第三十話 大切なもの
「ただ、王妃様」
老師の呼びかけに、果竪が万歳をしたままの状態でくるりと振り向く。
が、はっきりいって、その状態は右肩を負傷している怪我人がしても良い体勢ではなく、激しい痛みを覚えた果竪から当然のように悲鳴があがった。
「おぎょぎょぎょっ!」
「果竪、もっと可愛らしい悲鳴をあげて下さいませ」
間違っても、凪国の女性達の最高位たる王妃の悲鳴ではない。
が、果竪には果竪の言い分があった。
「悲鳴という、普段は使わないだろう状態で使う筋肉をより効率的に使っているだけよ!」
ああ言えばこう言う――なんて可愛らしい範疇に留まらない、そんな果竪の言い訳。
「それに、これは大根との愛を語り合う為に必要な発声法の一つなの。私は常に愛する大根達とのコミュニケーションについて考えて居るのよ」
「それより、普通の相手とのコミュニケーション方法を考えて下さい」
「だから普通に大根達とのコミュニケーション方法を考えて居るのよ。他のみんなの為に」
「は?」
そう呟いたのは、蓮璋達も同じだった。
「だから、私以外の初心者達の為のコミュニケーション方法」
「ならば果竪はどのような方法をとっているのです」
「もちろん、以心伝心よ!」
口にせずとも、目と目で会話できる。
ううん、もはや離れていても脳に語りかける、愛LOVE大根。
「私達に口で会話という原始的なコミュニケーション方法はもはや必要ないのよ!」
「全世界の生物に謝りなさい、果竪」
「なんで?!」
何故謝る必要があるのか。
果竪は本気でわけが分らない。
「まさか明燐。私と大根との仲を嫉妬しているの?! でも大丈夫よ、大根の愛はすなわち、世界の愛っ」
「八方美人という事ですか」
「違うわ! 誰に対しても心から優しいのよ! そのしなやかな両腕で抱き締め、その広い胸で安心させてくれる! これぞ、世界のアイドルの度量よ!」
その言葉に、蓮璋と老師は悩む。
此処に連れて来られた事でのストレスで王妃が壊れたのか、もともと王妃が壊れていたのか。
出来れば前者であって欲しい。
「そういえば、屋敷から持って来た大根達ってどうしたんだろう」
「たぶん、馬車と共に」
明燐の言葉に、果竪は馬車に残されたのだと悟る。
「綺麗に燃えあがり天に旅立った筈です」
「いやぁぁぁぁあ! 私のだいこぉぉぉぉぉぉぉんっ!」
「きっと天から見守って下さっている事ですよ。ほら、あの空を見て下さい、きらりと歯を光らせ親指を立てているでしょう」
明燐が指さす先は天井の片隅。
カサカサと足の多い虫が走っているだけだったが、果竪には見えた。
眩しい白い光を放ちながら、「オレの愛は永遠の不滅だぜ、ベイビィ!」と歯をキラリと光らせる大根の姿が。
ふさりと靡く青々とした緑の葉と白い体のコントラストに、果竪の心は撃ち抜かれた。
「きゃあぁぁぁぁあすてきいぃぃぃぃっ!」
「良いですこと? 皆様。あれが幻覚と幻聴による奇声という症状ですの。ああなったら殴って止めるのですよ」
「いや、殴ったらまずいのでは? あの方は王妃様で」
「私の果竪が大根に盗られても良いというの?!」
ガッと蓮璋の胸倉を掴み叫ぶ明燐は怖かった。
どの位怖いかと言うと、たぶん蓮璋が今まで経験してきた全ての事よりも怖いと思えるほどに。
あいつの狂気とそれによってもたらされた苦痛さえ、今の明燐の形相を前にすれば吹き飛びかけた。
「私の果竪は誰にも渡さないわ!」
必ずつく「私の」という言葉。
明燐の目はぎらぎらと欲望に染まっていた。
「そうよ、果竪は私だけのもの。果竪の笑顔も果竪の拗ねた姿も、怒った姿も何もかもが私に許された至福のもの。そうよ、寝顔も、更には着替え、入浴の姿さえも私だけに許された――果竪?!」
自分の危機に瀕した貞操に、果竪は小動物も顔負けの素早さで蓮璋の後ろに隠れた。
一番安全なのは誰かとその小さな頭で計算し、確保した安全地帯。
代わりに、蓮璋が明燐の怒りの矢面に立たされた。
「蓮璋……?」
「お、おおオレのせいですか?!」
「果竪を私に差し出しなさい」
「え、いや、無理です」
「蓮璋」
ジリジリと詰められる間合い。
生物として、いや、軍神にも匹敵する本能が蓮璋に反撃を叫ぶ。
殺られる――確実に。
美しい美女の容姿は仮の姿の破壊神と言っても過言ではない明燐の怒りに、蓮璋はダラダラと冷や汗を流し続ける。
因みに老師は素早く安全テリトリーに入っている。
「果竪を、私に、渡しますよね?」
蓮璋は究極の選択に迫られた。
ここで果竪を渡せばとりあえず自分は無事、しかし王妃の信頼は失う。
明燐に立ち向かえば、王妃の信頼は失わないけど死の一歩手前まで送られる。
どうする?
「……」
きゅっと後ろから小さな手で服を掴まれ、蓮璋は決めた。
「すいません、王妃様は渡せません」
タランタッタターン。
そんな効果音と共に、蓮璋の男気が頂点を突き抜けた。
更に、果竪の中での蓮璋に対する好感度も突き抜けた。
更に、明燐の中に今までの男達と違うという思いが突き抜けた。
そうして知らない間に好感度を上げていたが、蓮璋は最後まで気付かなかった。
今この時、遙か遠くで、ひゅろひゅろりーんと大勢の好感度が下がる音が鳴った事に。
と、そこでコンコンと扉が外側から叩かれる。
反射的にギュッと服を握る果竪の手をそっと降ろすと、蓮璋は上に立つ者の顔で扉を見る。
「どうした」
「碧易様の怪我のお薬が切れたのですが、代わりの傷薬が見付からなくて」
「ああ、薬なら」
代わりに老師が答える。
が、果竪は心臓が飛び出たかと思った。
「へ、碧易?!」
まさかここで聞くとは思っていなかった名だ。
先の瑠夏州での農作物盗難事件にて自分の迎えとして来た後、その事件にて尽力してくれた使者団の長であり、実は宰相の手駒だった相手。
そして、今回の王宮帰還の警備上の責任者でもあって――。
そう、襲われるまで確かに側に居た。
しかし、なぜ彼が、いや、彼まで此処に居るのか?!
「ど、どどどうして、碧易が」
「王妃様の事が心配だったのでしょう。自分もついていくと言われまして」
「そうなのよ、果竪」
蓮璋はまだしも、明燐も普通に答えてくれた。
「って、いや、ちょっと待って、何かおかしいでしょ、それ」
自分とは違い、碧易はそれなりに武術を嗜んでいる。
何せ、盗賊紛いな事もしていたらしいから。
というか、明燐だけならまだしも……いや、実は明燐の方がよっぽど危険だが、更に男手ともなりうる碧易を一緒に連れて行く事は、王妃を奪い返される危険性が高まるという事である。
なのに、心配だからといって一緒に連れて行くなど、尚更有り得ない。
まず抵抗されなかったのだろうか?
あの碧易が、王妃が攫われるのをそのまま黙認するわけはない。
となれば、奪い返せないならせめて何としても同行しようというパターンだろうか。
「ってか、傷薬って?」
「碧易は怪我をしてましたの。果竪、貴方を撃った銃弾に他の同行者達も傷付けられてしまって」
「だ、大丈夫なの?!」
「果竪が一番重傷でしたわ。大丈夫、残された者達もそう簡単には死にません」
それに蓮璋の話では、自分達が居なくなった後に通りかかった商隊に保護された筈だとの事で、そちらの心配はない。
また碧易の方も、毎日見舞いに行っているが、特に問題はなく普通に起きて話も出来ていた。
今日などは、既に寝台から起きて普通に彷徨いていたぐらいだし。
その事を果竪に伝えると、ホッとした嬉しそうな笑みを見せた。
「良かった……」
しかし、すぐに哀しげな表情を浮かべる。
「でも、碧易は私のせいで巻き込んでしまったんだよね……」
「果竪……そんな事はありませんわ」
「けど、碧易は王妃である私を守るのが任務。だから、こうして一緒についてきてくれた」
そう――碧易を巻き込んでしまったのは、果竪の王妃としての地位に寄るものである。
「碧易を、無事に返さなきゃ」
碧易の帰りを待つ者達の為にも。
「それに、明燐もね」
「果竪ってば……」
一番無事に帰らなければならないのは果竪だというのに、これでは立場が完全に逆である。
蓮璋と老師も苦笑していた。
「碧易に会えるかな?」
「そうね。でも、今日は止めておきなさいな。まだ果竪は目を覚ましたばかりですもの。代わりに私から果竪が目覚めた事を伝えて置くわ。とても心配していたから」
「明燐、ありがとう」
「ついでに食事も持ってくるわね」
「ほほ、栄養をつける事は傷の治療の一番の特効薬じゃ。さて、わしもそろそろ戻るとしようかのう。患者達も居る事じゃし」
そう言うと、老師が部屋を出て行く。
それに続くように、明燐も扉へと向かった。
「すぐに戻ってきます。それまで果竪について居て下さるかしら?」
「あ、はい――って、え?」
聞き返す間もなく、さっさと部屋から出て行った明燐に蓮璋は茫然とした。
普通人妻を、いや、王妃を出会ったばかりの男と二人きりにするだろうか。
「というか、まずいでしょ」
「いえ、それだけ明燐に信頼されているって事だと思いますよ」
王妃の言葉に、蓮璋はぎょっとして振り向いた。
「たぶん、他の女性よりも、蓮璋が一番信頼が置けると判断したんだと思う」
「王妃様……」
信頼。
その言葉を、蓮璋はしっかりと噛みしめる。
ただ、それでも、だ。
「そ、その、離れてますね」
蓮璋は果竪の名誉を考え、部屋の隅に移動した。
本当なら部屋の外に出て行きたいが、それでは明燐との約束を反故にするし、別の誰かが間違えて入ってくるとも限らない。
そんな蓮璋の姿に果竪は苦笑すれば、振動で肩の痛みを覚えた。
というか、痛い。
傷口に左手を置けば、じんわりと熱を感じた。
包帯ぐるぐる巻きの右肩に視線を向ける。
手術というからには、きっとかなりの怪我なのだろう。
傷口は綺麗に塞がるのだろうか。
そこまで考え、果竪も自分が女の子だったのだと思い知る。
「まあ、命があっただけでもめっけもんだよね~」
それに、そもそもそんな傷ぐらいでどうにかなるような美貌の持ち主でもない。
それよりも、傷口を鏡で見れるかどうかが問題だが。
そう、鏡。
果竪の中に稲光の様にそれがよぎった。
「か、がみ」
果竪は自分の胸の懐に手を入れようとして気付いた。
今自分が来ている服は、馬車の中で身につけていたものではない。
当然、懐を探ってもそれが出てくる事はなかった。
一種の恐慌状態に陥った果竪に、蓮璋が慌てて駆け寄ってきた。
「王妃様?」
「れ、蓮璋、わ、私の、服」
「服?」
「ば、ばしゃ、で、きてて」
「もしかして、ここに来る前に着ていた服ですか? それなら、今繕ってますよ」
違う、服ではない。
服よりも大切なものが。
「ち、ちが、服じゃ、か、鏡」
果竪は必死に訴えた。
息が上手く吸えない。
あの鏡を無くしたかと思えば、凄まじい焦燥感と絶望に陥る。
「鏡?」
「き、巾着に」
巾着という言葉に、蓮璋はようやく思い至った。
そう、王妃を老師の下に連れて行った後の事だ。
緊急手術の準備で部屋を出て行った老師と入れ替わる様に入ってきた女性達が王妃の服を脱がせる為に走り回る中で、王妃の懐から滑り落ちたそれを蓮璋は条件反射的に受け止めた。
大根の刺繍がされていた巾着袋で、中に固い何かが入っていたが、他人の荷物を勝手に見る気は無くそのまま自分の懐へと入れた。
女性達が走り回っている所に戻せばまた落しかねないし、こうして袋に入れているという事は大切なものなのだろう。
とりあえず預かり、明燐に後で渡そうと思い――そのまま、自分が持ち続けていたのだ。
蓮璋は「しまった」と思いつつ、慌てて自分の懐を探り巾着袋を取り出した。
「王妃様、これをっ」
果竪の目の前にそれを差し出す。
「あ――」
震える指が巾着袋に触れた瞬間、それを果竪は握りしめた。
「こ、これ……これっ」
蓮璋に渡された巾着袋を抱き締める。
固い感触が触れ、中に鏡が入っている事に気づき安堵する。
「すいません、ずっと預かっていたんです」
蓮璋は巾着袋を自分が持った経緯を説明した。
「本当に申し訳ありませんでした」
「ううん、ありがとう、大切に持っていてくれて」
それをぎゅっと抱き締める果竪に、蓮璋はポリポリと頭をかきながら聞いた。
「その、凄く大切にされているものなんですね」
「うん、大事な子から貰ったの」
「……友達ですか?」
「そんなところ」
そう言って笑う果竪に、蓮璋も釣られて微笑む。
「本当にありがとう。もしこれを無くしていたら、私、本当に……」
「王妃様……」
本当に大切なものなのだろう。
自分にも、そういう物はあった。
ただ、それらはもう一つも残っていないが。
だから、こうして大切なものを胸に抱く王妃に、少しだけ羨望と嫉妬を抱く。
しかしそんな嫉妬も、王妃の笑顔を見ていると淡雪が溶ける様に消えていってしまう。
「中身を聞いてもいいですか?」
「うん、これはね」
その後、明燐が戻ってくるまで蓮璋と果竪の楽しげな会話は続いたのだった。




