翡翠の恋心6
雪斗に連れられ、学校を半強制的に早退させられた光は目を白黒させながら一軒の家にたどり着いた。梨香の家である。
『ようやく来たか。家に入れ。鍵は開けておいた』
烏之瑪の言う通り玄関の鍵は開いており、ちょっと大きな一戸建ての古家の中はがらんとしていた。なんというか広すぎて、生活している感じがないお化け屋敷のようである。
お邪魔します、と呟いて二人は上がった。藤子も無言で入る。烏之瑪は先導して玄関から程近い座敷へと招いた。
中には先客がいた。
「やあ、烏之瑪。久しぶりじゃの」
白い髭をたっぷりと蓄えたお爺さんが座敷に置いてある七厘で暖をとっていた。確かに最近は寒い日が続いているものの、まだ暖房器具を使うほどではない。座敷は温まっていて暑いくらいだ。
『イロリ、さっきぶりだな』
「何々、事は急を要するのだろう? 我らが結姫があの狐に捕まったなら協力するさ。ところでそこな者達は?」
「俺は椋田雪斗という。こっちは藤子だ。で、こっちは、」
椋田が光を紹介しようとしたところで、光が遮った。
「誰かいるんですか?」
全員沈黙する。椋田などは烏之瑪と話していたことから、光が視える(みえる)体質の人だと思いこんでいたので、自然と顔をひきつらせる。イロリも軽く目を見張っていたが、光にその様子は伝わらない。
烏之瑪だけが心得ていたように頷いて、藤子の黒い冠を光に渡すよう促した。光は可愛らしいデザインの冠を被ることに抵抗を覚えていたが、渋々と被る。突如、何もなかった空間に、一人の翁が座っていて思わずガン見だ。
「こらこらこら、そんなにじっと視るもんじゃない」
椋田が光をたしなめる。改めて光を紹介してから、烏之瑪に視線を向けた。
「で、烏之瑪。俺たちをこんな所に連れてきて一体どうしたいんだ」
『それを今から伝えるところだ』
烏之瑪はさらりと受け流すと、まず光の方を見た。赤い右目がくるりと動く。
『さて蛍野。お前が今見ておる世界が結姫や椋田が見ている世界だ。まずどう思う』
もう完全に状況を飲み込めていなくてぼうっとしていた光が急に指名されて、びくりと肩をふるわせて口ごもる。どうと言われたって。
「ファンタジーは本の中だけで十分だと思わないですか」
「待て待て待て。蛍野、今はそういうことを聞いてるんじゃない」
思わずと言った体で椋田が突っ込みを入れた。光は分かってますよ、と唇をとがらせた。別にからかっているわけでもない。
「先輩の毎回の不可思議な行動も別世界を見ているなら仕方なかったと思いますね。ここにいるのも怖いと思えるような人? はいなさそうだし」
素直に言えば、烏之瑪は頷いた。さて本題。
『さっき結姫がさらわれた。相手は我と敵対している妖怪だ。奴は結姫を気に入っているから殺すことは考えにくいが、前科がある。できるだけ早く結姫を救出したい。ここで重要となるのは我の手足となって動いてくれる者だ』
烏之瑪は区切って、右の翼だけをバサリと羽ばたかせた。微かに烏之瑪の周囲がざわついて、埃が烏之瑪を中心に舞い上がる。そうして烏之瑪は椋田に向き直った。
『イロリに触って見ろ』
言われて、椋田は要領が得ないようだったが言われたとおりにイオリに触ろうとした。途端、全く触れられる位置でもないところでバチッと大きく火花が散った。
「……っ!」
あまりの痛さに腕を押さえて悶える。心配した藤子がそのひんやりとした指先で椋田の手を包む。
その様子を烏之瑪はじっくりと見た後、今度は光にやるよう促した。光は今の光景を見た後だからやりたくないと首を振る。
「絶対痛いってこれ!」
『ええい、黙って触れ!』
どげしっ! と思い切り蹴りつけられ、その拍子に光はイオリの方へ倒れる。顔からいった。あ、死ぬ、とか思ったけれども火花は散らずに柔らかくイオリが受け止めた。
「あ、あれ?」
『こういう事だ。こいつはどうやら視る力はないが、結界が効かない体質を持っておる。これであの狐の結界を破れるかもしれん。というわけでこいつを結姫救出の時に連れて行こうと思う』
どうだ、とばかりに言うが光は納得がいかない。ただでさえ今の状況がよく分かっていないのに、そんな急に事を進められてもどうすることもできないのだ。
助けを求めるように椋田の様子をうかがうが、椋田は椋田で何事かを思案する素振りを見せている。痛めた手は相変わらず藤子に包まれている。まるで結婚間近のカップルのようだ。
「……先生ってその人と付き合ってんの?」
「ん? いや、違うが……」
『人種ならぬ種族が違う。その紫のだって妖怪だ』
「えっ」
驚愕の事実。だってちょっと変わった趣味お姉さんにしか見えないじゃないか。かといえイロリもしわくちゃのお爺ちゃんにしか見えないことを思い出す。妖怪にも色々いるんだなー。
「だが、私は雪斗が好きだぞ」
更なる爆弾発言。これには椋田も顔を赤らめるしかない。
大いに話が反れたところで、烏之瑪が再び話を戻した。呆れているようにバカップルと化した二人から視線を外した。
『さっきの話だが、お前に選択権はないぞ。結姫の命がかかっているからな。結姫に死なれて困るのはお前等人間たちだろう?』
痛いところを突かれ、光は眉間に皺を寄せる。このカラスはほとほと嫌な言い回しをする。さらには負の要素を組み込んで真っ直ぐに脅迫観念を突きつけてくる。ひねくれずに育った光には嬉しくない交渉術だ。
光は仕方なく頷いた。勿論、安全の保障は欲しいので忘れずに尋ねる。
「俺の命の危機は無いよな?」
『……さあ?』
やっぱりやめる。光は帰ろうと立ち上がった。
『結姫を見捨てるのか?』
くっ、と膝を屈してしまう。先輩を放っておけるほど光という人間はできていないし、何よりもあの小さな背中で精一杯背伸びをする先輩に光は、人一倍の特別な感情を抱いていた。誰にも話したことのない、光の心の宝箱にしまってある感情だ。それが今、ほんのりと鼓動し始めているのだ。
光が意を決して烏之瑪に向き直った。頭を下げることもしなければ、見下すこともしない。利害の一致をしただけの即席の関係だが、対等にありたい。だって本の世界では妖怪はなめられてしまうと喰われてしまうイメージしかないから。いや、冗談だ。
椋田はそんな光を見て青春だなー、と呟く。その手は未だ藤子の手の中。
その椋田を見てイロリは結姫には良い仲間ができた、これぞ青春、と似たようなことを考えた。
妖怪も人間もどちらも考える生き物なのである。




