3-1
「彩陽ちゃん! ねぇあの曲弾けない? CMでやってたやつ!」
突然お姉ちゃんは私の部屋に入ってきて言った。
いきなり扉が開くものだからとても驚いて、調子っぱずれた音で演奏が止まる。
「お姉ちゃん……今録音してたんだけど」
「ごめんごめん、でも彩陽ちゃんなら大丈夫でしょ?」
そんなことないのに……。
お姉ちゃんはギターができないから、同じ演奏っていうのは2度とできないことを知らない。
今のはいい感じだったんだけどなぁと溜め息を吐くと、私の作業用の方の椅子に座ってこちらを見てカメラを止めて三脚をどけた。
「撮影中ごめんね! ギター聴きたくなっちゃったんだ!」
「彩沙お姉ちゃん、自分勝手すぎ」
「ごめんごめん、僕は彩陽ちゃんのギターの大ファンだからさ? 許して? ファン1号特権!」
「そんなのないよ……それで? なに弾いて欲しいわけ?」
ただお姉ちゃんの自由度には真正面から向き合っても意味はないし、口論になっても勝てないから諦めた。
いつも突然やってきて、お姉ちゃん専用の演奏会をすることになるのは小学生の頃から恒例行事だった。
「あのCMの曲! 彩陽ちゃんアレンジで!
「あの……って、どの曲?」
「えっとね……あれだよ!」
すると、鼻歌でその曲を歌ってみせた。
音がところどころ外れていたけれど、なんとなくは理解できた。
受験生を応援するCMソングで、ポップな青春を歌った流行りの曲だ。
「お姉ちゃん、受験心配なの?」
「いや……まぁ試験自体は問題ないけどさ、出ないと不安でしょ? 来週結果がわかるんだよ?」
ぐいっと前のめりになりながら、私を物欲しげな目で見つめて唇を尖らせ、演説のように大袈裟な身振りをつけて喋り出した。
「彩陽ちゃんはもう受験終わったから良いよね。お姉ちゃんの気持ちはきっとわからないんだろうなぁ。僕も受験なのに妹の勉強を見てたんだよ?」
「あーはいはい、ありがとうお姉ちゃん。弾いたげる」
妹が心配だからって付きっきりになったのは、お姉ちゃんの方からだったと思うけど……。
まぁ仕方ないから、妹の私がお礼としてお姉ちゃんの受験を応援してあげよう。
そんな気持ちで曲を聴き、ぴょんぴょこメロディが跳ねる明るいJ-POPを頭でも再生してみる。
「こんな感じかな」
イントロからメロディをなんとなくギターで歌ってみると、お姉ちゃんは目を見開いた。
「おー! いつ見ても凄いね〜、どうやってるの?」
「鼻歌みたいになんとなくギター弾くだけだよ」
「うわぁいいなぁ、それ出来たら楽しいだろうね」
「お姉ちゃん音楽だけはダメだもんね」
そういじわるを言ってみると、お姉ちゃんは襟足から伸びた赤い髪をイジイジと指でねじった。
完璧なお姉ちゃんだけど、どうしても歌や楽器は苦手らしい。
さっきの鼻歌も有名な曲だからわかったものの、かなり調子が外れていた。
「こんなにギター上手い先生がいるのにね」
「私が悪いんじゃないからね。お姉ちゃん音痴なの」
「そんな直球で言われると、お姉ちゃん傷つくな〜」
本当に傷付いてるのか分からない苦笑いを浮かべて、お姉ちゃんは顎に手を当てていた。
「ま、まぁいいよ! ほらほら、続き!」
「えー? えっとー……こうかな」
さらにアレンジを加えて見ると、お姉ちゃんはパチパチ拍手をして目を丸くした。
「おー凄い凄い! こっちの方がカッコいいかも!」
「そうかな?」
「うん、僕はそっちの方が好きだなぁ〜、動画にしたら? また新しい機材買えるかもよ?」
小学生の頃にお父さんのアカウントで投稿を始めたギターの動画は、お姉ちゃんの曲選のセンスもあって再生数も多い。
その収益を私名義の口座に入れていて、管理してるお父さんがそこから機材を買ってくれる。
詳しい額は教えてもらってないけど「いつパパが追い抜かれる不安になる」くらいらしい。
なんとなく再生数と買ってくれる機材の値段でどのくらいか分かるけどね。
「でもいいのかな? こんな風にお金稼いで」
「お父さんが良いって言うんだから大丈夫だよ。それに将来の分の貯金はいくらあってもいいじゃん。いつ何が起こるかわからないんだから」
「そうかなぁ」
とは言いつつ、私には考えがあって貯金していた。
欲しいエフェクターや機材はあるけれど、それも我慢している。
家族の驚く顔が楽しみだ。
お姉ちゃんはきっと喜びのあまり私を抱きしめるに違いない。
「んー最高! 僕のためにコンサートしてくれる彩陽ちゃんだーいすき!」
するといきなりこちらを抱きしめた。
「ちょっと! ギター危ないって!」
「おっとっと、はいはい」
パッと離れる。そして……ギターを置くのを待っていた。
「はぁ……。はい、お姉ちゃん」
「やったー彩陽ちゃんは可愛いなぁー!」
手を広げて受け入れると、お姉ちゃんが抱きしめてくれる。
ぎゅーっと私を抱くお姉ちゃんはいつも暖かかった。
シャンプーのいい匂いがして、お姉ちゃんを纏う澄んだ空気が肺の中に充満している。
柔らかくて、抱きしめる力もちょうど良い。
お互いに穴が空いていて、そこにすっぽりとハマってるみたいな気持ちよさ。
「なんか、2人でひとつみたいだね」
「姉妹ってそういうものなんだよ。お互いに足りなくて、お互いがいるから満たされる」
「そうだね。お姉ちゃん音痴だもんね」
「彩陽ちゃんだって勉強苦手でしょー?」
ハハハっと2人同じタイミングで吹き出した。
いつも私に光をくれるお姉ちゃん。
僕という一人称で赤い髪をした個性的なのに、勉強も運動も出来て生徒会長。
まだ結果は出てないけれど、難関大学もきっと合格するはずだ。
どこでも彩陽ちゃんに見つけてもらえる立派なお姉ちゃんになりたいって、口癖のように言っていた。
「私、お姉ちゃん大好きだよ。普段は恥ずかしくて言えないけど」
「えーいつ言ってくれてもいいんだよ? 僕はいつも言ってるのにさー」
「甘えん坊みたいだもん、ここぞって時にしか言わない」
そんな風に強がって見せても、お姉ちゃんはその強がりすらも可愛がるように目を細めた。
「甘えん坊なのは事実じゃん。いっつもお姉ちゃんお姉ちゃんって呼んでくれるでしょ〜?」
「それは……うん、でも、だからここぞという時に言うの」
「そっかーじゃあ次の機会を楽しみにしよっかな。言ってもらえるよう頑張ろ」
口にしなくても、お姉ちゃんのことは大好きだった。
そんな大好きな彩沙お姉ちゃんに恩返しをしたい。
だから受験が成功したら、そのお祝いに貯金を使ってプレゼントをする予定だ。
こんないつでも出来る個人コンサートじゃなくて、もっと素敵なプレゼント。
ふふんと胸にワクワクを蓄えた。
「お姉ちゃんは彩陽ちゃんがいて幸せ者だなぁ」
「それは私もだよ、自慢のお姉ちゃんだし」
「本当? そう言ってくれると頑張った甲斐があるなぁ。彩陽ちゃんの自慢になるなら、なんでも頑張れるよ」
そうやって背中をトントンとするお姉ちゃんの暖かさに浸った。
するとコンコンとノックされてドアが開く。
「おーい2人とも、お母さんがご飯出来たって……なんだ、仲良いな」
お父さんがゆっくり顔を出して伝えると、
「仲良いでしょー、僕たち姉妹は仲良しだからね」
「お父さん今日の夕ご飯は?」
「彩陽の合格祝い。お母さん特製オムライスだよ」
そう言うと、胸の奥がピンと跳ねた。
料理が得意なお母さんの特製オムライス。
ワクワクでお姉ちゃんと目があった。
「冷めないうちにおいでね」
「うん、すぐ片付ける」
「早く行こう! 僕の時は何作ってもらおっかなー!」
そうして、私たちは幸せな食卓を囲んだ。
黄色い薄焼き卵にスプーンを割り入れると、ケチャップの甘い匂いが立った。
あの時のオムライスは美味しくて、お母さんに「美味しい」と伝えたら、その綺麗な顔をにっこり緩めて、嬉しいと言ってくれた。
「大好きな家族のためにご飯作ると、いつもより美味しく作れる気がするわ」
そうやって毎日美味しいご飯を作ってくれたお母さんも自慢の存在だった。
もちろんお父さんも機械に強くて器用な、カッコいいパパだった。
器用なお父さんに料理上手なお母さん、立派なお姉ちゃん。
3人とも優しくて素敵な家族だった。
私のことを大好きと言ってくれて、愛してくれて……。
「もっともっとお母さんの料理食べていたいなぁ……」
私がそう言った瞬間に視界がぐにゃぐにゃ緩んで、パッと瞼が開いた。
「……夢か」
夢にしては質感が伴っていた。
いやそれもそうだ。
高校一年生の時に、実際こんな感じのやりとりをしたのを覚えてる。
「あの時しか、大好きって言えなかったな……」
自然と視界が潤んでぼやけ、目から何かが溢れ落ちた。
あくびだと思いたい。
家族がいなくなってから、たまにこんな夢を見る。
もしかしたら生きてるかと期待して目を覚まし、そんなことあるはずないだろうと現実を正論のように叩きつけられる。
お姉ちゃん、どこにいるの……?
鏡を見ても、自分は結局妹の彩陽だよ。
会いたい……。僕を……私を抱きしめてこのぽっかりと空いた穴を埋めてよ……。
枕を強く抱きしめても、穴が埋まることはない。
分かっていても気持ちが溢れ、朝の澄んだ空気ですらビリビリと胸の奥に沁みる。
時計は6時、緋空ちゃんは隣でまだ寝ている。




