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幼馴染の女の子に背中を押され、憧れの女の子に告白する話(著者 深江 碧)

 バレンタイン当日、呼び出されたのは校舎裏。

目の前には学年一の美少女、松浦雪が立っている。

 黒いストレートの髪が風に揺れ、大きな瞳がこちらを真っ直ぐに見つめている。

「花太郎君。私の手作りのチョコレート、もらってくれる?」

 きれいな包装紙で包まれた小箱が差しだされる。



 そこで目が覚めた。



 花太郎は枕元で騒がしく鳴りつづける目覚まし時計を黙らせ、ベッドで寝返りを打つ。

「夢、かぁ」

 眠気のためにはっきりしない頭で、さきほどの夢を思い出す。

「でも、幸せな夢だったなぁ。雪ちゃんにバレンタインチョコをもらえる夢なんて」

 花太郎は緩んだ顔でへらへらと笑う。

 もう一度寝入ろうとする。

 もしかしたらさっきの夢の続きが見られるかもしれない。

 そんな淡い期待も少しはあった。

 しかしその期待は、部屋の外から聞こえる乱暴な足音にかき消された。

「起きろ!」

 部屋の扉が乱暴に開け放たれる。

 布団をかぶってまどろむ花太郎のベッドに、何者かがやって来る。

「起きろ、花太郎!」

 布団を強引に引きはがす。

 花太郎の耳元で大声で怒鳴られる。

「いつまで寝てるの! 学校に遅れるわよ!?」

 次いで、寝ている花太郎のお腹に蹴りが入れられる。

パジャマ姿の花太郎はベッドから転がり落ちる。

「ぐえっ」

床に打ち付けられ、ようやく目を覚ます。

むっくりと起き上がる。

「月ちゃん、もう少し優しく起こしてよ。打ち所が悪ければ、ぼく死んじゃうよ?」

 頭をさすりながら、花太郎はベッドの上を見上げる。

 ベッドの上の幼馴染の少女に文句を言う。

「だったら、時間通りにちゃんと起きてなさいよ! 馬鹿太郎!!」

 ベッドの上には腕組みをした少女が立っている。

 焦げ茶色のくせっ毛をまとめ、頭の後ろでポニーテールにしている。

 瞳は大きく、同じ濃い茶色で、整ったはっきりとした目鼻立ちからは意志の強そうな気配が伝わってくる。

 少女の名前は竹田月子。

松浦雪と並んで、学年で一、二を争う美少女だ。

「ひどいなあ、月ちゃん」

 松浦雪と竹田月子は、お互い仲が良く、親友同士だった。

雪は穏やかな清純な美少女、月子は気が強く人目を引く美少女だった。

どちらも花太郎の小学校からの幼馴染で、同じ中学校に通っている。

「ほら、とっとと準備なさい。置いてくわよ?」

「はいはい」

 月子はさっさと部屋から出て行く。

 花太郎はのそのそとパジャマを着替える。

 なんだかんだ言いつつ、花太郎の家が学校に行く途中にあるためか、月子はこうして起こしに来てくれる。

「お~い、花太郎。無事かい?」

「早く準備しろよ」

 部屋の窓の外から友達の古鳥と風間の声が聞こえる。

「悪い、今行く」

 制服に着替えた花太郎は、二階の窓のガラス越しに二人に手を振り、荷物をまとめて階段を降りていく。

 居間のテーブルの上に置いてあるレタスとトマトとハムエッグののったパンをかじる。

 パンののっていた皿の隣には、母親の書置きが置いてある。

『花太郎へ。パンだけじゃ栄養が偏るから、牛乳も飲みなさい。 母より』

 もぐもぐと口を動かす花太郎は、パンをかじりつつ、テーブルの上に置かれたパック牛乳を鞄に入れる。

「いっへきま~ふ」

 パンをくわえ、玄関の扉を開ける。

「お、来たな」

「今朝は早かったな」

 玄関の外では友達の古鳥と風間が待っている。

 花太郎は家の扉に鍵をかけ、二人を振り返る。

「月ちゃんは?」

「もう朝練行ったよ」

「相変わらず、嵐のようだったね」

 男子三人連れだって歩き出す。

 花太郎は歩きながらパンを食べ続けている。

「それにしても花太郎ってさ、毎朝月子さんに起こされて、よく平気だね?」

「うらやましいの?」

 風間はゆっくりと首を横に振る。

「ううん、ちっとも。よく無事でいられるな、という意味。月子さんに毎日ベッドから叩き落とされて、体が無事なのは花太郎くらいなものだよ」

 古鳥が携帯をいじりながら言う。

「月子ちゃんって、学校でも人気だろう? スポーツ万能でテニス部のエース。噂によるとファンクラブまであるとか」

 証拠とばかりに竹田月子ファンクラブのサイトを見せる。

 花太郎はハムエッグのハムと卵をかみちぎっているところだった。

「ふぇえ~、ほうなんだ。ふきちゃん、ふごいね」

 ようやくパンを食べ終わった花太郎は鞄の中のパック牛乳を取り出す。

 ストローを差してちゅーちゅーと飲み始める。

「そうだぞ、花太郎。お前は物凄くうらやましい立場にあるんだぞ!」

 古鳥が力説する。

「かの月子さんの幼馴染だからと言って、毎日起こしに来てもらえる男子中学生なんて、世界中でお前くらいなものなんだぞ、花太郎。お前はもう少しその物凄く恵まれた立場ということを自覚してだな」

「あ、信号赤になっちゃうよ、古鳥君。早く行こう」

 花太郎と風間は青い歩行者信号が点滅する横断歩道を、そろって走っていく。

「お前らなあ」

 古鳥は溜息を吐きつつ、その後を追って走って行った。


 *


 学校に着いた花太郎たち三人は、廊下で松浦雪とすれ違った。

「おはよう、花太郎君、古鳥君、風間君」

「おはよう、雪ちゃん」

「おはよー」

「おはようございます」

 雪は穏やかな声で花太郎たちにあいさつすると、隣にいた女子と楽しそうにおしゃべりして通り過ぎて行った。

 思わず花太郎の顔が緩む。

「可愛いな、雪ちゃん」

 すかさず背後にいた古鳥と風間に指摘される。

「おい、花太郎。鼻の下が伸びてるぞ?」

「花太郎は、雪ちゃんのことになると締まりがなくなるからねえ」

 二人の言葉も花太郎の耳には届いていない。

 古鳥と風間は、呆れたように肩をすくめる。

「馬っ鹿じゃないの?」

 花太郎の背後から鋭利な一言が飛んでくる。

「雪が、花太郎みたいな冴えない地味な男に振り向くと、本気で思ってるわけ? 馬鹿じゃないの?」

 お花畑だった頭の中が、一瞬で極寒の雪原へと変わる。

 花太郎は恐る恐る声のした方を振り返る。

「そ、その声は、月ちゃん?」

 そこにはテニス部の朝練を終えた月子が腰に手を当てて立っている。

 十分に美人で通る顔立ちだが、鋭い眼差しが花太郎にとっては怖いくらいだった。

 月子はつかつかと花太郎の前まで歩いて来る。

 風間と古鳥が廊下の両脇に避ける。

 スタイルの良い月子は、花太郎より少しだけ背が高かった。

 花太郎をわずかに見下す格好になる。

「雪はあんたのことなんて、ただの幼馴染であること以外、何とも思ってないんだから。毎年のバレンタインにクラス中の男子生徒全員にチョコレートを配るのだって、ただの義理なんだからね? まさかとは思うけれど、雪に変な期待を持ってるんじゃないでしょうね? あんたが雪に下手な期待を持っても、まったくの無駄なのに。まあ、来年はそんな期待も抱かないだろうけれど」

 月子は花太郎を憐みの目で見つめる。

その言葉に花太郎の心は串刺しになる。

月子の最後の言葉にひっかかりを覚える。

「月ちゃん、今、来年がどうとかって言わなかった?」

 花太郎に指摘され、月子の顔がむくれる。

「べ、別に、特別な意味はないわよ。ただの言葉のあやってことで」

「本当に?」

 花太郎は月子の顔を見上げる。

 月子は見るからに気まずい様子だった。

「もう、わかったわよ。全部話すわよ。雪はね、もうすぐ留学で海外に行くの。だから今年のバレンタインでチョコをあげるのが最後ね、って意味よ」

 花太郎には初耳だった。

「雪ちゃんが? いつ海外に行くの?」

 花太郎は月子の方に身を乗り出す。

 それには勝気の月子の方がわずかに押されている。

「雪ちゃんは、いつ行くの?」

 じいっと見つめられ、月子は渋々答える。

「色々と準備もあるから、まともに学校に通えるのは、バレンタインまでよ」

「ありがとう、月ちゃん」

 花太郎はきびすを返し、走り出そうとする。

「ちょ、ちょっと花太郎。何をしようって言うの?」

 すかさず月子が花太郎の後ろの襟首をつかむ。

「ぐえっ」

 走り出そうとした花太郎の首が締まる。

「雪はもう留学することは決まってるのよ? あたしたちにどうこう出来ることじゃないわよ?」

 襟首を離してもらった花太郎は、月子を振り返る。

「それは、そうだけど」

 花太郎は口ごもる。

「雪ちゃんには、今までお世話になったからね。何かぼくに出来ることがないかと思って」

 ごにょごにょと小声で言う。

 月子は花太郎に顔を近付けてくる。

「本当に、それだけなの?」

 疑わしい目付きで眺めてくる。

 花太郎の反論を許さないかのような目付きだった。

 月子は花太郎から離れ、大きく溜息を吐く。

「あたしはてっきり花太郎が雪のことを好きだからって、告白でもするかと思ったのに」

「わわわっ!」

 花太郎の顔が真っ赤になる。

 辺りを見回す。

 廊下の壁際にいる古鳥と風間の二人以外は、運の良いことに近くに人の姿はなかった。

 花太郎はうつむいている。

「こ、告白なんて大それたこと、ぼくには出来ないよ」

「ふ~ん、そうなの」

 月子に軽蔑の目で見られる。

「じゃあ、このまま雪が遠くに行っても、あんたはそれで平気だって言うのね?」

「へ、平気じゃないけど」

 今朝は月子がいつになく花太郎に突っかかってくる。

 そうしている間に朝の会を告げるチャイムが廊下に響く。

「雪のこと、もっと真剣に考えなさいよ」

月子は鼻息荒くそう言い放ち、花太郎の隣をすり抜ける。

チャイムが鳴り響き、生徒たちが急ぎ足で教室に向かう中、花太郎は廊下に立ち尽くしていた。


 *


(雪ちゃん、あと一ヶ月もしないうちに留学するんだ)

 授業中、花太郎はずっとそればかりを考えていた。

 期末試験が近いにも関わらず、まともに授業内容が頭に入って来ない。

(寂しくなるなあ。ずっとみんな一緒だっと思ったのに)

 家が近いこともあって、雪や月子とは小学校以来の付き合いだった。

 花太郎の父親が病気で亡くなった時、親身になってなぐさめてくれたのが雪だった。

 それで好きになった。

 理由は単純だが、雪の優しさに花太郎は救われたのだ。

 以来、花太郎は口には出さないがずっと幼馴染の雪のことが好きだった。

 好きだと告白する勇気など花太郎には全くないのだが、このまま高校まではずっと一緒だと思っていた。

(ぼくも雪ちゃんに、何か恩返しが出来るといいのに)

 そんなことを考えていると、あっという間に午前中の授業が終わり、昼休みになった。

「やっぱり雪ちゃんが留学すること、本当らしいよ?」

 古鳥がどこからか仕入れてきた情報によると、留学の話はつい最近決まったらしい。

 場所はカナダ。期間は一年。

 ホームステイしながら、地元の学校に通い語学を勉強するのが目的らしい。

「でも、これから中学三年だと言うのにさ。雪さんも高校に入学する時に行けば良いのにな。そうすれば後一年、雪さんと同じクラスで一緒に過ごせたのにな」

 風間が椅子の背もたれにもたれかかりながらぼやく。

 花太郎は机に頬杖をついて溜息を吐く。

「雪ちゃんが留学する話、本当だったんだ」

 ショックのあまり、机に突っ伏してしまう。

「お~い、花太郎。生きてるかぁ?」

 古鳥が冗談半分に聞いてくる。

 花太郎は返事をせずに机に突っ伏したままごろりと横を向く。

「二月十四日か」

 月子に教えられた雪との別れの日を口にする。

 雪に何をしてあげるべきか、何を贈るべきかもわからないまま、その日は過ぎて行った。


 *


「起きなさい、花太郎!」

 次の日の朝、いつも通りに月子に起こされた花太郎は、のろのろとベッドの上に起き上がる。

「おはよう、月ちゃん。月ちゃんは今日も朝から元気だね~」

 花太郎はパジャマ姿で大きなあくびをする。

 月子は腰に手を当てて、ベッドのそばに立っている。

「なに? 月ちゃん」

 いつもならば花太郎を起こすとすぐに朝の部活の練習に行ってしまう月子だった。

 今日は珍しくそのまま部屋に留まっている。

 月子はぼさぼさの頭の花太郎をじっと見つめている。

「雪のこと、ただ見送るだけで本当にいいの?」

「へっ?」

 思っても見ない言葉だった。

 花太郎の頭から一度に眠気がふっとぶ。

「雪は一年の予定だと言っていたけれど、そのままあちらに滞在するかもしれない。雪は、自分の可能性をあちらで試すんだと言ってたわ。もしかしたらあちらで彼氏だって出来るかもしれない。雪が遠くに行ってしまっても、あんたはそれでもいいと思ってるの?」

 月子の単刀直入の問いに、花太郎は言葉を失う。

 花太郎はぼさぼさの頭をかく。

「月ちゃんには、ばれてたんだね。ぼくが雪ちゃんを好きなこと」

 月子は口をへの字に曲げる。

「そりゃあそうよ。何年幼馴染でいると思ってるの? あんたは単純だから、すぐ顔に出るのよね」

 怒ったように言い返してくる。

「そっかあ。それもそうだよね。月ちゃんは昔から鋭かったもんね」

 花太郎は照れ隠しに笑う。

 ふっと真面目な顔になる。

「ぼくだって、雪ちゃんに何かできることがあれば、してあげたいと思うよ? でも、ぼくなんかが、雪ちゃんにしてあげられることは思いつかないんだ。雪ちゃんは頭も良くて、優しくて、ぼくなんかが好きになったら迷惑なんじゃ……いてっ!」

 月子が花太郎の話の途中で頭をはたく。

「この馬鹿太郎! 何であんたはそうなのよ!」

 拳を振り上げて激昂する。

「ど、どうしたって言うんだよ、月ちゃん。いきなり怒り出して」

 月子はべしべしと花太郎の頭をはたき続ける。

 花太郎は訳が分からない。

「この馬鹿太郎、馬鹿太郎、馬鹿太郎!」

「ちょ、月ちゃん。やめてよ」

 花太郎は頭をかばったが無駄だった。

「何であんたはそんなに消極的なのよ!」

 顔面に拳が飛んでくる。

「ぐえ」

 花太郎は顔を殴られて、ベッドの上に倒れる。

 月子は怒り心頭で倒れた花太郎に怒鳴り散らす。

「なんか? ぼくなんか、って何よ! 何自分自身に対して卑屈になってるのよ! 何もしていないうちから、何消極的なこと言ってんのよ! 馬っ鹿じゃないの?」

 花太郎は殴られた鼻をさすりながら、むっくりと起き上がる。

「で、でも、月ちゃん」

「黙りなさい! そんなこと今度言ったら、あたしがはっ倒すわよ?」

 月子に本気でにらまれたら、花太郎は黙るしかない。

「返事は?」

「……はい」

 花太郎はベッドの上にパジャマ姿で正座する。

 こんな時、月子に逆らっても無駄なことはわかり切っていた。

「二度とそんな口が叩けないよう、これから一ヶ月の間、あたしが花太郎のたるんだ根性を叩き直してあげるわ! そして一か月後の二月十四日のその日に、雪に告白しなさい! あんたのうじうじした態度を見ていると、こっちがいらいらするのよ。雪に告白して、いっそすっぱりと振られなさい!」

「えぇ? ぼく、雪ちゃんに振られるの前提?」

 最初から振られる前提で話が進んでいることに、花太郎はショックを受ける。

 正座をしながら涙目になる。

 それには触れず、月子は話を続ける。

「せめて少しでもあんたが無様に振られないよう、あたしがあんたの根性を元から叩き直してやるのよ! 明日は今日より一時間早く迎えに来るから、あたしと一緒にランニングするのよ! そして今度の期末テストで良い点とって、少しでも雪の印象を良くするのよ。そのためには寝る間も惜しんで勉強するの! わかったわね?」

 花太郎はあまりのことに、言葉もなく黙り込む。

「返事は?」

「……はい」

 こうして月子の猛特訓が始まった。

 花太郎は月子の愛犬ポチと一緒に、毎朝川原の道をランニングすることになる。

「ほらっ、しゃきしゃき走る!」

 月子はポチの手綱を握りしめ、川原を軽快に走っている。

「ま、待ってよ、月ちゃん。ちょっと休もうよ」

 走り慣れていない花太郎はもう息が上がっている。

「何寝ぼけたこと言ってるのよ。休憩なんてしてたら、学校に遅れちゃうでしょう?」

 いつも通り学校に向かう途中、花太郎の家に寄った古鳥と風間は、花太郎から事情を聞いて難しい顔をする。

「それは月子さんにそんな話をすれば、当然そうなるだろう」

「花太郎も災難だな。せいぜい頑張れよ」

 友達の古鳥と風間はそう言って、肩をすくめた。

「雪に気に留めてもらうためには、まずは次の期末テストで良い点を取ることが必須よ!」

 月子にその日の授業の内容をノートにまとめてくるよう言われ、それを毎日月子に提出することが求められた。

 花太郎が毎日提出するノートには、月子が赤ペンで間違いを直し、返って来る。

 さすがは成績優秀、スポーツ万能の月子だった。

「ここの直されたところは、後で復習しておくこと」

 花太郎は仕方がなく、その間違えたところを直すのだった。

「月子さんも、よく毎日続くよな」

「いや、それよりも花太郎こそ、それだけ月子さんにしごかれつつも、逃げ出そうと思わないところがすごいな」

 そうして古鳥と風間に見守られ、月子にしごかれる毎日が一ヶ月近く、二月十四日まで続いたのだった。


 *


「やっとテストが終わった~」

 全教科のテストが終わり、花太郎は机に頭から突っ伏していた。

 テストの終わった喜びを噛みしめる間もなく、月子がやってくる。

「気を抜いてんじゃないわよ。本番はこれからよ? 次は雪にどうやって告白するかを考えなさい」

 机のそばに立つ月子を、花太郎はのろのろと顔を上げて見る。

「やっぱり、ぼく、雪ちゃんに告白しなきゃいけないんだ……」

 花太郎は溜息を吐く。

 月子の眉が跳ね上がる。

「当たり前でしょう? 何のためにあたしが一ヶ月近くあんたをしごいてきたと思ってるの?」

「……そうだよね」

 花太郎は顔を動かして、教室に雪の姿を探す。

 雪は教室の隅で友達と楽しそうにしゃべっている。

 花太郎は眩しいものを見るように目を細める。

「うん、そうだよね。ぼく、頑張るよ」

 机から起き上がり、誰にともなくつぶやいた。


 *


 バレンタインデーがいよいよ明日に迫ったある夜、花太郎はいつものように花屋の手伝いをしていた。

 三年前に父親が病気で亡くなってから、この花屋を母親受け継ぎ、代わりに切り盛りしている。

 いつも学校から帰って来ると、花太郎は花屋の手伝いをし、店が閉まるまで母親と一緒に働くのだった。

「後はこの花輪を作ったら、今日の仕事は終わりだからね」

 母親は葬式用の白菊の花輪を作っている。

 最近は花を買う人も以前ほど多くなく、花屋と言っても葬式用の花輪を作るのが普通だった。

 一方の花太郎ははさみで白菊を同じ長さに切り揃えている。

 余分な枝葉を切り落としている。

「ねえ、母さん。明日で、雪ちゃんともお別れなんだ」

 母親は花輪を作る手を止めて、花太郎を振り返る。

「あぁ、松浦さんちの娘さんね。今度留学するんですってね。ご近所様から聞いたわ」

 花太郎はうつむいて、ぱちりぱちりと白菊の枝葉を切り落としている。

 緑の枝葉が床に溜まっていく。

「それでね。ぼく、雪ちゃんに何かプレゼントをあげたいんだ。雪ちゃん、何をあげたら喜んでくれるかなあ?」

 母親は優しげに笑う。

「あなたが心を込めて選んでプレゼントした物なら、きっと喜んでくれるわよ。雪ちゃんは優しい子だもの」

 母親は花太郎に背を向ける。

 花太郎は机の上の白菊をじっと見つめている。

(ぼくが心を込めて選んだ花なら、父さんみたいに喜んでくれるかな?)

 花太郎は死んだ父親のことを思い出す。

 父親は見舞いのたびに花太郎が持っていく生花をとても喜んでくれた。

 けれど病院は生花の持ち込みが駄目だったので、帰りには持ち帰らなくてはならなかった。

 それでも毎日父親の病室に花を持っていたのは、父親がとても喜んでくれたからだった。

 病気で日に日に弱っていく父親姿を見ながら、花太郎は毎日花を届けた。

 父親に喜んでもらいたい一心で、花を病室に届け続けた。

「雪ちゃん、喜んでくれるといいな」

 花太郎は机の上の葬式用の白菊を眺めながら、死んだ父親のことを思い出していた。


 *


 バレンタイン当日の朝、花太郎はいつもよりも早く学校に来て、校門の前で雪を待っていた。

 生徒たちが登校してくる中、道を歩いて来る雪の姿を見つける。

「あ、雪ちゃん」

 雪は女子生徒たちと連れ立って歩いて来る。

 花太郎はさっと雪の方に駆け寄る。

「雪ちゃん、これを受け取って……ぶっ!」

 何もない通りでつまづき、顔面から倒れる。

 通りを歩いていた生徒たちが何事かと思い立ち止まる。

「あ~あ、あいつドジだなあ」

「花太郎、ファイト!」

 校門の前で花太郎の様子をうかがっていた古鳥と風間は、小声で応援する。

「花太郎君、大丈夫?」

 転んだ花太郎に気が付いた雪が駆け寄ってくる。

「あいつ、何やってんだか」

 同じく校門の前で見守っていた月子が溜息を吐く。

 月子は花太郎が心配で、テニス部の朝練をわざわざ抜けてきたのだった。

 転んだ花太郎はむっくりと起き上がる。

「ごめん、ぼくは大丈夫だから」

「そう、良かった」

 雪はほっと安堵の息をつく。

「そうだわ。花太郎君に渡すものがあったんだわ」

 雪はごそごそと自分の持っていた鞄の中を探る。

 きれいに包装された紙袋を取り出す。

「これ、花太郎君にバレンタインのチョコレート。上手く作れたかどうかは自信ないのだけど」

 雪は困ったように笑う。

「これを、ぼくに?」

 花太郎は砂で汚れた手でチョコレートの紙袋を受け取る。

 感動のあまり、言葉を失う。

 目を潤ませながら、何とか言葉を絞り出す。

「ありがとう、雪ちゃん。それでね、ぼくも雪ちゃんにプレゼントがあって」

 花太郎は手に持った袋の中から小さな花束を取り出す。

「これを雪ちゃんにと思って」

 今朝、学校に来る途中にある母親の花屋に寄って、雪のために小さな花束を作った。

 かつて入院していた父親に毎日持って行ってあげたように。

 花太郎自身が花を選び、色合いを考え、様々な色合いのバラの花束を作ったのだ。

「よ、喜んでもらえるかどうか、わからないけど。今までありがとうの意味を込めて、雪ちゃんにお礼がしたかったんだ」

 花太郎はつっかえつっかえ言葉を選び、雪に自分の気持ちを伝える。

「雪ちゃんが留学すると聞いたから。ぼく、雪ちゃんのことが大好きだよ。外国に行っても元気でいてね?」

 校門の前で見守っていた月子、古鳥、風間の三人は、花太郎の告白の言葉を聞いて、頭を抱える。

「それじゃあ、雪に気持ちが通じないでしょ?」

「あれじゃあ、友達としての好きだよ」

「花太郎、ドジだなあ」

 三人とも溜息を吐く。

 雪は花太郎の差し出した小さなバラの花束をそっと受け取る。

「これを、わたしに?」

 花太郎は赤い顔でこくこくと何度もうなずく。

 雪はじっと花束に見入っている。

 ぽろりと雪の両目から涙がこぼれる。

「うれしい」

 雪は涙を指でぬぐいながら、うれしそうに花束を胸に抱く。

「わたし、ずっとずっと花束が欲しかったの。だって、わたし実力がないからいつももらえなくて、大会でも誰にもかえりみられないと思ってたから」

 花太郎には雪の言葉の意味がわからなかった。

 その場にいた誰も、雪の涙の理由を知らなかった。

ただ一人、幼馴染の月子だけはそれを知っていた。

「雪……」

 月子は雪が留学する本当の理由を知っていた。

 雪が小さい頃からバレエを習っていることは知っていた。

各地の大会に出て、昔はよく賞を取っていたのを知っていた。

 けれど最近は実力が伸び悩み、そのせいで悩んでいるのも知っていた。

 月子はかつて雪にその悩みを打ち明けられた。

「月ちゃん、わたし、どうすればいいんだろう? このままバレエを続けていいのか、やめた方がいいのか、わたしはわからないの。先生もお父さんもお母さんも、このまま続けるべきだと言うけれど、わたしはこのままバレエを続けて上達するかどうかわからなくて。わたしよりも実力のある子がどんどん出てきて、良い賞を取ってる。わたし一人ずっと上達しないままじゃないかと思うと不安で、どうしたらいいかわからなくなるの」

 月子は雪の悩みにどう答えればいいのかわからなかった。

 安易な言葉は掛けれなかった。

 雪がバレエのことで真剣に悩んでいるのを知っていたから。

 雪がバレエを大好きなことは、ずっとそばで見ていて知っていたから。

 一年の海外留学だって、外国のバレエの学校に入学して自分の実力を試すためだった。

 そのバレエ学校はとても厳しくて、一年で退学していく生徒も数多くいると聞く。

雪はバレエのことをとても真剣に考えている。

 月子は雪のことを素直にうらやましいと思った。

 ただ純粋にバレエのことだけを考え、一生懸命努力する姿は、月子にはとても真似出来ないと思った。

 月子はテニス部に所属しているものの、テニスのことをそれほど真剣に考えている訳ではない。

 ましてや雪のように将来のことを真剣に考えてはいない。

「雪ちゃん」

 泣いている雪を見て、花太郎はおろおろと取り乱している。

 雪は涙を指でぬぐい、顔を上げる。

「素敵な花束をありがとう、花太郎君」

 清々しい笑顔で花太郎を見上げる。

「わたし、花太郎君やみんなのこと、外国に行っても片時も忘れないから。一生懸命頑張るから」

 雪はどこか吹っ切れたようにそう言った。

「うん、頑張って、雪ちゃん。雪ちゃんならきっと出来るよ」

 朝の光の中、花太郎は穏やかに笑っている。

「落ち着いたら、また手紙書くね」

 雪は花束を胸に抱き、花太郎に手を振った。


 *


 放課後、人のいなくなった教室で、花太郎はテストの順位表を眺めていた。

 窓からは夕日が差し込み、茜色の光に染まっている。

「雪は、留学の準備があるからって、先に帰ったわよ?」

 花太郎は順位表から顔を上げる。

 月子に向かって人の良さそうな笑顔を向ける。

「月ちゃん、ありがとう。月ちゃんが勉強を見てくれたおかげで、前よりずっといい点数が取れた。それに最後に雪ちゃんに気持ちを伝えることが出来た。全部、月ちゃんのおかげだよ。ありがとう」

 月は黙って夕日の色に染まった花太郎の顔を遠くから見つめている。

「別にあたしの感謝する必要はないわよ。あたしは当然のことをしたまでで」

 月は花太郎から視線を逸らし、口ごもる。

「そういえば、いつもの二人がいないみたいだけど」

 花太郎は首を傾げる。

「古鳥君と風間君のこと? 二人なら用事があるって言って出てったよ。もうすぐ帰って来るとは思うけど」

「そう」

 月子は辺りを見回し、人のいない教室につかつかと入ってくる。

 すぐそばで立ち止まり、じっと花太郎の顔を見つめる。

「ねえ、花太郎。もしも、雪がずっと留学から帰って来なかったら、どうするの? あんたは雪のことが好きなんでしょう? 雪のことを待ち続けるの?」

「へ?」

 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったので、いきなりの月子の質問に、花太郎は戸惑う。

「ど、どうなんだろう」

 花太郎は困ったように頭をかく。

 そんなこと一度も考えたことがなかった。

 そもそも月子に言われるまで、雪に思いを伝えることさえ考えつかなかった花太郎だった。

 夕日の差し込む教室に気まずい沈黙が落ちる。

 花太郎は途方に暮れて天井を見上げ、月子はじっとうつむいている。

「ねえ、花太郎。あたしじゃ、駄目かな?」

 月子は顔を上げる。真っ直ぐに花太郎を見つめている。

「あんたが雪のことを好きなのは、ずっと知ってた。けど、あたしだって、ずっと花太郎のことが好きだったのよ?」

 突然の月子の告白に、花太郎は口を開けて凍りついた。

 教室の廊下では、用事から帰ってきた古鳥と風間がそろって聞き耳を立てていた。


おわり

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