50.妄想聖女至上主義
「私はあんな男は認めませんよ。ルル様には不釣り合いな男です」
前方でルシールと並んで歩くフィナンを睨みながら、エルノノーラはカルヴィンに小さな声で吐き捨てた。
「彼がここへ来れないように手を回してたのはお前だろう?ルシール嬢を心配してここまで来た男だぞ。
引くべきところをわきまえてるし、お前のその物騒な目つきにも動じなかった男だ。そうそういる者ではないだろう。
見た目もかなり良い者だし、ルシール嬢もあの男には心を許してるんじゃないのか?」
呆れたように返されたカルヴィンの言葉に、エルノノーラはギリッと奥歯を噛み鳴らす。
「あんな爽やかな男、認められる訳ないでしょう?
今ルル様が幸せなのは当然ですが、そんな様子を見てアッサリと引いてみせるなんて……なんて嫌味な野郎だ。「お前にこんな事が出来るか」と私を挑発しているのか?
いちゃもんの付けようのない男なんて、危険すぎる。万一恋人なんかになられたら、私の方が不利になってしまうかもしれない」
暗い顔で「許さない」「認めない」とブツブツ呟くエルノノーラから、カルヴィンはそっと視線を外す。
『お前が一番危険すぎるだろう』
そう思うが、妄想聖女至上主義を昔から知っているカルヴィンは、エルノノーラの厄介さも知る人間だ。
ルシールへの愛に狂ったエルノノーラを止められるのは、ルシールくらいのものだ。
『ルシール嬢が自ら行動しない事には、恋人を作ることなど出来ないだろうな』
カルヴィンはそう考えて、ルシールを不憫に思った。
廊下に陳列されている、かつて討伐で使われた武器や鎧などを興味深げにフィナンが眺めているのを見て、勇者レオがそれらの説明に入っている。
ライナートがその補足の説明に付いているようだ。
今は男三人で、討伐についての話に花が咲いているようなので、ルシールはエルノノーラとカルヴィンと並んで少し後ろからついて歩いているところだった。
勇者レオも客人の前では寡黙な大人だった。
黙っている彼は、魔王に対峙するだけの力を持つ勇者らしく、威厳があるように見える。
『いつもああだったら、私ももう少しレオ様を敬えるのに』
大人バージョンのレオを見ながら、ルシールはそう感じた。
寡黙な勇者レオ。
勇者としての威厳を見せるように勇者レオが寡黙であったのは、エルノノーラがレオに出した指令だった。
「どんな会話が聞こえても、表情を動かすな。喋るな。あの男に舐められるな」
――そう厳しく言い聞かせていた。
そして更なる指令として、
「廊下に出てあの男が陳列品に興味を見せたら、すぐに側に付いて説明をしろ。興味を引かせるように、丁寧に話せよ。何なら使って見せてやってもいい」
――そう細かく指示を出していた。
そしてライナートがそんなレオの側に付いているのは、裏でエルノノーラに誑かされたレオが、陳列品を振り回さないように見張っているためだった。
全ての流れに意味はあるのだ。
強大なセルフィシュ国のトップ近くに立つ者達に、隙はない。
三人の男達――その中のフィナンをじっと見つめ続けるルシールに、エルノノーラは内心焦りを感じながら声をかける。
『ルル様の返事を聞くのが怖い』
そう思いながらも聞かずにはいられなかった。
「ルル様、何か気になる事でも………?」
「あ、うん。ノノちゃんあのね、フィナン様に久しぶりにお会いして感じたのだけど」
話し始めた言葉に、エルノノーラの心臓がドクンと跳ねる。
「フィナン様、背が低くなったんじゃないかしら?」
思っても見なかった言葉を聞いて、思わず聞き返す。
「………え?背、ですか?」
「うん。カルヴィン様と同じくらいになっちゃったみたいに見えるの。ほら、ライナート様と並んだ感じが、そう見えない?」
その言葉に、パアアアっとエルノノーラの顔が明るくなる。
「確かにそうですね。ライナート様の肩上くらいの背丈ですからね。カルヴィン王子と同じくらいと言えるでしょう。
ライナート様も、勇者レオの肩くらいの背丈ですから。
こうして見たら、フィナン殿もまだまだ可愛らしい子供ですね」
「可愛らしい……というのかしら?」
「小さくて可愛いらしいでしょう?」
「そう……かもしれないわね」
エルノノーラの「可愛らしい」という表現が、頼りになるようなフィナンに合わないような気がしたが、
『ノノちゃんがそう言うならばそうよね』
そうルシールは納得した。
「おい、エルノノーラ。いい加減な事を言うな」
フィナンを落とすために、自分の事を引き合いに出すエルノノーラに、カルヴィンの声が低くなる。
ルシールは、その声に怒りが含まれている事に気づき、カルヴィンを気遣うように慰めた。
「カルヴィン王子様、まだ14歳なんですから。これからグンと大きくなりますよ。今だって17歳の私と変わらないくらいではないですか」
「ルシール嬢よりは高いと思うが」
「え……?それは……」
「………」
『それはない』というように口籠るルシールに、カルヴィンは黙る。
王子である自分は、側近と護衛以外の者の近くに立つ事は基本的にない。それはルシールに対しても当てはまった。
一定の距離を保つのは、セルフィシュ国の王族としての風習だ。
ルシールの近くで立つ事がないから、背の高さの感覚が掴めないのだろうか。
いつもカルヴィンの隣で並び立つライナートは、大柄な者の多いこの国でも背が高い方だ。
そんなライナートよりも頭一つ分背の高い勇者レオは、規格外と言っていいほどの背丈を持つ。
エルノノーラも女性としては背が高い。
そんな者達と比べたら、確かに今の自分は子供のような背丈に見えるだろう。
ミサンダスタン国ではどうか知らないが、セルフィシュ国ではルシール嬢はかなり小柄だと言える。
『周りが背が高すぎると、感覚がなくなるものなのか……?』
そう考え込むカルヴィンに、エルノノーラの明るく提案する声が聞こえた。
「ルル様、カルヴィン様と背比べしたらどうでしょう?少し離れてても、背中合わせに立ってもらえたら、どちらが高いか一目瞭然ですよ」
ルシールはこちらを気遣うように視線を送ったが、カルヴィンに「ルシール嬢の方が低い」と思われたくないのか、
「少し背比べしませんか?」
おずおずとしながらも聞いてきた。
『比べたら納得するだろう』
そう思って背中合わせに立つと、カルヴィンはルシールが小さく揺れて立っているのを背中越しに感じた。
『踵を上げて背伸びしているのか……』
背伸びしたくらいで、カルヴィンの背を超えられる訳がない。
どうしたものかとカルヴィンがエルノノーラに視線を送ると、エルノノーラは輝く笑顔でルシールに親指を立てていた。
『ルル様!最高です!』
――そんなエルノノーラの声が聞こえるようだった。
エルノノーラのサインを「ルシールの方が背が高い」と受け取ったルシールは、申し訳なさそうに――それでいて満足そうにカルヴィンを慰める。
「きっとすぐに私の背など越えてしまいますよ」
「………そうか」
震えて歓喜するエルノノーラを眺めながら、諦めたようにカルヴィンが短く応える。
『これでまたエルノノーラのルシールへの狂愛が深まってしまっただろうな』
――そう確信を持ちながら。
そんな三人の様子をフィナンが眺めていた。
『ルシール嬢はとても大切にされているようだ』
少し寂しく思いながら、ルシールが今幸せである事に安心をしていた。




