◆幕間:狂信者リゼル◆
リゼルが誕生したのは、魔哭神の玉座の裏――
その地下深くにある、ヴァルザの工房であった。
いまではリゼルが拠点とする場所でもある。
リゼルは他の神造生命体と同様、保管術具によって成長を促進されていた。
与えられたのは、最低限の知識。
神への忠誠心。
そして、時と空間の魔法を操る適性。
それが、与えられた“すべて”だった。
胎内のような保管術具の中で漂うリゼルは、時折、ヴァルザの横顔を見ていた。
(あの方が、わたくしの主……)
ヴァルザは一度も、リゼルを直接見ることはなかった。
ただ、付属の映像投射術具を見ては、進捗を確認し、時折小さく頷いていた。
自分に向けられない視線が、なぜか誇らしく、そして寂しかった。
(……喜んでくださっている!)
その様子だけで、リゼルは満たされていた。
自分という存在が、主に必要とされている気がして――嬉しかった。
◇ ◇ ◇
やがて、目覚めの時が来た。
生成液が排出され、術具は開放されていた。
リゼルは辺りを見渡したが、誰もいなかった。
仕方なく装置から降りると、近くにあった階段をのぼる。
ぺたん、ぺたん――。
裸足で水音を鳴らしながら、薄暗い階段を上っていく。
たどり着いたのは、玉座の裏手。
神に会える。そう思い、リゼルは回り込んだ。
しかし――そこには、誰もいなかった。
理解が追いつかず、胸の奥だけがじわりと冷えていった。
荘厳な空気の欠片もない、瓦礫と塵に満ちた玉座の間が広がっていた。
(……あれ?)
胸がきゅう、と縮む。
少女とも少年とも見える、小さな存在が立ち尽くす。
世界にただ一人、取り残されたように。
それは、魔哭神ヴァルザが倒された直後――
エクリナとセディオスによって、玉座が打ち砕かれた数か月後の出来事だった。
「わたくしの主は……いずこへ……?」
その日から、孤独な日々が始まった。
◇ ◇ ◇
ヴァルザの城を歩くリゼル。
適当な布を巻きつけ、寒さをしのぎながら生活を続けていた。
ある日、ひときわ大きな部屋を見つけて入る。
そこは、山積した本と紙の束、乱雑に並ぶ書棚と術具の残骸――
ヴァルザの書斎だった。
「……ここが、主の部屋……」
震える手で本を開く。
紙が擦れる微かな音が、やけに大きく響いた。
机の上に幾つもあった小さな本――『ヴァルザの手記』。
そこには、魔哭神の思想、研究、願いが綴られていた。
「ヴァルザ様の、思い……面白い! こんなに、豊かで、深いなんて!」
貪るように読み、嗤い、理解を深めていくリゼル。
読めば読むほど、心の奥に熱が灯り、同時に何かが削れていく感覚があった。
それは、神を知ることで、少しでも近づこうとする祈りに近かった。
◇ ◇ ◇
ある日、玉座の間で、微かな“何か”を感じた。
「ん……あれは……ま、まさかぁ……!」
確かに感じる。
保管術具にいた頃、ヴァルザから漏れ出ていた魔力波長と、同じ気配を。
「――これに、覚えがある。間違いない、これは……主の“残滓”」
玉座は音を失い、残滓だけが絶対の真理として胸に突き刺さった。
魔力操作を習得したことで、かつては捉えられなかった微細な波長に気づいたのだ。
誰もいない玉座の前に跪く。
リゼルの瞳は、喜びと敬意に満ちていた。
「わたくしの、神。ヴァルザ様――」
「御身の啓示、しかと届きました」
「これが、わたくしが生まれた意味……。必ずや、成し遂げてみせます!」
小さな胸に手をあて、玉座へと誓う。
その誓いは、祝福でも祈りでもなく――呪詛めいた契約だった。
――この日、ひとりの狂信者が生まれた。
神の遺骸を抱き、世界を呪うために。
魔哭神ヴァルザの思想を継ぐ、最後の信徒として。




