そうに眉根を寄せた。質問の意図が分からない。

「一緒に怪我をしたとは言ってましたけれど。あの、大石さんというのは会社の方なんですか?」

「いえ、取引先の部長さんです。そうですか・・・。一緒にこの病院に担ぎ込まれたわけではないんですね」

「違うと思いますけど・・・わたしがここへ着いた時には、処置室を出るところだったので、よくは分かりません」と、また下を向く。

「そうですか」

「あ、そういえば」と、花江が不意に顔を上げた。「警察の人たち、わたしと話したあと、背を向けて、弁天堂大、って言ったのが聞こえました。『次は弁天堂大だな』って」

 田所は、思わず声を上げそうになった。

 そして、きっと大丈夫ですよ、すぐに良くなります、とありきたりな励ましの言葉を吐き、「何かありましたら、会社に連絡ください。では、また参ります」そう言って、慌ただしくその場を辞した。

「何かありましたらって、何かあったら困るわよ」花江は、田所が去っていった廊下を睨みながら、ぼそりと呟いた。



── 御茶ノ水 ──


 田所はタクシーを飛ばして、十五分後には、弁天堂大学付属病院に着いていた。受付で、会社のものだと名乗り病室を訊ねると、山之内のいた病院と同じ答えが返ってきた。

「いま、集中治療室ですので、面会はできません」

「あの、ご家族の方はいらしてますよね。お会いしたいのですが」

 受付にいた事務員が、ちらと胡散臭そうな視線を向ける。「あの、お名前をもう一度」にこりともせずに訊いた。

「ニッタ商事の田所と言います」と名刺を示すと、事務員は「お待ちください」と受話器を持ち上げた。そして何やら話したあと、小窓から顔を突き出し、「お待ちください」ともう一度言った。

 待つこと五分。

「第二病棟二階のスタッフステーションに行って下さい」事務員はそれだけ言うと、もう自分の役目は果たした、とばかりに顔を背けた。

 壁や廊下の天井から吊り下がっている案内板を追いながら、第二病棟の二階に着くと、廊下の交わる角に、『スタッフステーション』と表示があった。カウンターの向こう側で看護師たちが、忙しそうに動き回っている。

「あの、すみません」と声をかけ、田所は受付でしたのと同じ説明を繰り返した。「あの、本人に会えないことは分かっているのですが、ご家族の方にお会いしたいので」

「失礼ですが」

「会社の者です」とまた名刺を示す。

 と、看護師はその名刺を受け取り、「ここでお待ちくださいね」と、廊下を歩いて行ってしまった。

 またか。舌打ちしたい気分だったが、今度はそう長く待たされなかった。

 廊下の奥から歩いてきた六十歳前後と思われるふくよかな女性が、「あの、田所さんですか?」と声をかけてきた。

「はい、ニッタ商事の田所と申します。あの、大石部長の?」

「家内です」彼女は頷くように頭を下げると、「あちらに待合所がありますから」と、手で示した。


 廊下の脇にある狭い一画に、長椅子が二脚置いてある。そこに少し間を空けて二人は座った。

「ニッタ商事の方ですか」大石夫人は手に持った名刺に視線を落としながら、呟くように言った。「昨日、一緒だった人もニッタ商事のひとだったと、警察が言っていました」問うように顔を上げる。

「はい。部下の山之内です。この度はとんだことで、お見舞い申し上げます。あの、大石部長のお具合は?」

 夫人は小さく溜息を吐いた。「昏睡状態です。頭を打ったということで」

「そうですか。実は山之内も同様でして」神妙な顔で言う。

「あの、山之内さんとおっしゃる方、どうして、主人と一緒だったのでしょう?」

 それが、一緒にいたことを指すのか、より具体的に一緒に転げ落ちたことを指すのかは分からなかったが、田所は、仕事で世話になっていること、その関係で昨日食事を一緒にしたことなどを説明した。

「そうですか。ニッタ商事の方と夕食を。では、お店を出てから、主人と山之内さんは一緒にどこかへ行こうとしていたんでしょうか。何かご存じ?」

「申し訳ありません。わたしは駅で別れてしまったものですから。なぜ神社を通られたのかは分かりません」

「主人もねえ、遊び歩いていないで、すぐに帰ってくればこんなことには。それにしても、なんで二人で階段を落ちたのか・・・」

 田所には答えることが出来ない。

 それから数分話をしたあと、田所はもう一度見舞いの言葉を言って、その場を辞した。


 病院を出た田所は、はあ、と息を吐きながらスマホを取り出すと、新田に電話をかけた。

「あ、田所です。今、よろしいでしょうか?」

「ああ、どうした」

「大石部長は弁天堂大学病院でした。昏睡状態で集中治療室です」

「そうか」そして間があり「分っていると思うが」と言葉を切る。

「はい。分っています」

「ならいい。頼んだぞ」

「はい」

 そして、電話を切った。

 田所の顔には険しい表情が浮かんでいた。


お読みいただきましてありがとうございます。

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*** 土日は午前中に更新の予定です ***

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