◆第98話:閉ざされた檻に、再び灯る灯火◆
魔哭神に対峙するセディオス・ライナ・ルゼリア。
結界が割れ、剣閃が飛び交い、魔法の応酬が激しさを増していた。
その戦場の端に、ボロボロのエクリナと膝枕で寄り添うティセラの姿があった。
ティセラはエクリナの頭を自分の膝に優しく乗せ、額に手を添えて覗き込んでいる。
《スペルドーム・クレイドル》を展開したティセラは、防御結界で周囲を守りつつ治癒魔法を施していた。
純白の結界が花のように咲き、柔らかな光がエクリナの身体を包む。
「エクリナ……お願いです……目を覚まして……」
ティセラは額に触れたまま、震える声で呼びかける。慈しむように、愛おしむように。
「私の結界が……精神干渉にまで配慮できていれば……こんなことには……」
琥珀色の瞳が潤み、悔しさがその頬を濡らす。
すべては自分の責任――ティセラはそう思っていた。
「うっ……うぅぅ……起きてぇ、エクリナぁ……」
その声に、涙があふれ、やがてそれはエクリナの頬にまで伝っていった。
戦場は激しさを増していく。
轟音が空間を揺るがし、気温が一気に上昇する。
ルゼリアが極大炎魔法を放ったのだ――それでも、ヴァルザは倒れなかった。
「早く……早くしなければ……」
ティセラは涙をぬぐい、意識を集中しなおす。
彼女にできるのは、治癒を続けること。それだけ。
だが、次の瞬間――。
大地が震える。
ヴァルザの大斧が地面を叩き、大地魔法が炸裂した。
「きゃっ……!」
セディオスたちが吹き飛ばされ、余波はティセラたちにも及ぶ。
彼女は慌てて結界を展開し、衝撃を緩和する。
そのときだった。
「……ゔっ! うぅ……かはっ、げほっ……!」
エクリナの身体が動き、激しく咳き込みながら血を吐いた。
「エクリナ……!?」
ティセラが目を見開き、彼女を支える。
「あ゛……がっ……はあ、はあ……」
虚ろな碧眼がティセラを見上げる。だが、その目に生気はなかった。
「エクリナぁ! 目覚めたのですね……! 私がわかりますか!?」
喜びと不安の入り混じった声をかける。
「だ……誰だ……? 我は……あったことが……?」
「エ、エクリナ……? 我の名か……? わからぬ……」
「うっ……頭が……ぐあぁぁぁぁっ!」
頭を抱え、絶叫する。
「しっかりして……大丈夫、大丈夫ですから……」
ティセラは頭を撫で、更なる治癒を試みる。
その手に魔力が宿り、淡い光がエクリナを包み込んだ。
光が、暗闇の中に滲む。
沈んでいた意識が、遠い場所から少しずつ浮上していく。
「大丈夫、大丈夫ですから……エクリナは、まだ……負けていません……」
涙をこぼしながら、何度も、何度も言い聞かせるように。
やがて、彼女の絶叫は収まり、呼吸が整っていく。
「……はあ、はあ……あぁ……」
「……思い出した……我が盟友、ティセラ……すまない……今……思い出した」
震える手が伸び、ティセラの頬に触れた。
その指先は、まだ冷たいのに、確かな温もりが戻り始めていた。
「おはようございます……エクリナ……!」
ティセラは彼女の手を握り、嗚咽を漏らす。
エクリナの視線が、戦場の方へ向く。
「……戦っているのは……セディオスたちか……」
記憶を確かめるように、ゆっくりと、思考を巡らせる。
「この状況が……夢……なのか?」
「はい。エクリナは“夢の檻”に囚われ、悪夢を見せられていました。
でも今は、私たちがあなたの精神世界に干渉して、ここまで来ています」
「そうか……夢じゃなかったんだな……。あの日々……皆との暮らし……自由を勝ち得たあの時間は……」
エクリナの瞳から、再び涙が零れた。
だがそれは、絶望の涙ではなかった。
救いを得た者の、確かな光だった。
「……ティセラ。これから、どうすればいい?」
「簡単で、難しいことです。――もう一度、ヴァルザを倒しましょう」
――絶望の中に、灯された灯火は、消えていなかった。




