40.王子の執務室で考えること
ルシールがホッと安心したところに、カルヴィン王子がポツリと呟く声が聞こえた。
「……恐ろしいな」
その言葉を聞いて、ルシールは顔を輝かせた。
『魔物が怖いのは私だけじゃなかった!
そうよね。カルヴィン王子様もまだ14歳だもの。怖くて当たり前よね。
「私だけが怖がってる」なんて子供みたいで、恥ずかしくて嫌だったけど、良かった。安心したわ』
仲間が出来た事が嬉しくて、急に元気が出てきて立ち上がる。
14歳とはいえ、王子であるカルヴィンの自尊心を傷つけないように、ルシールは言葉を選びながら王子を慰めた。
「カルヴィン王子様、大丈夫ですよ。魔物が怖いのは、誰もが同じです。私でさえ怖いと思っているのですから。
だけどライナート様の近くにいれば安全ですよ。今度からここに避難すれば、怖くないですよ」
話しながら「ここ」と、今ルシールが立つ、ライナートの椅子の後ろに指を指す。
「…………」
カルヴィン王子は黙ってルシールを見つめた。
自分は別に魔物を見るくらい何とも思わない。
セルフィシュ国は昔から多くの魔物に悩まされてきた。魔物も、魔物の死体も数多く見てきている。
魔物など見慣れたもので、恐れる物でもないのだ。
カルヴィン王子が「恐ろしい」と感じたのは、勇者レオの恐ろしいまでの無神経さだ。
勇者レオは聖女ルシールを、とても気に入っているようなのに、その好意の表し方が有り得なさ過ぎる。
気にいる女性を怖がらせている事にさえ気付けない、その無神経さが怖いのだ。
しかしルシールに、「いや魔物は別に怖くない」と話す事は躊躇われた。
こちらを気遣う様子を見せながらも、目が輝いている。きっと「魔物を怖がる仲間」を見つけられて嬉しいのだろう。
確かに聖女ルシールは、エルノノーラの妄想聖女と同じ人物像だった。
髪と瞳の色がピンク色で、小柄で華奢であり、少し天然なところがあって、癒しの魔法は弱い女性。
「男の好意に鈍感」は、「勇者レオの好意に鈍感」に当てはまる訳ではないが、レオの行為は、ルシールに対する嫌がらせだと彼女は感じている。
――まあ、あれは好意の表し方が異常なだけだが。
好意かどうかは置いといて、側近のライナートも聖女ルシールには甘い気がする。
ライナートは、重要書類を置く自分の机の近くに、誰かが立つ事さえ厭うのに、ルシールが背後に回っても、特に何も言うことはない。
側近ではあるが、気難しいと感じるライナートの側を「安全」と安心するのは、ルシールくらいのものだろう。
そんな事を考えているカルヴィンに、ルシールが心配そうに言葉を続けてきた。
「カルヴィン王子様は、レオ様の持ってきた尻尾を見ちゃったんですよね。尻尾だけ動いてるなんて怖かったでしょう?今度からは目を瞑った方がいいですよ」
「………いや。大丈夫だ」
『あまりぼんやりしていると、ルシール嬢の中の私のイメージが、どんどんおかしな事になりそうだ』と、カルヴィンは目の前の書類に意識を戻す事にした。
再び執務室に戻ってきた、勇者レオの剣に浄化魔法をかけると、レオは嬉しそうにまた部屋を飛び出して行った。
部屋を出て行く前のやり取りが怖かった。
「聞いてよ〜。さっきルシールちゃんがいない時にこの部屋に来ちゃってさ。せっかく面白いお土産をあげようと思ってたのに、ライナート様が「処分しろ」って言ってきたんだぜ?有り得なくない?
ルシールちゃんには、こんなに良い聖剣作ってもらって感謝してるんだ。
次はもっと良いもの見つけてくるからさ。期待しててよ」
「要らない!持って帰らないで!」
「え〜。ルシールちゃんって、本当にエルに似てるよね。も〜俺、勇者なのに〜」
そう言ってレオはやっと去っていってくれた。
静かになった部屋でルシールは、ふうと安堵のため息をつく。
そしてまた目の前のテーブルに置いた料理の本をめくり出した。
セルフィシュ国に来て、ルシールは「聖女」と呼ばれる事もあるようになったが、多少魔法の力は付いてきているはいえ、「微弱」の域を出ることはない。
魔法で生計を立てられるに越したことはないが、それは相変わらず難しいように感じられていた。
そうなるとやっぱりカフェを開いてみたい。
魔法の訓練も続けるつもりだが、料理の腕も磨いておきたいと思っている。
だから王城の図書館では、料理やお菓子作りの本を見ながら、気になるものを書き写していた。
ふとルシールはネネシーの事を思い出す。
「将来は一緒にカフェを開こう」と話して、以前は色々なお菓子や料理を一緒に作っていた。
ネネシーとクレイグが恋人同士になってからは、高級お菓子や高級デリカが毎日届くので、何かを作る機会がなくなっていた。
貧乏なルシールとネネシーは、食べもしない物を、「試しに作るだけ」なんて事は出来なかったのだ。
『ネネちゃんと私が、森の近くにカフェを開くことも、ココの実ジュースを販売する事も、きっとクレイグ様は反対するわ。ココの実割りをする、ネネちゃんの手を心配していたもの。
ネネちゃんとお店を開くのは無理かもしれないわね』
最近はそう考えるようになっていた。
魔王討伐が終わって、ルシールがメイデン学園寮に戻ったら、また料理をする機会を失ってしまう。
『王城の厨房の片隅とか貸してもらえないかしら。一人でもお店を開く事が出来るメニューを考えなくちゃ。
今度カルヴィン王子様にお願いしてみよう』
そう考えて、ルシールは書類に目を落とすカルヴィン王子の様子を、そっとうかがった。




