◆第11話:夜の語らい◆
夜も更け、館は静寂に包まれていた。
月の光が差し込むテラスには、一人の影――エクリナが静かに腰掛けていた。
膝にはブランケット、手には温かな紅茶。
こうして夜更けにテラスで一息つき、時折セディオスと語らうのが、いつの間にか彼女のささやかな習慣になっていた。
心地よい夜風に当たっていると、セディオスが静かに現れる。
手には琥珀色の酒瓶とグラスが二つ。
「……夜風が少し肌寒いな。たまには、いや、今夜も少し温まるとしようか」
「ふ……また酒か。まあ、少しだけなら付き合ってやろう。我も大人であるからな」
エクリナは手にしていた紅茶のカップをテーブルに置き、差し出されたグラスを少しだけ照れくさそうに受け取った。
軽口を交わしながら、セディオスは隣に腰掛け、グラスに琥珀色の液体を注ぐ。
そっと一口含むと、強い香りと熱が喉をなでて落ちていく。
エクリナはほんの一瞬だけ目を細めたが、「大人」であるがゆえに何事もなかったような顔を装った。
セディオスよりも年を重ねているエクリナだが、酒はほんの少し苦手であった。それでも主は酒を好むため、嗜む程度には飲めるようになっていた。
カランと氷が揺れ、液面が揺れるグラスを見つめながら、エクリナが口を開いた。
「……この時間、嫌いではないのだ」
エクリナは、ぽつりと呟いた。
「戦争も、使命も、全てが遠くに感じられて……ただ、うぬといられる。それだけで、すべて満たされる気がする」
二人でグラスを傾け、とりとめもない話を交わす。
そんな夜を、主とメイドはもう何度も重ねてきた。
セディオスは微笑みながら、グラスを傾けた。
「……変わったな、おまえも。昔のおまえなら、こんな風に一緒に酒を飲みながら話すなんて、きっと考えもしなかっただろう」
「ば、馬鹿を言うな……我は、変わらぬぞ。我は王、誇り高き存在……」
言いかけて、ふとエクリナは黙る。グラスを傾け、酒を一口含む。
目尻が少しだけ柔らかく下がって、口元が勝手にゆるんでいた。
「……いや、変わったのかもしれぬな。うぬのおかげで」
グラスを揺らし、氷を蕩かしていく。
照れ隠しのように視線を逸らしながらも、その声はどこか柔らかい。
「……この時間が、ずっと続けば良いと思う。うぬとの、この平穏な時が……って、な、何を言わせるのだ我に……っ」
エクリナはグラスを傾け、グイッと酒を飲み干す。氷がカラリと鳴る、喉が軽く熱を帯びた。
氷だけになったグラスをジッと見つめていた。
「エクリナ、俺は――」
セディオスが何かを返そうとしたその時、エクリナの顔がほんのりと赤く染まり、グラスを両手で抱えるように持ち、身体をゆらりと左右に揺らしていた。
目がどこかトロンとしており、酔いが回ったらしく、普段の優雅さは少しだけ霞んで見える。
「ふふ……聞け、うぬ」
エクリナは顔を赤くし、にこやかな細目でセディオスを真っすぐ見る。
「お、おぉ……」
いつもと酔いが早かったことを少し驚いていた。
(今日の酒は、確かに少し度数が強かったが……)
「我はな、日々、その……うぬが気に入りそうな菓子や、夕餉や、小物などを……懸命に用意しておるのだ」
たどたどしく、本当に少女のように、エクリナは言葉を紡いでいく。
「いつもありがとう。どうしてそこまでしてくれるんだ?」
セディオスはエクリナの胸の内を確かめたいと思った。今なら、聞ける気がした。
自身で告白し、受け入れてくれた銀髪の少女、常に傍に居て、世話を焼いてくれてありがたいと思う反面、嫌気が差していないのかと思ってしまった。
「理由? そ、それは……うぬが笑ってくれると、我も……嬉しいからでな……っ! な、なんだ、その顔はっ! 忘れよ、今のはっ!」
顔が赤いエクリナは、見事に酔っており、普段は言わないことを口走っていた。
それが心からの言葉であることはしっかりとセディオスにも伝わっていた。真っすぐな想いにとっさに声が出せず、笑顔で嬉しそうな顔で返した。
酔っているエクリナはさらに上機嫌になる。
唐突に話題を変えながら、どこか饒舌に、少しずつ感情を零し始めた。
夜風が耳元で何かを囁いていた。
「そ、その……おやすみの口づけ、しても良いか?」
エクリナの声がかすかに震えた。久しく唇を重ねていなかったこともあり、勇気を出して声に出してみた。
基本的にセディオスもエクリナも夫婦どころか、恋人の振る舞いを日常で行わない。
家族の目があるということもあったが、何処までも主とメイドの関係を続けていた。
それを少しだけ、ほんの少しだけ、踏み込んでみたいと内心エクリナは考えていた。
そして、酔いに任せ――吐露してしまった。
(……やはり、少し飲みすぎたかもしれぬ……)
少しだけ、自制心を取り戻す。
セディオスは一瞬だけ目を見開き、何かを言いかけて――口を閉じた。
エクリナの想いに答えなければと考えていた。
口づけくらいならばと――肩を抱こうとしていた。
「なっ、何でもないっ!」
語尾がかすかに裏返ったまま、エクリナは慌てて立ち上がり、テラスから逃げるように去っていく。
ブランケットを胸に押し付け、赤い顔で離れていった。
セディオスは小さく笑って、その背を見送った。
月明かりの下、少女の心は、今日もまた少しだけ素直になったようだった。
そのささやかな変化こそが、かつて『魔王』と呼ばれた彼女が、今守りたいと願った日常そのものだった。




