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聖縁剣  作者: フジスケ
第3章 Blood Eyes
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第38話 語らい

 皆様こんばんは。お元気でしょうか。

 私は今は元気です。……許すまじ、脱水症状。

 【テレポート】を使い門の前までたどり着いた2人だったが、チサキの傀儡化をはじめ、アロイスのアプローチ、龍聖の変貌と色んなことが1度にまとめて起こったことで、メルフィードはまだ昼間なのにも関わらず心身共に疲れきっていた。


「ふぅ……」

「国内へ入る前に宿で休むか? メルフィード」

『これからもっと疲れることになる。休んでおいた方が良いのではないか?』

「……良い。情報は早く伝われば伝わる程良い」


 だが、ここでへばる訳には行かない。太陽達やギルドへの状況説明もまだであるし、何より龍聖に彼自身の変貌についての説明もしなければならないのだから。リーフと龍聖の心配をはね除け、メルフィードは再び足腰に力を入れ直す。


 だがその中でも最優先はギルドか騎士の駐屯所である。この国の法律で、王や民に被害が及ぶ可能性がある事態が発生した場合、早急にギルド職員か騎士の誰かに報告しなければならないからだ。


 しかしここまで大事となると、騎士団長であるルジートに伝え、厳戒体制を敷いてもらった方が早いだろう。


「……そうか。本当に辛いなら早めに言ってくれよ?」

「分かった……」


 彼女の状態を心配しての龍聖の言葉に、メルフィードは力なく返事をする。


 緊張の糸が張り詰めている今だから会話が出来るが、それが切れたらどうなってしまうのかは彼には容易に想像がついた。


「じゃあ騎士の人達と話をしてくるから、メルフィードは少し座って休んでてくれ。それだけでも大分違う」

『これからまた疲れるかもしれん。だから今だけは少しでもリラックスしておけ』


 メルフィードを無理やり壁を背もたれにして座らせると、門兵のところへ向かう。さりげなくリーフのアドバイス付きだ。

 門兵は彼に気付くと強面な顔を破顔させ、友好的な表情を見せる。


「お勤めお疲れさまです」

「おぉこれはリュウセイ殿。ご無事で何よりです。……して、貴方の背で眠っているこの女性はどちら様で?」


 門兵は彼に軽い挨拶をしつつ、チサキについて怪訝そうに問いかける。


「実はこの子に関して、ルジートさんと話がしたいのですが……今はお時間大丈夫ですか?」

「隊長なら今は駐屯所で訓練中です。……そうですね、後10分くらいで一段落つくかと」

「そうですか、分かりました。教えて頂きありがとうございます」

「いえ、こちらも貴方には感謝しておりますので、このくらい何てことありませんよ」


 にこやかな雰囲気をしている騎士に、チサキを落とさないよう注意しながら一礼し、会話を切り上げた。


「メルフィード、終わったぞ」

「分かった。……少しは楽になった」

『だが、それもその場しのぎだろう。今日は出来る限り早く休めよ?』

「うん……主もリーフもありがとう……」


 歩み寄り声をかけると、メルフィードは少しヨロヨロと立ちくらみを起こしたようによろめくが、何とか持ちこたえて立ち上がる。雀の涙程でしかないが、休息をとれたので顔色が本当に少しではあるが良くなっている。


「……よし、【テレポート】するけど大丈夫だな?」

「うん、大丈夫」


 あらかじめ構築しておいた【テレポート】を使い、瞬時に駐屯所へと転移する。


 ただしいきなり眼前に転移して驚かせるのは趣味ではないので、駐屯所の門の前にしておく。


 中に入り少し見渡すと、駐屯所の庭に植えられた木陰で鎧を脱ぎ、滝のように流れている汗を拭っているルジートを見つける。


 夏真っ盛りの炎天下であっても騎士である以上鎧は着なければならず、彼の身体はまさに水を掛け、蒸気で充満したサウナと同じ状況になっているだろう。


「ん? おぉこれはリュウセイ殿。如何なされましたか?」

「実は、ちょっと話があるんです。出来れば、人目が少ない場所で」


 さすがにかつてエネロを混乱に陥れた、かの魔神軍幹部が再び手を伸ばそうとしているとは、この場では言えない。


 そして報告するのをギルドではなく騎士の駐屯所を優先したのは、基本的に実践のみで実力を上げる冒険者は、どうしても生き残るか依頼の達成に集中するので、自身の実力が明確に判断出来ない。


 その点、騎士は団結力も強さの一つであるため、全員の強さが高水準になりやすいのだ。


 ルジートはそれならと応接室を確保し、チサキのためのブランケットや敷き布団まで用意してくれた。休憩時間を割いてくれるだけではなく、場所や寝具まで用意してもらえるとは、龍聖としてはいくら感謝しても足りない。


「……して、話はどのような物でしょうか?」

「メルフィード、悪いがあれを出してくれ」


 そう言われ、メルフィードは懐からアロイスの勾玉を取り出す。それに触れている間、手元は酷く震えていた。


「っ!!! こ、これは……」


 ルジートは勾玉を見た瞬間に血相を変え、テーブルに身を乗り出す。王国の騎士である以上、相応の知識も持ち合わせている。知識ある者にはあまりに有名すぎるそれは、彼を狼狽させるには充分だった。


「……まさかとは思いますが、もしかしなくてもこれは、かのアロイスの……?」

「えぇ、間違いないでしょう」


 当たらないで欲しいと願った物が現実となり、ルジートの眉間には幾重もの皺が寄る。


「そうですか……。お2人ともよくぞご無事で」

「……無事と言っても、勾玉越しに会話しただけ。それに問題はそっちじゃない」


 同じく険しい顔をして、話を切り出すメルフィード。彼女にとっては、こちらの方が重要だった。


「そっちではない……とは?」

「……主が一時期おかしくなった」


 険しい顔をよりいっそう険しくして真実を告げる。元凶である勾玉を見詰めながら。――しかし不思議な程に、その眼にはアロイスと会話をしていた最中に比べて憎悪の色がない。


「…………え?」

「……髪は黒く、目は赤くなって気が狂ったかのように笑った後、チサキを包んでいた巨人をいたぶった」


 理解不能と言う顔をする龍聖とルジートに構うことなく、言葉を紡ぎ続ける。いち早く言葉の意味を理解した龍聖は、無言で冷や汗を垂らしながら額に手を当て、焦燥感を表すように瞳を揺らす。


「でも」


 しかし、メルフィードはあることを知っているのだ。震える身体を必死に抑え、一番言いたかったことを吐き出す。


「……性格は変わっても、主は主だった」

「どういう、ことだ……?」


 珍しく酷く平常心を失っているために、メルフィードの発言の真意に気付いていない。


 いきなりおかしくなったなどと言われれば、そうなるのは当たり前だ。それに加え、記憶にない残虐行為をやっていたと言う恐怖が龍聖を包み、平常心を奪っているのだから。


「あの時の主は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から」


 その通りであった。本当に狂気で染まりきっているのなら、辺り一面を焦土に変えるなど造作もなかったはずなのだ。なのにメルフィードとは会話を交わし、気を失ったチサキには斬りかかるどころか、歩み寄ることすらしなかった。


 これがあの姿であっても、彼なりの優しさが残っていた何よりの証拠であった。


 ――お見事。あの土壇場でそこまで見抜くたァさすがだな。


 どこからか声が響く。だが、勾玉からではない。聞こえたのは……龍聖の声だ。しかし、本人はポカンとしていて何が起こったのか分からないと言う顔をしており、声も普段の龍聖の口調に比べて少し粗暴だ。


「……リュウセイ殿?」

「え、いや、僕は何も発言していないのですが……」


 ――おーい、ココだココ。


 声が再び響くが、龍聖の口は全く動いていない。腹話術等を使っている様子もない。


 全員が不審そうにしていると、その中のメルフィードがあることに気付いた。


「……! 主、左目」

「左目?」

「左目だけ、赤くなってる」


 彼女の指摘した通り、彼の左目は赤く染まり、もう片方は普段の黒と言う実に奇々怪々な状態になっていた。


『ようやく気付いてくれたか。さっきぶりだなァ狐の姉さん』


 聴覚が敏感な彼女が良く耳をすませてみると、声は龍聖の目から聞こえていた。瞳も声の抑揚と同じタイミングで、小さく点滅している。


「お前は誰だ?」

『俺はお前さ。親を目の前で奪われ憤怒と狂気に身を染め、お前の心を守るために生み出されたもう1人のお前。敵意を向けられたり悪人であれば、誰であろうと容赦はしない。それが俺だ』


 得体の知れない何かへの恐怖を必死に抑えて龍聖は問うが、返答を聞いて何かに気付いたようにハッとした表情になり、メルフィードは彼の過去を思い出し、悲痛な顔をする。


 その一方でルジートは戦慄していた。自身の知らぬ間に新たな人格を生み出すとは、目の前の少年は一体どんな地獄を味わって来たのだろうと。


「もしかして、今まで俺が怒った時に言動が変わるのはお前が原因か?」

『まァそうだな。不完全にお前に呼び出される形だった。だが、アロイスの魔力とオマエが最近覚えた【バーサク化】で、ようやく完全に呼んでもらえるようになった訳だァ。今まで義理の親父以外に、雑魚しか出ねェからつまンなかったぞ? やはり戦いは、血肉踊る殺し合いじゃなきゃ面白くねェしなァ』


 険しい表情で問う龍聖に対し、瞳の奥に潜む者は、のほほんとしながら残虐性を剥き出しにした答えを返した。


 彼の言葉を本当であると仮定すると、彼は10数年間龍聖の中に封じられており、人を殺すことにも自らが殺されることにも恐怖を抱いていないことになる。


「……例え俺の友達であっても、敵意を向けられたり悪人になったらお前は殺すのか?」

『おぉ良く覚えてたな。あれをただの夢だと忘れなかったか』


 かつて夢で聞こえた声を引き合いに出すと、感心したような声が返って来る。全く否定をしないあたり、本気なのが窺える。


「何故、殺すのではなく救おうとしない」

『ンなモン互いに苦しむだけだ。友達だったのは過去だと、スッパリ切り捨ててしまうに限る』


 その言葉に、龍聖を含む3人は二の句が継げなくなった。もう1人の龍聖だと名乗る存在は、友達を殺すことに何の忌避感も覚えていない。あるのはただ1つ、敵への殺意だけだった。


『と言うか、お前も大概人殺しだろ。ンなこと抜かしたところで、ブーメラン以外の何者でもねェじゃねェか』


 ぐうの音も出ない発言に、いたたまれなくなる。メルフィードやルジートにとっても、耳が痛い言葉だった。


 彼らも自分の身か秩序を守るために、やむを得ず人を殺めた経験があるから。


「……分かっているさ、俺がそんなことを言う資格がないことは。でも、俺はそうしたい」

『例え理解なンてされねェとしても? 知ってンだろ? 紛争に巻き込まれそうになったのを助けられておきながら、オマエを拒絶したヤツらのことを』

「俺は他者の理解が欲しいから助けるんじゃない。助けたいと思うから助けるんだ。強いて言うならこれは俺のエゴ、わがままだ」


 瞳の諭すような声にも揺るがず、頑なに譲らない。これは龍聖の信念だ。曲げることは許されなかった。


『へぇ~……まァ良い。今はそう言うことにしといてやるよ』


 感心したような、呆れたような。そんな感情をない交ぜにした声が響いた。


『あ、そうそう。その勾玉は肌身離さず持っとけよ。相談相手くらいにはなってやるし、握りしめりゃ俺が力を貸してやる。ただ使いすぎには注意な』


 そう一方的に言い終えて、同時に徐々に薄れようとする瞳の赤。


「待ってくれ。もう1つだけ構わないか?」

『何だァ?』

「俺は、お前を何と呼べば良い?」


 例え悪人や敵に対して容赦がないとは言え知性があり、会話や意志疎通が出来る以上、話はしておくべきだ。そう考え、出来るだけ多く接点を作るために問い掛ける。


『あぁそうか。毎回毎回俺のことを呼ぶのにもう1人の俺、とか長ったらしい呼び方は避ける必要があるか。何より痛いし』


 言葉にはしていなかったが、つまりはそう言うことである。

 瞳に宿る何かはうーん……と思慮するような唸り声を上げた後、再び声を発した。


凶助(きょうすけ)。凶悪な助けと書いて、俺のことは凶助と呼ンでくれ。悪人面なのを忘れねェためにさ』

「凶助、か……分かった。これからよろしく頼むぞ、凶助」

『おう。俺の力に頼りきりにならねェことを祈るぜ』


 そう呟き、今度こそ完全に龍聖の奥底へと帰っていったようだ。双眸がオッドアイではなく、元の黒に戻っていることから間違いない。点滅もしていない。


 だが、それに構わず龍聖は勾玉を何の躊躇いもなくひょいとつまみ上げ、魔力で糸を瞬時に作り出し小さな穴にスピーディーに通し、ベルトを通す穴に結んだ。


「これでよしと。……あれ、メルフィードどうした? ルジートさんも呆けておられますが」


 満足げな龍聖とは真逆に、メルフィードとルジートは彼への気遣いと恐怖を足して2で割ったような表情だ。顔色も少し青い。

 瞳の色が変わる程度で気圧される圧力を受け、自分達では絶対に敵わないと直感したからだ。メルフィードも頭では理解していたが、一度植え付けられた恐怖と言うものは中々消えないようだ。


「いえどうしたもこうしたも……大丈夫なのですか?」

「はい、大丈夫ですよ?」


 ルジートの心配する声にケロリと答える。先程までの重い空気が嘘のようだ。


「……主、順応早すぎ」

「えっ、そうかなぁ」


 そしてメルフィードにさえ呆れられる始末だ。ついさっきまでの焦りようとは随分と違うことに、彼女であっても戸惑いを隠せないらしい。


「大丈夫。メルフィードが危惧していることにはならないさ」

「……どうして、そんなことが言えるの? また主を、乗っ取るかもしれない」

「だって凶助が言ってたじゃないか。()()()()()()()()()()()()()()()()って。わざわざ条件を教えてくれている以上、むやみやたらに出ては来ないはずだ」


 そう。好き放題やるつもりなら条件を提示する必要はないのだ。それこそ、この場で乗っ取ってしまえば良い。止められる者など、この場にいるはずがないのだから。


 メルフィードは身体的な傷を直す僧侶であって精神科医ではない。ルジートも侮るようで憚られるが、はっきり行って実力は龍聖と凶助のどちらにも到底敵わないだろう。力ずくではどうやろうと無理だ。


「……筋は、通る」

「それに今は、チサキちゃんの方が優先だ。気を失ってかれこれ1時間は経つ。そろそろ目を覚ましても珍しくない頃合いじゃないかな?」


 その言葉通り、「うぅ……」と小さく唸り声を上げてチサキの瞼が揺れ動いた。同時に身体もモソモソと動きだし、意識が着実に覚醒に向かっている。


「あ、れ……ここは……?」


 周囲をキョロキョロとしながら起き上がり、ここが自身の知らない屋内であることに気付いた後、メルフィードの姿を視界に捉える。だが安堵したのもつかの間、意識を失う前にしたことを思い出したのか、無言でそのまま俯く。顔は前髪で隠れ、その表情は窺い知れない。


「……チサキ」


 メルフィードの声に肩をびくりと震わせ、恐る恐ると言った雰囲気で顔を上げる。顔は罪悪感や申し訳なさ、恐怖などが点在し、バケツをひっくり返したようにぐちゃぐちゃだ。


 しかし、次第に耐えられなくなったのか顔をくしゃりと歪ませると、今度は目元を覆ってさめざめと泣き出す。その姿は龍聖や太陽に突っ掛かったとは到底思えない弱々しさで、本気で後悔しているのが見てとれる。


「ごめん、なさい……あたし、なんてことを……っ」


 返答はない。ここで必要なのは言葉ではないから。メルフィードはソファから立ち上がり、今もすすり泣きをしているチサキに近付くと、膝立ちになりながら彼女を抱き寄せる。


 何が起こったのか分からず一瞬動きを止めるが、自分が抱き寄せられており、拒絶されていなかったことに気付くと、ますます激しく泣きじゃくり始める。


「……今は、部外者は退出しましょう」

「……ですね。話を聞くのはしばらく後にした方が良さそうです」


 空気を読んだ龍聖とルジートは2人に気付かれないように、こっそり物音を立てずに応接室を去って行く。


 室内からは1人の少女のくぐもった嗚咽が響いたが、もう1人の女性は咎めることなく、抱き締める力をほんの少し強めた。




   ◇




 それからチサキが泣き止み会話も可能になると、頃合いだと踏んだ龍聖とルジートが室内へと戻って来る。


「もう大丈夫か?」

「……ん、チサキも落ち着いたみたい」


 なるべくチサキを刺激しないように、言葉を選びながらメルフィードの傍らへと立つ。と言うのも、現在メルフィードの隣には泣き腫らした目をしているチサキが座っており、そんな状態の彼女を押し退けてまで座る気にはなれなかったのだ。


「リュウセイ殿、よろしければ私の隣へ」

「え? いやしかしですね……」

「今回ばかりは、礼儀作法は抜きで良いでしょう。もっと重要なことを話さなければなりませんから」

「……では、お言葉に甘えて」


 本来は立ったまま話をしようとしていたのだが、それはルジートがよしとしなかった。


 確かに今は作法がどうのこうのと言っている場合ではない。下手をすればこの国に、いや、この世界にどんな影響を与えるのか分からないのだから。


「じゃあ、話を始めようか。チサキちゃん……と呼んで良いかな」


 龍聖の言葉に、俯きながらおずおずと首を縦を振る。それを承諾だと捉え、核心に迫る問いをすることに決める。


「今の君は、俺達に敵対する意思があるか?」


 直球な一言にメルフィードは物申したそうにしているが、やって来たことがやって来たことなので口をつぐむ。


 今度は左右に揺れる首。身体を縮こませていて不意打ちをして来る様子もなさそうなので、嘘は言っていないようだ。


「そうか……では、別のことに質問を変えよう。魔神軍幹部、アロイスとはどこで知り合った?」


 敵対する必要がないことに安堵しながら、敵とつながるきっかけは何だったのかを問う。これが聞ければ、つながりを持つ原因を根絶やしに出来るからだ。


「……分からない。普段と何も変わらない生活をしていたら、どこからか声が聞こえて来たの」

「それの、具体的な内容は?」


 チサキは視線を少し右往左往させると、ばつが悪そうに話し出す。


「『お前が憎いと思う者から、取り戻したくはないか?』って言われたの」

「……チサキ、まさか貴女」


 出来れば間違いであって欲しい。その淡い願いは、脆くも打ち砕かれることになる。


「神緑。あたしは……貴方に嫉妬していたの」

「…………」


 龍聖から返事はない。メルフィードの表情も険しい。だがチサキは構わず続ける。これが彼女なりのけじめなのだろう。


「メルフィードさんは、何もせず生きる価値を見いだせなかったあたしに、生きる活力を教えてくれた人だった。いつしか、メルフィードさんの役に立ちたい、恩返しがしたいと思うようになったの」


 その先の言葉を聞いて、メルフィードは声が出なくなる。まさか自分がきっかけであるとは、夢にも思わなかったのだ。


 彼女にとってはウジウジしている輩を見るのが嫌だ、程度の軽い気持ちしかなかった。それが1人の行動方針を決めることになろうとは、予想出来るはずもなかったのである。


「でも貴方は易々とメルフィードさんだけでなく周りの信頼も勝ち取り、どんどん頭角を現して行った。あたしでは、敵わないと思わせる程に。それがどうしようもなく悔しかった」


 過去の自分への怒りと申し訳なさに、拳を膝の上で握りしめるチサキ。メルフィードはその姿に、もはや怒ることは出来なくなっていた。


「結局あたしは、ただ嫉妬しているだけだった。だからアロイスなんかの手に落ちたんでしょうね」


 その悔しさに歪む顔は、いつしか自嘲の笑みに変わっていた。それはかつて、サバイバーズ・ギルトを打ち明けた龍聖と全く同じ物。しかし内心は全く違い、チサキの場合は自らに愛想をつかしていた。


 だが、嫉妬は誰にでも持ち得る感情である。それを持つこと自体は何ら不思議なことではないのだが、その心の隙をアロイスに見透かされてしまったことが、彼女をいたく傷付けているのである。


「笑っちゃうでしょ……? 神緑」

「――いや、全然?」


 そんな彼女の自嘲は、真剣な眼差しで真っ向から否定された。

 予想と違った返答にメルフィードやルジート、言い出しっぺのチサキでさえも面食らう。


「太陽との試合で見せた君の技は、諦めて自堕落を決め込んだ者には出来ない。嫉妬はあったのかもしれないけど、君は君なりの努力を止めなかった。違うか?」


 縮こまりながら、おずおずと首肯を返す。それを見て龍聖は柔らかな笑みを浮かべた。


「なら安心だ。君は大丈夫さ。努力せずに得た力は確実に持て余すけど、それは君自身が培った力だ。誇って良い物だと思うよ」


 彼は周りの予想に反して、否定をするどころかチサキのひたむきな姿勢を称賛した。あのクセの強い武器達を使いこなすのは、怠けていては確実に無理であったからだ。


「……また、アロイスの手に落ちるかもしれないのに?」

「確かに目はつけられただろうけど、君がそれだけ後悔してるんだ。そう易々とは落ちないよ。人の感情は良くも悪くも単純じゃない。甘い言葉を囁かれても、ストイックな君がこの出来事を忘れなければ、予防線は張れる」


 かつて憎しみと共に刃を向けて来た相手であるチサキを、龍聖は信頼するつもりなのだ。その証拠に彼女が再び道を踏み外さないよう、対策まで事細かに教えている。


「……あたしを信じるの?」

「あぁ。落ちないかは君次第だけど、俺は君を信じるよ。多少の挫折では折れない、強い心を持っている君をね」


 この時、否定の言葉を綴られれば、チサキの心は細い枯れ枝のようにぽっきり折れていただろう。だが現実は違った。


 龍聖は、全く拒絶することなく受け入れた。一般人ならば話すことも避けてしまうところを。


 まさか許されるとは思っていなかったチサキは、黒曜石のような瞳からホロリホロリと雫を落として行く。


「あ、あれ? 何でだろう。顔も見たくないくらいは言われると覚悟してたのに……」

「この中で誰よりも一番辛いのは君だろ? その事実を棚に投げ上げて、罵るなんてどうかしてるよ」


 龍聖は彼女から視線を外すことすらせずに、柔らかな口調で続ける。


「それに、俺は君と友達になりたいと思っているんだけど、どうだろう?」


 身を少し乗り出し、たくましい右手をゆっくりと差し出す。

 数秒が数分にも感じられる中、チサキはゆっくりと震える手で、だがしっかりとその手を取った。


「あたし、からも……お願いするわ」


 手を取った彼女の頬は涙で濡れていたが、口角は下向きに弧を描いていた。


 ――しかしながら、それも一瞬のことだった。目元に何か乾いた物が当てられ、呆けてしまったからだ。下手人ははっきりしている。真正面にいた龍聖だ。


「あ、え……?」

「涙をそのままはいけないよ。塩分で腫れてしまうし、何より泣き笑いより純粋に笑った方がずっと良い」


 表面が少し濡れたハンカチを片手にニカッと笑う。その言葉で何が起こったのかを理解したチサキは頬を朱色に染めて俯き、ひっきりなしに猫耳をヒクヒクさせる。


 彼女が生活していた場では、男性と女性でグループを分けるので、こういった経験が皆無だったのだ。


「…………」

「…………」


 ルジートは一筋の汗をかき、メルフィードはジト目を龍聖にプレゼントする。もちろん後者のクーリングオフは、マナーにもTPOにも反する。


 そして前者は後者にだけ聞こえるであろう声量で、ボソボソ声を発する。


「……あの、メルフィード殿。彼は、いつもこんな感じなのですか?」


 龍聖へのジト目を止めることなく、首を上下させる彼女。ルジートは遠い目になった。何を隠そう、彼も同じ道を通ったから。


 その修羅場は、恋愛を学んだ今でも続いている。優柔不断な自分を殴りたい衝動に駆られるが、拳を握りしめてぐっとこらえる。


 本音を言うならば、彼の朴念仁をこの場で小一時間かけて矯正したい。だが止めておこう。何故なら大人だから。せっかくの良い雰囲気に水を差す真似は、騎士として以前に1人の男として恥ずべき行為である。


「あれ、もしかしてまだ体調が優れないか? ちょっと失敬」

「っ!?」


 しかしそんな心情を汲むことが出来なかった龍聖は、チサキの額に手を当てて熱を測る。耳がゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、ピクピクピクピクと休まることなく動き続ける。


 心中ではつい数秒前に恥ずべき行為だと断じたことを、実行するべきではないかと妙な使命感が涌き出て来る。


 そこへメルフィードは果敢にも龍聖の手首を掴み、チサキの額から強制的に離させた。


「……主、程々にする。チサキは健康そのものだから」

「いや、熱かったし――」

「……主が、介入するから」

「…………何で?」


 これが面白がってとぼけていたなら、もっと怒ることも出来ただろう。だが彼の場合は、素でチサキを心配しており、何故自分が介入することで、額が熱くなるのか分かっていなかった。


 と、重たい空気が再び霧散した時だった。廊下から鎧が擦れるガチャガチャと言う音が聞こえて来る。それは龍聖達がいる応接室の前で止まると、コンコンコンとノックする音が聞こえる。


「お取り込み中申し訳ありません。リュウセイ殿はおられますでしょうか?」


 扉は開けられることなく、板1枚隔てて声が聞こえて来る。龍聖はさりげなくチラリとルジートを見るが、おかしな様子は見られないので知り合いのようだ。


「はい。いますが、どうかしましたか?」

「ギルドの者より連絡がありまして。リュウセイ殿に指名依頼をしたいので、ギルドへ立ち寄って欲しいとのことです」


 指名依頼。余程のことでない限り断れない代わりに、見返りも大きい依頼である。


「……主、こっちは大丈夫だから、安心して行って欲しい」

「うーん、チサキちゃんのことが――」

「大丈夫だから」

「あ、はい」


 少々不機嫌そうなメルフィードから威圧的に言われてしまえば、龍聖も頷かざるを得なかった。ただし部屋を出る直前、何故彼女が不機嫌そうだったのかに首を傾げながらであったが。


 そんな平和な一時の一方で……このエネロに、波浪の兆しが見え隠れしていた――

 勘の良い皆様なら、お分かりでしょう。

 そんな皆様が考えているであろう言葉を、ここにて代弁させていただきます。

 いつか、龍聖は背中から刺されてしまえェ!(筆者も持つ願望)

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