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呼び声

(……来る!)


 温室の空気が不意に変質した。


 私は思わず立ち上がっていた。裸足の足裏に僅かに熱を感じたが、もはやそれも些細な事だった。

(本当に……あのひとが、戻って……!?)

 ふらつく身体を支えるように両腕で肩を抱いた次の瞬間、

「……っ!?」

 全身が燃え上がるように熱くなっている事に気付いて、狼狽える。

「く……っ、はぁ……っ……なにこれ……?」

 

 細胞の一つ一つが突然目を覚ましたかのように脈打ち、蠢いているかのような、久しく忘れていた感覚----石と化していた身体に血が通っていくような錯覚。


 草ばかりではない。壁の石も、床も、空気すらも、いまや「温室」中の全ての物質が何かに憑かれたかのように小刻みに震え出し、人間の可聴域を超えた音を放っていた。

(中庭に、入って来た……!)

 誰も足を踏み入れないはずの芝生の上を、その圧倒的な気配は氷上を滑るようにしてこちらへ向かって来る。


 だが、私はただ立ち尽くしているだけだ。

 身体は少しも動こうとしない。全身の産毛が逆立ち、チリチリとする。

 それでも不思議な事に、感じていたのは恐怖ではない。


 どうしようもないくらいの懐かしさが、私を揺さぶっていた。


(……あのひとだ) 


 そして、ようやく、私は雷に打たれたように、身体の底から理解する。


『女王』が、帰還したのだ。


細胞が、血液が、理解する。

自分が何をすべきか。

どう応えるべきか。


考えるよりも早く、私の身体は『女王』に忠誠を示していた。

(もう上にいる……!)


膝を折り、恭しく頭を下げる。


久しく動かす事のなかった身体につられるようにして、感情が蠢く。鼓動が増していく。


(……本当に、帰って来たんだ!)


 気配は頭上で一旦止まり、そして、ドアの閂が音もなく外れる気配がした。


 草達が、ザザザザッと狂ったように揺れている。

 石畳が震えている。


「あぁ……そんな……でも、どうして……」

 唇から零れる言葉は、今や一つの巨大な共鳴器となった温室の闇の中へと散り散りになる。

「もうこんな日は来ないと思っていたのに……」


 一秒が百年かのような長さで流れて行く。

 じりじりとしながら私は待つ。


 ゆっくりと、気配は降りて来る。


 螺旋階段を音もなく降り、真っ直ぐに私に向かって歩みを進めて。

 私は身じろぎもせず全身でそれを感じる。


 こつこつこつこつ。


 金属製の階段を叩く軽やかな靴音。

 微かな衣擦れと、そして、波打つ髪の揺れる気配。


 頭を垂れたまま私は待つ。


 ただ、ひたすらに待つ。


 私の女王の帰還を。

 その声を。


 私は----。


 (そうだ、私は……!)


 「……」


 誰かが私を呼んだ----気がした。


 「……ッ!?」


  盲いた目を弾かれたように見開いて、私は声の方角を見上げる。



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