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時間を見つけ、さっそく花畑に足を運ぶ。
白や黄、赤に橙色。みんな綺麗に咲き誇っていて、どれを選ぼうか迷ってしまう。あ、この花びら…詩音様の髪色に似ている気がする。こっちは淡稀様の瞳の色みたい。
そんなことを思いながら花を摘んでいる間、なんだか胸がそわそわした。
淡稀様や詩音様がこの綺麗な花を見て、ほっと一息ついてくれたらいいな。
なんて恐れ多いのか。淡稀様のお力で咲いている美しさなのに。わたしはただ、それを与えて頂いているだけなのに。
でも、もし……
もし、自分の力で花を咲かせることができたら。
それを見て、淡稀様や詩音様が少しでも笑顔になってくれたのなら。
「……嬉しい、な」
手が止まる。ーーびっくりした。
大それた考えだと怯える自分と、それ以上にそんな未来に思いを馳せる自分がいたことに。
少し前なら、生まれ育った村にいた頃には絶対にあり得なかった。誰かのために何かをしてみたいだなんて考えすらしなかっただろう。
息を潜めて暴力に耐えて、ひっそりと生き長らえることだけが、わたしに許されていた唯一だったから。
『此処にはお前を脅かすものは何もない。だからもう、我が儘を言ったっていいのだぞ』
『翠様がなにかに興味を示して下さることが、とても嬉しいのです』
温かい手。温かい言葉。温かい笑顔。
此処に居ていいのだと。
いつだってわたしを見守り、包んでくれる。
(……望んでも、いいのかな)
生きることを、未来を、希望を。
それを許し、望んでくれる存在が居てくれるのなら。
『……わ、たしも…』
『ん?』
『わたしも、いつか……こんな綺麗な花を咲かせてみたい、です』
淡稀様が目を丸くするのが分かって、心臓がどくどくと早鐘を打つ。
今すぐひれ伏して過ぎた言葉を取り消したい。
込み上げてくる衝動に負けてしまわないよう、ぎゅっと花を抱き締める。
知らなかった、自分の望みを口にすることがこんなに緊張するものだったなんて。
『そうか』
そっと顔を上げて、思わず息を飲む。
淡稀様があまりに美しくて、優しい笑みを浮かべていたから。
目が離せない。まばたきどころか呼吸すら忘れそうだ。
伸ばされた右手がわたしの頭に触れる寸前で止まり、閉じられる。
あ。かちりと、何かが初めて噛み合った音がした。
『翠』
『は、はい』
『手を』
慌てて花束を片手で抱え直し、手を差し出す。
淡稀様は閉じていた右手をその上で開く。
軽い感触。いくつかの、小さくて黒い粒のようなもの。
これは……。
『……たね?』
『そうだ。試しに育ててみるが良い』
『あ、ありがとうございます』
『場所はそうだな…中庭が丁度いいだろう』
少々殺風景だったしなと淡稀様は口元を上げる。
もう知っている。
わたしが迷ったり立ちすくんだりしないよう、こうして先に道を示してくれることを。
そっと背中を押して、見守っていてくれていることを。
胸がきゅうっとなる。苦しいけれど、痛くない。なんて温かい心地なのだろう。
『ありがとうございます、綺麗な花を咲かせられるように頑張ります』
『うむ、楽しみにしているぞ』
ひらりと手を振って去って行く淡稀様が見えなくなるまで頭を下げ続ける。
種まで与えて下さり、楽しみにしていると言ってくれた淡稀様のご厚意に応えるためにも、綺麗な花を咲かせたい。…精一杯、頑張ろう。
こんな気持ちが自分の中にあることが不思議で、少しだけ実感が沸かなくて、なんだか怖くて、でも嬉しかった。
全身がとても柔らかいものに包まれているような気がする。
つま先から指先まであったかい。ふわふわしていて、なんだかお湯に浸かっているみたいだ。
けれど。
ぽつん、と。
その中に冷たい水滴が落ちて、小さな波紋が広がる。
すぐにお湯と混ざって消えてしまうほど一瞬のことだったのに、何故だか目が覚めるような感覚だった。
やっと分かった。このところずっと胸の奥にあった、小さな違和感の正体が。
淡稀様に、頭を撫でてもらっていないのだ。




