◆第315話:マセタの種火◆
陣地構築の実演を終えた午後。
ルゼリアとエーデルは初等科二年の講義に参加していた。
二人はいつも通り、講義室の一番端に座り、教室の様子を眺めていた。
今日は――マセタの変化を見届けるためであった。
時間になると、マセタはいつも通り教壇に立つ。
四十五人の学徒は席に着き、緊張の面持ちでマセタを見ていた。
彼らにとっては、いつも通りの面白味の無い、意味があるのか分からない講義。
記録用の手帳を広げ、いつもの長文を書き写す姿勢を取っていた。
その構えをマセタはジッと見渡し、これまでを少しだけ振り返っていた。
そうして、口を開く。
「今日は手帳を閉じていいですよ。予定を変更して実習を始めますので、不要です」
相変わらずの堅苦しい口調。
しかし、告げられる言葉は学徒にとって驚きであった。
初等科一年から教わっているマセタ講師。
これまで、予定された講義を急遽変更することなどありえなかった。
(驚くのも無理はないですが……まずはやれることやるべきです)
学徒の率直な反応を見やるマセタは、それでも今日決めた内容を実行し始めた。
「先般教えた魔法式と術式について説明しましょう」
そう言いながら、黒板に〈ブラゼ〉の魔法式を書いていく。
それは基本に忠実、教本となった魔法書に書かれているままの内容であった。
「これは種火の魔法、ブラゼです。一年の時から書いている内容ですから、覚えている方も多いはずです」
学徒を見ながら語る声に、頷く学徒たち。
それほどまでに繰り返し教えていた魔法式であった。
適性が無くとも発動できる、低級にすら及ばない魔法であった。
「そして、それを術式にしたのが、この魔法陣です」
マセタは学徒がよく見えるように掌を向ける。
どの位置からも観察できるように大きく陣を描いていく。
それは空中に円をなぞるように黒板の魔法式をゆっくりと描き、それらが連なると最外周を円で囲んだ。
赤く眩い魔法陣――その美しくも、熱を無意識に感じる色は、学徒の瞳を染めるには充分であった。
それほどまでにわかりやすい所作であった。
「本来ならば、このあとで魔法名を唱えるのですが、この大きさでは危険なので止めておきます」
「さて、これまでの講義で基礎は十分備わっています。諸君らも同じようにやってみましょう」
実演を終えたマセタは、学徒たちへ魔法の発動を促した。
それは、これまでの講義の成果が無駄ではなかったと、マセタ自身が確かめるような声色でもあった。
「あ、種火といえども炎魔法です。手は上に向けてください」
注意事項を追加し、学徒の動きを見守る。
戸惑う学徒たち。
これまでの記録を見直し、魔法式を自覚していく。
そして、講義通りに魔核を意識して、魔力を運用していく。
掌に魔力を集めるイメージをし、頭に叩き込んだ魔法式を具現化していく。
学徒たちにとって初めての魔法。
掌の文様は霧散し、再構築を繰り返す。
顔を真っ赤にして魔力を集中させていく子供たち。
見せられた赤を追うように、新たな講義を試すように、自身のこれまでを注いでいく。
そうしていくうちに、掌に魔法陣が展開できる者が少しずつ現れる。
講義室のあちこちで、席ごとに微かな赤が灯っていく。
それを見たルゼリアは、動かず見守る。
(もう少し、あと少しです! 落ち着いて……)
自身の手を握りしめ、祈るように学徒たちの魔法を見つめる。
ボゥ、ボゥと、五人の学徒が〈ブラゼ〉を成功させる。
弱々しく、風が吹けば消えてしまいそうな篝火。
それでも、確かにその学徒たちは初めての魔法を達成していた。
「おおっ!」と、思わずマセタから歓喜の声が上がる。
今見えている光景は翌年に見えるはずだったもの。想定外の出来事に驚きを隠せなかった。
最初の五つの火が灯った瞬間、講義室の空気が変わった。
できるかもしれない。
その小さな確信が、隣の席へ、さらに後ろの席へと伝わっていく。
更に続くように〈ブラゼ〉の火はあちこちの席で灯っていく。
気付けば三十五名が成功していた。
だが――全員ではなかった。
誰でも初めてはあるし、当然初めての失敗も起こりえる。
それが、残りの十名であった。
懸命に頑張る初等科二年――十一歳の子供たち。
何度繰り返しても発動できない魔法に涙目になる学徒たち。
周囲ができれば、落ち込むのも当然であった。
そんな時――
「適性外でも可能な魔法です。安心してください」
「まずは、教わった通りに基礎から焦らずに始めていきましょう」
ルゼリアは魔法が放てない二人の学徒の席に寄ると、諭しながら少しずつ基礎を踏んでやり直しを始めていた。
それはまるで講師のように優しくも論理的に教示していた。
その言葉に促され、ゆっくりと着実に魔法陣を展開する学徒。
最後に〈ブラゼ〉と言うと、灯火が赤々と放たれた。
自身の掌を見つめる二人の学徒。
その瞳には、これまでの苦労が報われたような感動が宿っていた。
それを見ていたマセタ。
窓際をみれば、学長が別の学徒を指導していた。
瞬く間に成功させる三人の学徒は歓喜していた。
ルゼリアとエーデルの行動を遠目から見ていたマセタは――
(今日は視察だけと言っていたのに、おせっかいな二人ですね)
「昔もこうして教えてくれましたね、エーデル先生」
マセタは口元を緩ませると、まだ魔法が発動できていない学徒五名に近寄り、同じ内容の講義を行った。
三人の指導者が揃う講義室。
講義の時間が終わる頃には、四十五名の学徒たちは全員種火の魔法を放てるようになっていた。
もちろん、習熟度は様々なれど、それでも皆初めての魔法を展開することができた。
こうして、マセタの挑戦は確かな成果を残して終わった。
マセタは教壇を降りる前に、一度だけ自分の掌を見下ろした。
そこに火はない。だが、初めて《ブラゼ》を灯した日の熱だけは、まだ残っている気がした。
「初めての魔法ですか……僕自身もまだ成長すべきですね」
種火魔法〈ブラゼ〉を成し遂げた学徒たち。
沸き立つ部屋を静かに出ていくマセタは心なしか満足そうな笑みを浮かべているようであった。
堅実な講師が新たな道を見い出していた。
講義室から去るマセタを見送った後、エーデルが近くの学徒たちに言う。
「ひひひ、いくら勉強してもな、初めての火を灯せねば、魔法とは言えんのじゃあ」
「今年の初等科二年生は優秀じゃな」
その言葉に思いを巡らせる学徒たち。
そして――
「マセタ先生の講義は少し難しいけど――繰り返し手帳を読んだら覚えちゃった」
「うんうん、そうだよね。同じこと書いたりするから、この魔法覚えちゃったよね」
幼い声に出るは批判ではなく、賞賛であった。
彼ら、彼女らは答え合わせをするように一年間の講義の内容を、今この瞬間へ繋げていた。
それは成功という結果があったからこその言葉だったかもしれないが、それでもマセタの講義は違っていなかったという証明でもあった。
エーデルはマセタの講義で盛り上がる学徒を見て満足そうに笑う。
その微笑ましい景色に胸が熱くなるルゼリア。
魔法とは、知識を蓄え、努力を積み重ね、ようやく至れる世界。
その当たり前を、四十五の小さな火が証明していた。
ジェンマギ学院は、まだまだ捨てたものではない。
次回は、『8月23日(日)13時ごろ』の投稿となります。
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