50.災厄の種※ラル視点
「おいおい、どうした色男。そんな暗い顔をして」
すっかり腕が完治した僕は、リハビリも終え、仕事にも通常通り復帰していた。
その日の休憩中、騎士団の休憩室で一通の手紙を読んでいた僕のもとに、陽気な声を上げながらギドが近寄ってきた。
「お前は今、幸せのまっただ中にいるんじゃないのか?」
からかうように笑っているギドに、僕は読んでいた手紙をさっと内ポケットに隠し、彼に向き直る。
「ああ、そうだよ。式でエレアが着るドレスをどうしようか考えていたんだ」
確かに僕は今、幸せのまっただ中にいる。
エレアと婚約して、腕の怪我も治った。
愛しいエレアを両手で抱きしめることができるし、魔導師団に入団したエレアと、時間が合えば王宮内でも会うことができる。
だからすぐに笑顔を浮かべてそう言ってやれば、ギドはピクリと片眉を持ち上げ顔をしかめた。
「く……っ! 羨ましいなぁ! まったくこいつは!!」
「はは、それじゃあ僕はもう行くよ」
「なんだ、もう行くのか。もっと惚気話を聞いてやろうと思ったのに」
険しい表情で手紙を読んでいたから、ギドは僕に何か問題でもあったのかと、気にかけてくれたのだろう。いい奴だからな。
だが、この件は彼に話すことではない。誰にも余計な心配はかけたくない。
休憩室を出た僕は、扉を閉めて溜め息をひとつついた。
さて、どうしたものか……。
この手紙は、エレアの元義兄である、ツィロ・ホルトからのものだ。
若くして伯爵位を継いだツィロだが、相変わらず領地経営がうまくいっていない。
エレアをうちで引き取る際、キルステン家はホルト家と取り引きを行うことを約束している。だから今でもホルト家と関わりがあるのだが、ツィロは資金繰りに困っているから金を貸してほしいと、個人的に僕に手紙を寄越してきたのだ。
それでなくても、エレアを引き取るために、父はホルト家に十分な金を渡しているというのに。
ホルト家と未だに繋がりがあることを、エレアに気づかれるのは避けたい。ましてやツィロの名前など、二度とエレアの耳に入れたくないのだ。
しかし、金を貸しても返ってこないことはわかっている。
「……いっそ潰れてもらおうか」
放っておいたら勝手に自滅しそうだが、今まではエレアの実母がいる家だと思い、力になってきた。
しかし、実母でありながら本人は一度もエレアに手紙のひとつも書いて寄越したことがない。エレアを引き取るときも、実母はいくら金が入るのかを気にしていたらしい。
正直、そんな母親にいつまでも情けをかける必要はないのかもしれないと思ってしまう。キルステン家は金も知識も十分に与えたのだ。あとは自力でなんとかしてもらいたい。
しかし、ツィロからの手紙を無視し続けて、二週間が経った頃だった。
「――何をしているのですか」
「ああ、ラルフレット様。ご無沙汰しております」
その日、突然ツィロが王宮へやってきた。仕事中の僕を訪ねてきたのだ。
「手紙、読んでくれましたか? お返事が遅いので、直接会いに来てしまいましたよ」
「困りますよ、僕は仕事中なのですから」
城の者からツィロの来訪を聞き、仕事を抜けてきた僕は、応接室のソファで優雅にお茶を飲んでいた彼と向き合った。
「ああ、でもお屋敷のほうへ行くよりいいと思ったのですが……今度はそっちに行こうかな。エレアにも会いたいし」
「……なんだって?」
「エレアは元気ですか?」
冷たい印象を受ける、白に近い白金色の髪を短く後ろで束ねているツィロの口から出てきたのは、エレアの名前。
「義妹が元気でやっているか、たまには様子を見に行ってもいいですか?」
「元気ですよ。貴方が気にする必要はありません」
「本当かな。何せ貴方は手紙の返事も書けないくらいお忙しいようですから」
「……」
性格の悪さが顔に出ているかのように歪んだ唇の端が、ニッと持ち上がる。
エレアをこの男に会わせたくない。だから、うちに来られるのは困る。取り引きを決めた際、彼が直接うちに来ることはしないよう、約束しているはずだ。
せっかく元気になったエレアに、今更嫌なことを思い出させたくはない。
「本当の目的はなんですか」
この男が今更義妹を心配しているはずがないのだ。目的が金であることはわかっている。
「さすがラルフレット様。ほんの少しでいいので、お金を貸していただけないでしょうか?」
下卑た笑みを浮かべて僕を見る毒のような紫色の瞳に、内心で息をつく。
「わかりました。ですがこれが最後の援助です。それから、貴方が直接エレアに会いに行くことはないと約束していただきたい。もし破ったら、ホルト家との取り引きは中止する」
「はいはい、ありがとうございます」
笑いながら適当に返事をしているツィロの顔に苛立ちを覚えつつ、金と一緒に誓約書を用意することを決め、その場はお帰りいただいた。
しかし――
「困ります。あれが最後の援助だと言ったでしょう?」
父と母がしばらくの間領地に戻り、家を空けている間に、ツィロがキルステン家を訪れてきた。
自室にいるはずのエレアには気づかれないよう、彼女の部屋から離れた応接室で僕は彼と向き合った。
「これが本当に最後です。あと少しだけ資金があれば、必ず立て直してみせます。ですからどうか、あと少しだけお金を貸してくれませんか?」
「……っ」
この男には、いくら金があっても無意味なのだろう。
女か、酒か、ギャンブルか……。
何に使っているのか知らないが、どうせ先日渡した金も仕事のための資金ではなく、己の欲を満たすために使ったのだろうということが安易に想像できる。
「これ以上しつこくするようでしたら、ホルト家との取り引きは中止にさせていただく」
父が留守の今、この家の指揮を任されているのは僕だ。それに、父も僕と同じ意見だろう。
「……残念です」
さすがにうちとの取り引きがなくなればホルト家の衰退が一気に進むのが目に見えているのか、僕のきつい言葉にツィロは肩を落として大袈裟に落ち込む素振りを見せて呟いた。
「お帰りください」
それでも同情を見せず立上がり、お帰りいただくよう促すと、彼はぎゅっと拳を握りしめて重たい足取りで部屋を出ていった。
彼を見送るのは使用人に任せて、僕は一旦ソファに座り直して溜め息を吐く。
エレアの母親のためにもツィロには真面目に働いてほしいが、場合によっては潰れてしまっても最早仕方ないだろう。
そうなることも覚悟して、その後の彼らの行く末をどうしようか考えていた僕に、想像より最悪な展開が待っていることになるとは、まだ考えもしなかった。




