花と糧
「アイリス……?」
どのくらい時間が経っていたのだろう。
恐らくはほんの数秒だったのだろうが、完全に黙り込んでしまった私に不安を覚えたのだろう、メリッサがランタンで私の顔を照らしていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
爪先立ちになっているせいで、指先が小さく震えている。
「……ええ、大丈夫よ」
再び目をやった先で、金輪は静かにぶら下がっている。
錆が赤みを増して見えるのは、きっと目の錯覚だ。
「この部屋を使ってたのは、もうずっと昔みたいね」
「ふぅん……」
少女の興味はもうここから離れたらしい。
「残りの部屋は、また後で見たらいいわ」
「うん」
意外にも素直に頷くのを見て、私は理由の分からない安堵を覚える。
説明できるだけの記憶が残っていないというのは本当だ。
だが、本当に残ってないのだろうか?
ごくり、と私は唾を飲み込んだ。
まるで呪いのように。
押し込めた記憶を、そのまま封じるかのように----。
「そうだ! アンソニーが、荷物を運んでおいてくれてるはずだから、取りに行かなきゃ!」
私達への荷物は全て、棟梁以外の庭師の手で温室の入口前に置かれる決まりになっている。
荷物には全て羊皮紙の贖宥符が貼り付けられ、聖水が振り掛けられているのだ。剥がす手間を思い出して私はげんなりとした。あれはまだ続いているのだろうか?
「うわ……っ、すごい! こんなにお花が咲いてる……!」
階段の手前でメリッサの歓声が聞こえた。
「見て! 全部お花が咲いてるの! きれい!」
幾つも混ざり合った芳香が螺旋階段を包んでいる。
私は息を呑んだ。
昨日までは蕾すら付けていなかったはずの薬草達が、一斉に花開いていた。
「良かったぁ、これで私、やっとごはんを食べられるね」
そうだ。
私はまた一つ思い出す。
この薬草達は、モルガナのために花を咲かせたのだ。
女王の、糧となるために。
つまりは、私の血となるために----。