32.奪ってしまえ
「アイル。お部屋で走っちゃ駄目って言っているでしょう」
「ほら、掴まえた。アイルもこっちでおやつを食べよう。ゼリーは好きだろう」
「すきー!」
――うるさく走り回っていた小さな足音が消えた。代わりにキャハハハと甲高い子どもの声が聞こえる。
「ありがとう、イスラン。まったく、目を離すとすぐ走り回るんだから。きっとこの間見たサッカーの影響ね」
「パールが試合の度にアイルを連れて観戦に行くからだよ」
「それはそうよ。今やサッカーは国民的スポーツなんだから」
「ぼく、大きくなったらフィット選手みたいになるー」
「いいわね! イスランと一緒に絶対、応援に行くわ」
――微笑ましい家族の会話だ。
サッカー選手になるのを賛成する親など、昔はまずいなかった。乱闘騒ぎで死人が続出する競技だったが、変わったのか。国民的スポーツとは。
「そう言えば、ドットとフローラ嬢が婚約したって?」
「していないわよ。お兄様が契約書を持ってフローラ様のお屋敷に通い詰めているだけ。フローラ様は心底嫌がっていたわ」
「あれ、おかしいな。僕は婚約したって聞いたけど」
「国王であるあなたを巻き込めば外堀を埋められると思っているのよ。公の場でそんな話、絶対しちゃ駄目よ」
「なるほど。臣下に嘘をつかれただけでなく、上手く使われそうになったわけだ」
「怒っても無駄よ。『嘘ではありません。どうせ事実になるので』って言われてお終いだから」
「フハッ。確かに言いそうだ。フローラ嬢も大変だな」
退屈な会話に、ふわぁと欠伸が出た。
話を止めて、二人がこちらに近づいてくる。俺の顔に二人分の影ができた。
「あら、目が覚めたの? レオ」
「頬がぷっくりとして、見飽きないね」
母がベビーベッドから俺を抱き上げる。
父が俺の頬を撫でた。
現王族である父イスランと、元王族の正統な血を引く母パール。
「ぼくも抱っこする」
「まだアイルには無理よ。ほら、優しくぎゅってしてあげて」
「うん!」
兄が頬を私の頬にくっつけて抱きついてくる。
父は生まれたての俺を抱きながら、こう言ってキスをした。
『お前が未来のこの国の王だ。可愛い私の子』
つまり王太子は兄ではなく俺だ。
――良かったな、兄上。俺に殺されずに済んで。
母の腕の中で、俺は赤い眼を見開いた。




