藤の想い出4
「少年、自分が憎いか?」
ポツリと呟く。少年に謝りたかったのだ。少年を待つうちに、中級の妖に食べられてないか心配になった。その時に襲われるだろう恐怖をふと想像したのだ。
さぞ自分を憎かっただろうと思った。
しかし。
「いいや」
予想外の言葉を言われて、首を傾げる。何故だ? 普通なら自分が相当に憎いだろうに。
「あの時以来、俺は妖を見ていないからな。憎んでいない。逆に藤子に会えて嬉しいよ。俺も言いたかったことがあるんだ」
青年は首を振った。そして屈託無く笑う。……今この少年は何を言った? 嬉しい? 嘘だ。
「嬉しいはずがない。自分は嘘をついたのだ。運が悪ければ少年は妖に食われていたのだぞ!」
自分は思わず声を荒げた。なんなんだ、この間抜けた思考は。青年は馬鹿なのか?
そう思っていると、青年はちょっとだけ真顔になる。
「藤子、お面を取ってもいいか?」
自分は黙り込んだ。青年はそれを肯定と受け取ったのか、自分のお面に手を掛ける。
お面が外れた。
視界の端で結姫が息を飲んだ。
「変わらないな、その頬」
……自分の右頬には紫色の藤の花房のような痣がある。
少年が会いに来たとき、自分はこの素顔を見せた。少年が気になってしょうがなかったらしく、何度もせがまれたからだ。
「俺は運が良かったみたいだ。お前と会えたからな」
この痣はこの辺りの妖怪も進んで見ようとはしてこない。それほど醜いのだ。自分の顔は醜い。花はどんなに華やかでも、自分の姿は綺麗にはならなかったらしい。
……お面はそれを隠すためだと思っていた。自分の醜い痣を。
しかし、
「ありがとうな、藤子。俺の願いを少し叶えてくれて」
ありがとう。そう言われただけで心が何かに満たされる。満たされるだけでなく溢れてしまった。
涙が泉から零れる様に瞳から次々と溢れるのだ。止まらない、止められない。ああ、お面はこのくしゃくしゃな顔を隠す為にもあるのだな。
お面を返してくれ、青年。自分の顔が余計に醜くなってしまう。お前には見られたくないんだ、こんな醜い顔を。
なのに青年は、笑って返してくれない。
「そんなに後悔してたんだな、藤子。それは優しさだ。お前は優しさを学んだ。悪戯好きな妖怪には決して分からない事だろうね」
よしよし、と頭を撫でられる。口調が諭すようで、まるで自分を子供のように扱ってくる。
「子供のように扱うな……!」
「いいじゃないか」
「自分は少年の何倍も長生きなのだぞ」
「その割には泣き虫なんだなあ」
自分は照れ隠しに顔を臥せた。涙も袖で拭う。
ついでとばかりに、衣装の裾を翻して結姫のいる方に体を向けた。結姫は自分から距離を置くようにトンネルの入口に、否、少し中に入った影の所にいた。
「結姫……。すまないが日記はまだ書けていないのだ」
「あら、期限はあと一週間よ?」
少し離れたところから聞こえてきた声に自分は頷く。そんなこと分かっている。だから。
「……少年、否、もう青年か。青年、自分は字が書けないのだ。なのに、字を書かなくてはならないのだ。だからお前の願いを少し叶えた代わりに、少しだけ自分の願いを叶えてくれないか? 字を、人の子の字を教えて欲しい」
図々しいだろうか? しかし自分は、少しでも少年と会話がしたいのだ。これを口実にゆっくりと、じっくりと語りたい。
───後悔して待っていた時間は無駄でなかったことの証として。
青年は頷いた。頷いてくれた。
「いいよ、藤子。事情は分からないけれど教えよう」
ありがとう。今度は自分が言う。
感謝の言葉と共に自分は自然と微笑んだ。綺麗に微笑めただろうか?
「……それはそうと」
「なんだ青年」
「その呼び方はやめてくれ。ちゃんと俺にも名前がある」
青年は苦笑いした。
自分は唇をとがらせる。
「自分は青年の名前を知らない」
青年は名前を教えてくれなかったのだ。
青年は目元を和ませた。それから照れたように頬を掻く。
「改めて言うのは恥ずかしいな。俺の名前は椋田雪斗だよ」
「ゆきと……」
「そうだよ」
なんだか心が温まる。名前を聞くだけでもかなり近づいた気持ちになれる。
ああ、あんなに遠回しな事をしないで、素直に話し相手になって欲しいと言えば良かった。
ちょっぴりの後悔と大きな至福。
ない交ぜになって自分の心を満たしていく。




