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学校の門をくぐって外に出ても、手汗で湿った反省文が石のように重い。
「なんで僕だけが怒られなきゃいけないんだ」
ほかのクラスメイトだって落書きしてたり、寝てたりしてるのにいつも僕だけが怒られる。
つまらない授業をしているあの先生が悪いんだ。
きっと隣の教室の先生だったら僕だってしっかりと授業を聞いてる。先生の声しか聞こえない僕たちの教室と違って、いつも笑い声が聞こえてくるんだ。僕の先生は隣の教室から笑い声が聞こえると眉を顰めているけれど。
道端に転がっている小石を蹴る。
コロコロと小石が転がった。どんなに考えたって僕は悪くないから何を反省文に書けばいいか分からない。
今度は地面を削るみたいには小石を強く蹴った。
思っていたよりも小石は飛ぶように遠くに転がっていく。
アッと思ったときには遅かった。
蹴った小石は小さな女の子の足にぶつかって止まった。買い物をしている母親の服の裾を握っている小さな女の子が不思議そうに周りをキョロキョロと見渡している。
人に当たるなんて考えていなかった。女の子の母親にバレたら怒られるかもしれない。
今日は何もかも上手くいかない。
右手の中の反省文がクシャリと音をたてた。
謝ろうとしても、声が喉に引っかかって出てこない。
女の子と目があった。思わず目を逸らした。
僕よりも小さい女の子に何やってんだろう。
冷たいレンガの地面をただじっと見ていると、コロコロと足元にさっきの小石が転がってきた。弾かれたように顔を上げる。
「ごめん、当たると思ってなくて。ケガはない?」
女の子と目があった瞬間、咄嗟に謝った。謝ることができた。
女の子がグッと親指を立ててニカッと笑う。向日葵みたいな女の子の笑顔に心が軽くなった。
「ありがとう」
僕はくしゃくしゃになった反省文を鞄に押し込むと、空いた右手の親指を立てて女の子と笑った。
女の子の母親の買い物が終わったらしい。母親に手を引かれて歩いていく女の子は、笑顔で母親を見上げて笑顔で何かを話している。一生懸命話している女の子に母親は優しく頷いて頭を撫でた。
羨ましい、ただそう思った。最近の僕のママは仕事で忙しくてあまり話せていないのだ。しばらく頭も撫でてもらっていない。
朝、机に残された小さなメモと冷えたご飯だけがママを感じることができる。
女の子から返してもらった小石を軽く蹴る。次は誰にも当たらないようそっと転がすように。
パパが死んじゃう前はよくママの買い物についていっていた。あの女の子の母親の優しい笑顔がママの笑顔と重なった。
早くママと会って、お話がしたい。
また小石を蹴る。ころころと転がった小石は狙い通りに側溝の隙間に落ちていった。
「やった、今日初めてうまくいった。」
顔を上げて、深く息を吸う。
どこかの店から、美味しそうなご飯の匂いがただよってきた。ご飯の匂いを嗅いだらお腹がすいてくる。
誕生日だから早く帰ってきてグラタンを作って一緒に食べようってメモが、朝起きた時机に置いてあったのを思い出した。ママのグラタンはお店のとは別の美味しさがある。
いつも朝から晩まで仕事を頑張っているママの笑顔が見たい。仕事はしたことないからよく分からないけど、きっと勉強と同じくらい大変だと思うから。
ママが笑顔になるプレゼントを探すために、活気あふれる市場の中央へと足を向けた。
何かいいものないかなと考えながら市場を歩く。
キラキラしたアクセサリーに甘い匂いがするフルーツ、活きのいい魚。
どれもいいけれど、どれもしっくりこない。
「カリストっ、大丈夫か?」
「わぁっ」
腕を組んで唸りながら歩いていると、鍛冶屋のおっちゃんに大きな声で呼び止められた。
ムキムキの日焼けした筋肉に黒のタンクトップを着たおっちゃんの見た目はかなり怖い。
よく飴やお菓子をくれるから怖くない人ってのは分かっている。分かっているけれど急に大声で名前を呼ばれると、体が強張る。
「ごめんごめん」と笑いながら、手をふって小走りでおっちゃんは近づいてきた。
「びっくりした」
胸に手をあてて深呼吸する。
「浮かない顔してどうしたんだ。また先生にでも怒られたか?」
おっちゃんが心配そうな顔で覗きこみながら、飴を差し出してきた。背中に当てられた大きくて温かい手がパパの手みたいで落ち着く。
「まぁね。先生に今日も怒られた。みんなだって授業聞いてないの僕だけいっつも怒られるんだよ」
おっちゃんの手から飴を受け取りながら答える。
そうかそうかと頷くおっちゃんに気が良くなって、話し過ぎる。
「先生に怒られたのは反省文書かなきゃいけないこと以外別にいいんだよ。慣れてるしね。じゃなくて、ママに何かプレゼントできないかなぁって考えてた」
「えらいなぁ、カリストは。ママのことが大好きなんだな」
「そんなことないよ。なにも思いつかないし」
小っ恥ずかしくて否定する。好きは好きだけど、大好きじゃない。
ママは僕より仕事をよく優先して家にいないから。
「おっちゃんは何をあげたらいいと思う?」
褒められるのは慣れていない。話を逸らす為におっちゃんに尋ねた。
「そうだなぁ、ママの好きなものとか分かるか?」
「ママが好きなもの」
呟いて腕をくんで考える。
最近は家にいる時間は少ないけど、パパがいた頃はよく庭にいた。庭でしゃがんでいるママを後ろから抱き着いて驚かしたのが懐かしい。その時の土の匂いが好きだったな。昔は綺麗な花で埋め尽くされた花壇に今は草が生い茂っている。
そこまで考えて、思い出した。
「花っ!ママはお花が好きだと思う。昔よく庭で、お花のお世話してたから」
「花かぁ。いいな」
「うん!お花探してくる」
もらった飴を持った手でおっちゃんに大きく手を振る。
ママにプレゼントするものが見つかって、走りだす。駆け出す時に、おっちゃんが優しく手を振ってくれるのが見えた。
良いことが1つ起きると、良いことが続くんだ。
活気あふれる市場を花を探して、軽い足どりで歩く。
陽気な音楽のリズムに合わせて体が勝手に動く。音楽のタイミングに合わせて、手を叩くと柔らかい風が前髪を揺らした。
「最高だ」
そう叫んだ僕の笑い声が市場に溶け込んだ。




