◆第90話:偽りの楽園◆
“いつもの朝”――。
昨日をそのまま写したような朝だった。
焼きたてのパン、温かなスープ、明るく響く「いただきます」の声。
だが、エクリナはすでに、そこに違和感を隠しきれずにいた。
「ルゼリア、その本……昨日も読んでおったな」
「え……? あ、はい。お気に入りなので」
ルゼリア――整った深紅の短髪と緋色の瞳が、ややぎこちない笑みを浮かべる。
それは、どこか“用意された答え”のようだった。
(やはり……繰り返している。昨日と同じ光景、同じ言葉……)
もう“偶然”では済まされない。
完璧なはずの日常に、演出のような“継ぎ目”が見えてきていた。
◆
午後。街のカフェ。
テラスの同じ席、同じカップ、同じスイーツ。
カップを置く音、風鈴のような食器の響きまでもが、寸分違わず昨日と同じだった。
「このスイーツ、新作だって!」
とライナが元気に差し出すが――
(……昨日も食べていたような……)
既視感。いや、もはやそれ以上。
“昨日と同じ今日”を繰り返しているという確信。
(何度も、何度も……この日々を繰り返している)
笑顔で語らう家族たちの声も、なぜか遠く、空々しく感じられた。
まるで、ガラス越しに聞いているかのように。
◆
夜。庭を一望できるテラス。
風の音も、虫の声も、まるで意図的に消えたかのような沈黙。
エクリナは隣に座る男へ、震える声で問いかけた。
「セディオス……うぬは、本当に……ここにいるのか……?」
隣に座る男は、茶髪を揺らして、静かに微笑む。
だが、エクリナがその顔を覗き込んだ瞬間――
一拍。
その瞳に、自分が映っていなかった。
「違う……違う違う違う!」
椅子が倒れ、エクリナは駆け出すように庭へ飛び出した。
◆
庭は、あまりにも静かだった。
月も、星もない空。
風も、音も、匂いすらしない。
「……夢、だったのか……?」
その瞬間――視界が崩れた。
空間が裂け、音が消え、色が抜け落ちていく。
ただ“虚無”だけが広がり、重力すら失われたように足元が浮いた。
(我は……どこに……?)
白と黒の境界すら曖昧な世界に、エクリナは一人取り残された。
◆ ◆ ◆
目を覚ますと、そこは冷たい石造りの牢屋だった。
錆びついた鎖が両手首を縛り、身体中には無数の傷痕が刻まれている。
ボロボロの布を纏い、冷えた床に横たわっていた少女――。
「っ……う、あ……?」
銀糸の髪は汗と血に濡れ、碧い瞳が微かに揺れる。
空想のような日常は消え去り、そこにあったのは、ただただ現実の“痛み”だった。
冷たい鉄格子の先に、光はなかった――。




