◆第109話:抜刀の稽古、心の剣◆
訓練場の片隅に、屋根付きの新たな板の間が設けられていた。
極東の都ユヅランの道場に倣った簡素な造り。木の匂いが新しい。
セディオスは静かに口を開く。
「最も大事なのは――精神統一だ」
開口一番の言葉に、ライナはぱちくりと目を瞬いた。
「えっ!? 素早く剣を抜いて斬るだけじゃないの!?」
「もちろん、それも大切だ。だが抜刀術というのは、ただの速斬りではない。『隙』を見極め、それを断ち切る技だ。つまり、その隙を捉える集中力こそが要となる」
落ち着いた声が、場の空気を研ぎ澄ましていく。
その緊張が、かえってライナには少しプレッシャーに映ったようだった。
「……う、うん、わかった!」
「では始めよう。正座だ。目を閉じ、心を空にして――無心になるんだ」
ライナは正座し、そっと瞼を閉じる。
一分……いや、数十秒も経たぬうちに、肩が小さく震え出した。
(まだかな……まだ終わらないのかな……お腹減ったかも……)
思考がぐるぐると渦巻き始めたその時、不意に――ばぁん、と肩に衝撃が走った。
「いっっッた~~~いっ!! なにすんのさっ!」
「精神が乱れている」
バシッと一刀両断するかのような声音。
「集中できないままでは、いかなる技も形にはならん。精神が乱れた時は、そのたびに痛い目を見ることになるぞ」
「ううう……」
涙目のライナは、しぶしぶ再び目を閉じた。
――そのやり取りは、日が暮れるまで何度も繰り返された。
◇
翌日。
セディオスは一本の木刀を持ち、ライナの前に立つ。
「これが、今日から使う訓練用の”木刀”だ」
「……あれ? 片刃なんだね!」
好奇心の光を宿す瞳に、セディオスがうなずく。
「抜刀術用の剣は、極限まで軽量化してある。そのため刃は片側だけ。
―だからこそ、型も扱いも独特で、訓練が必要だ」
「うんっ! やってみる!」
「では手本を見せよう」
左腰に木刀を差し、右手で柄を、左手で木刀を支える。
呼吸を一つ整えた後――
踏み出しと同時に、木刀を滑るように引き抜き、回転を加えて横一文字に振り払う。
その動作はしなやかで無駄がなく、まさに“美しい”と感じられるほどだった。
「……そして、納めは刀身を滑らせるように丁寧にな。
力を抜き、ただ抜く一瞬だけは全身に力を乗せる。分かるか?」
「たぶん、出来そう!」
満面の笑みで構えたライナ――しかし、
いざ振るうと、踏み出しと抜刀の拍が合わず、肩に無駄な力。剣筋も波打つ。
軽快だが、整ってはいない。
「む、むずかしい~!」
へたり込むライナに、セディオスは苦笑を浮かべる。
「すぐにできたら、誰も苦労はしない。繰り返しこそが何よりの糧だ。
焦らず、まず『精神統一』と『型』を身につけるんだ」
「……うんっ。僕、がんばる!」
拳を握って立ち上がる。悔しさと、それ以上の憧れが瞳に灯る。
◇
数日後。
セディオスは木刀を構えたライナに言う。
「様になってきたな。そろそろ、俺と手合わせをしてみようか」
「ほんとに!? やるやるっ!」
喜び勇んで構える――だが、結果は惨敗。
抜刀の速度も集中も上がっている。けれど、セディオスの一撃には届かない。
何度挑んでも、かすりもせず打ち負ける。
「『静』と『動』の差がまだ甘い。常に構えている状態では、真の抜刀にはならない。必要なのは脱力だ」
指摘は厳しいが、声は温かい。
「自分の現在地がわかったな? まずは俺に勝てるよう、打ち合いの訓練も加えよう」
こうしてライナの修行は、新たな段階へと入った。
◇
毎日繰り返される、『精神統一』・『型稽古』・『打ち合い』。
普段は飽きっぽいライナが、驚くほど真剣に向き合い続けた。
敗北は悔しい――それ以上に、抜刀術そのものが彼女の心を強く惹きつけていたのだ。
そして、ある日。
「……よし、来い!」
合図と同時に、ライナが踏み出す。
木刀が音もなく抜け、風が線を描く。
――同時に、セディオスの木刀も閃いた。
正面でぶつかる一撃。剣筋が噛み合い、はじく音が澄んで響く。
初めて、対等に打ち合えた一瞬――。
「……よくやった、ライナ!」
目を丸くしたライナは、次の瞬間、満面の笑みで跳ねた。
「やったぁぁぁあっ!! セディオスと同じタイミングだよっ! できたっ!」
「ふふ……だが、満足するにはまだ早いぞ? さあ、もっとやるか?」
「うんっ! いっぱいやろうっ!」
その日、稽古は夜まで続いた。
剣は、ただ振るうだけでは強くならない。心を整え、静かに、深く――。
そうして初めて、“本当の一閃”が生まれるのだった。




