6-2
緋空ちゃんのおにぎりには特別な力が込もっていた。
小さい頃からお母さんの握るおにぎりが嫌いな子供なんて滅多にいないだろうし、DNAレベルでそうなってるんだ。
おにぎりを食べて1段階集中が冴え渡る気がした。
これなら古文も解けるはずだ。
よし、出来るぞ出来るぞ……!
上から下へ目を動かしていく、すらすらスムーズに文字が頭へ流れ込んでいく。
この単語がこの意味で、この文の中だとこういう意味を持って……。
「うん! 全く分からない!」
そんな簡単に分かるようになったら苦労しないよ。
ガクンと力を抜いて天井を眺めた。
別に拭き掃除をしてるわけじゃないのに真っ白で綺麗だった。
僕の頭の中みたい。
「気力はあるのに、学力がなー」
自分に足りないものは分かってる。
「これでもお姉ちゃんほどじゃないにしろ、それなりにできるんだけど」
お姉ちゃんに勉強を教わった時はお姉ちゃんの顔色がぐんぐん悪くなった。
Aの次はDって言ったらふざけてるのかと生まれて初めて怒られた。
コード進行にかけたジョークのつもりだったけど、マジで言ってると思ったらしい。
「そもそも僕は感覚派だし、勉強とか意味あるのかな……」
1人で言い訳してみる。
『彩陽ちゃんは頭は悪くないのに、気づくのが少し遅いんだよ』
お姉ちゃんの言葉を思い出す。
勉強の意味も僕がまだ気づけてないだけなんじゃないのか。
失ってから大切だったということに気づくことはたくさんある。
家族は失う前から大切だった。
「けど勉強は大切だって思えるのかな……いや思える気はするけど……」
古文は流石に別な気がする。
そもそも僕はいろんなことを流れで理解するタイプなのに、こんな気合いで勉強するのは結局非効率じゃないかな。
ギターだってそう。
なんとなく頭の中の音をギターで弾いて音楽にしてるけど、コード進行の理屈なんかは全くわからないし。
Aの次は大体Dマイナーセブンスのコードに繋がってるのは分かるけど、なんでそんな曲が多いのかは分からない。
はー……。
深いため息と共にテーブルに突っ伏す。
「でも……楽しいな。生きるの」
やっぱり薄まってる。
独りでいると、どうにも堪らなくなる時があった。
何もいらなくなる。命すら。
でも今はこうしてる時もどこか楽しい。
「……死ぬのって、想像以上にもったいないんだな」
そうやってポツリと呟くと、言葉がどこからか返ってきた。
「彩陽ちゃん……?」
えっ? と声の主を目で探すと、リビングのドアをパジャマ姿の緋空ちゃんが開けていた。
眠そうに目を擦りながら。
「緋空ちゃん、寝ないの?」
「眠れないの……」
眠そうじゃない? と言葉を返そうとしたけど、眠れないというなら眠れないんだろう。
時計を見たら短針はもう右側の数字を指している。
「もう12時回ってるよ?」
「彩陽ちゃんが寝るまで起きる」
「えぇ……」
「起きる……!」
あまりにも強情にそう言いながら緋空ちゃんは僕の隣に陣取って座った。
がっしりと抱っこ人形のように右腕を掴まれる。
おにぎりで血糖値スパイクを起こさせて寝かそうかとも考えたりしたけど、残念ながらおにぎりはもう無い。
んー。どうしよう。
「これ……勉強しにくいかもなー」
「……少しだけ」
その時、僕はこの女の子の考えてることがわかった。
寂しいんだ。
緋空ちゃんは聞き分けの良い子だけど、それと同じくらい寂しがり屋なんだと今になって気付いた。
お姉ちゃんが1人部屋で寝るようになった時、寂しくてベッドまでついて行ったことが僕にもある。
やたら一緒を強調したり、距離を詰めて甘えたり、昔の僕にそっくりだ。
「緋空ちゃん。少しお話しをしようか」
「する……」
そこで僕は微睡んだ彼女に一言、もしかしたら目が覚めてしまいそうな言葉をかける。
「あのさ、天国がなかったらどうする?」
「えっ……?」
明確に驚きを声に出しながら、緋空ちゃんは僕を見た。
「どうするってなに……? 天国はないの……?」
「例え話だよ。死んだら何もなくなっちゃう。空気に溶けちゃうみたいな感じだったら、緋空ちゃんはどうするかなって」
「嫌だ……嫌だぁ……」
すると緋空ちゃんはポロポロと泣き出してしまった。
いつもと違う。
天使の裏にいる希死念慮の死神は、漏れ出るというより転がり落ちた。
「あぁごめんね! 泣かすつもりはなかったんだよ」
「パパもママもいないの……? 彩陽ちゃんは……?」
上目遣いでこちらを見る彼女に、僕はもう勉強どころじゃなくなった。
やっぱり寂しいんだ。
この子はきっと死よりも何よりも……誰かの体温や、掴めるような腕を求めてる。
「僕はいるよ? ほら、ここに」
だからそばにいるということを伝える。
背中をさすって、頭を撫でて、手を握って伝えてあげる。
「一緒にお空に行っても?」
「そのお空がなくても、緋空ちゃんは死にたいの?」
「……分かんない」
そうして少しだけ押し黙って緋空ちゃんは、ボソリと言葉にしている。
照れ隠しの先の本音のように聞こえた。
「でも少なくとも一緒には埋まりたい」
「えっ?」
「死んだら埋めてもらえるんだよね? 一緒がいい」
「えっ……あーっ、ハハ……」
怖〜……っ。
そんな風に考えてるのこの子。
幼いのに賢いせいで汲み取れないんだけど。
天国行ったり埋まったり、もう僕の道行きってまともじゃないの……?
話をしようと言った割に、埋めるという比喩のない言葉が飛んできて、いよいよ勉強どころではなくなっている。
「うん、寝よっか。僕も寝るから一緒に寝よ」
眠気をいいことにこっそり希死念慮を僕と同じように薄めようと思ったけど、眠いからこそ変な方向で方位磁針を固めそうで怖くなる
そうして僕は寝る準備を整えて、緋空ちゃんと一緒のベッドに入った。
ベッドに入っても彼女はずっと体をこちらに向け、手を握って離さなかった。
可愛らしくも、いじらしい。
そんな彼女を見てるだけで不思議な気分になる。
「天使みたいだね。緋空ちゃんは」
手を引かれて本当に連れていかれそうだ。
「……一緒に行こう? 彩陽ちゃんも一緒に行きたいよね?」
何度も確認するように緋空ちゃんに、僕はあえて言葉を返さず頭を撫でた。
生きたい……の方なら「うん」と言えるだけのメンタルになってるんだけどな。
とは言っても、まだ緋空ちゃんには時間がかかるかも。
もっと生きようと思えてきている僕と繋がれれば、生きたいと思ってくれるかもしれない。
けどこの愛らしい裏側にいる希死念慮の死神が、僕との繋がりを死へ同行者として固めている。
どうにかならないかな。
「考えておくね。死に方」
「ふふっ天国までデートだね」
苦笑いしながら僕は目を閉じた。
瞼を閉じる直前の緋空ちゃんの顔は、薄暗く
天国へは行かない。行かないよ?
デートするなら……そう。どこか自然でも見に行きたいよね。
同じ景色を見て、同じ空気を吸うんだ。




