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最終回 大輪の菊が咲く

ついに最終回です。

やがて西南戦争は西郷隆盛の自決をもって終焉した。辺見十郎太も自決して果てた。自決の直前、辺見は武良がいる福済寺の方角に頭を垂れて

『貴殿のおかげで思い切り戦えた。礼を言う』

と、酒巻武良に礼を言ったと言われている。


博愛社が助けた薩摩兵は全体の死傷者からすればわずかであったが、日本の医学界には大きな前進であった。この活動が今日の日本赤十字の精神となっていくのであった。

そして酒巻武良と凌雲門下の仲間たちは無事に東京に帰っていった。


この年、医師会会長であった高松凌雲が貧民を無料で診察する医療組織『同愛会』の設立を提案した。

「貧しき者の困窮をただ座視するのみではなく、我ら医師たちが一致協力して、貧しい傷病者を救うために立ち上がり、金のない者が安心して治療を受けられる病院を創設する一大事業を興そうではありませんか」

医師会の大会議室、凌雲は壇上で熱弁をふるった。欧州では出来ていること、日本で出来ないことではない。つい昨年の西南戦争では『レッドクロス』の精神に則り、人道的支援が出来たではないか。理想論であるものか。

静まり返るなか武良が立ち、拍手と共に『賛成』と言おうとしたが凌雲は目で制した。

(君が最初ではダメだ。君が私の一番弟子と云うことはみんな知っている)

その意図を悟った武良は動かず何も発しなかった。沈黙がじれったい武良。

(くそ、なんで誰も賛成と言わない。医は仁術!金儲けだけがしたいのかよ!)

いよいよとなれば、サクラと言われようが何であろうが自分が切り出すしかないと思ったが、やがて一人が『賛成』と言って立ち上がった。

「まこと高松先生の言うとおりです。貧民の救済は我ら医師が社会でなすべき義務であり、一致協力してこの一大事業をなし遂げたい」

と凌雲の案を喝采した。この言葉に会場内に一斉に拍手が湧いた。同愛社設立は医師会に満場一致で可決された。

「やりましたね先生」

「ああ酒巻くん、これで貧しい人々も助けられる」

「私は…博愛社にも誘われているんですけど、やはり高松凌雲の一番弟子なんだから同愛社に尽力します」

「ありがとう、一緒にがんばろう!」

愛弟子の手を握る凌雲。

「はい!」

酒巻武良は同愛社で凌雲の右腕を務めていくことになる。この同愛社によって診察を受けた貧民は七十万人に達するといわれている。

いつか故郷二本松に自分の病院を、と思っていたが武良は同愛社の幹部であると同時に自分の病院の経営もあって多忙を極め、中々実現できなかった。時はどんどん過ぎていく。


◆  ◆  ◆


そして酒巻武良四十八歳、最大の悲劇の時がやってきた。最愛の妻である寧々が突如倒れたのだ。普段は静かな寝息の彼女が大いびきをかいて目が半開きの状態。医師の武良はすぐに脳卒中と分かった。治療に当たる武良。

「寧々…。寧々…!」

医師となっていた息子や娘たちも懸命に看護した。卒中ではたとえ快癒しても重い障害が残る。武良は寧々に言った。

「生きてさえくれれば何もいらない!寧々…!」

あの地獄の会津戦争を共に味わった十五歳のころから苦楽を共にしてきた最愛の妻である。

自分より先に死なれること、いや隣にいないこと自体が想像できなかったのだ。生きてほしい、たとえ動けなくても、話せなくても…!


しかし願いは届かず、酒巻武良の妻の寧々は息を引き取ったのだ。人目はばからず武良は号泣した。

葬儀から数日、自宅の縁側に寧々の位牌を持ちながら座り、ただボンヤリと庭を眺めている毎日の武良。一人の男が庭に歩いてきた。

「…久しぶりだな」

「…健次郎…か?」

「ああ」

「……」

「葬儀の時に来られなかったので、今来たよ。焼香してよいか?」

「……」

訪れたのは会津鶴ヶ城の戦いで共に戦った山川健次郎だった。庭先から酒巻邸に入り、寧々の仏壇に合掌する。


「なあ…龍次郎」

「ん…?」

「寧々殿はな…。俺たちの憧れの的だったんだ」

「…すまん、こんな早く逝かせてしまい…」

「バカ、責めに来たんじゃない」

「健次郎…」

「寧々殿が榎本艦隊に合流しようと言うお前に付いていくと言った時…悔しくてなぁ。でも白虎隊のみんなは『我らが憧れし寧々殿、龍次郎なら良いじゃないか。見事寧々殿の心に一番槍をつけた龍次郎を祝福してやろう』と言っていた」

「そ、そうなのか…」

「そうだよ、お前、西軍がまだウヨウヨいた会津山中、寧々殿が一人でお前を追いかけて行ったと本気で思っていたのか?」

「じゃあ…」

「ああ、お前を鶴ヶ城で見送った後、我らが違う道で寧々殿を連れて行き先回りさせたんだよ」

「そうか…。ありがとう!」

「その寧々殿を、お前は今まで幸せにしてくれた。それで我ら白虎隊は十分だ」

「幸せか…」

「……」

「苦労かけ通しだった。至らぬ良人だったよ俺は…。医者だってのに…妻の体調の変化も気づいてやれないなんて…」

「…会津戦争をその身で味わった寧々殿、あれ以上の地獄はない。お前がかけたと思っている苦労など寧々殿にしてみれば苦労ではなかったと思うぞ」

「健次郎…。う、うう…」

「昨年、俺が東大総長になった時、寧々殿も祝いの席に来てくれてお会いしたが、俺が龍次郎は元気ですかと訊ねたら、それは嬉しそうにお前のことを話していた。はは、俺の東大総長就任のパーティーだったのに逆にノロケを聞かされたよ」

「……」

「早く立ち直れよ。俺が言えるのはそれだけだ」

「ああ…。だがもう少し時間をくれ」


酒巻武良が白衣を着て、酒巻病院に出勤したのは、この日より十日後であった。長男の遼太郎が出迎えた。

「父さん、もう大丈夫?」

「ああ、すまんな遼太郎、お前だって母さんが死んで悲しいだろうに」

息子遼太郎は大がつくほどの母親っ子だった。今風に言えばマザコンであったが母親の死で一皮向けた感じだ。げにも親の死は親が子に残す最後の人生訓とはよく言ったものだ。

「仕事していた方がマシだと思っただけだよ」

「まあ、俺も似たようなものか」

次男は他の病院に勤め、三男はまだ学生である。二人の娘はすでに嫁ぎ、子もいる。武良は五十前で三人の孫がいるのだ。

「とにかく、今日から俺も患者を診る。午後から治療会議もするゆえ院内の医師たちにそう伝えておいてくれ」

「はい、父さん」

自分の診察室に歩く武良、廊下の窓から流れてくる冷たい空気が心地よい。

「寧々、正直まだ俺は立ち直れていない。失って平気な女を妻にしたわけじゃないんだからな」

すうっと大きく息を吸い込み、そして吐いた。

「でも、いつまでも俺がしょげていたら…お前安心して逝けないものな…」

「院長先生、お時間ですよーッ!」

廊下の向こうで看護婦が呼んだ。

「分かった、すぐに行く」

強い足取りで武良は歩いていった。


◆  ◆  ◆


時は瞬く間に流れ、寧々が死んで十余年が過ぎた。

病院は息子たちに任せて故郷二本松に病院を作ることに専念したかったが、武良を主治医としている患者は何人もいて、そう無責任なことも出来なかった。同愛社の幹部としての責任もある。


あれよあれよと数年がアッと云う間に経ってしまい、六十四歳になってしまった。

大正六年、戊辰戦争から五十年経ったのだ。その間、彼は後添いを娶っている。冬美と云う名前で、武良の元患者である。


彼女は病弱で子供が生めず嫁ぎ先から追い出された出戻りであった。離縁の心の痛手もあり、伏せるようになってしまったので武良を主治医にして病を治すことにした。長期入院の治療のすえ、完全とは云えないものの治癒に至ることが出来た。

彼女は治療を受けているうち武良に恋慕を抱くようになり、退院を告げられたその時に『私を妻にしてください』と武良に求婚をしたと云う。武良はその時に他の患者のことを考えており、そのままの流れで『ああいいよ』と返事をしてしまった。ハッと気づいた時は後の祭りだった。二本松武士に二言はない。武良五十五歳、冬美三十四歳であった。

落語みたいな求婚劇であったが、それ以来二人に子供はいないものの仲良く暮らしていた。武良の子供たちもすでに成人に達しているので特に口出しもしない。

 

師である高松凌雲の後を継いで同愛社の総裁となっていた武良だが、ここいらで区切りとしようと後継者を指名して同愛社からは退職してしまった。彼を主治医としている患者たちには息子や弟子たちに委ねようと考えた。もう決めた。二本松に病院を作るのだ。


彼が決断したのは一つの手紙がきっかけだった。冬美が郵便ポストから手紙を持ってきた。

「あなた、二本松からお手紙が届いています」

「二本松から、誰だろう?」

手紙の差出人名を見る冬美。

「うわあ、二本松町の助役さんだって。ずいぶんと偉い人じゃない」

「助役ぅ?そんなの知らないぞ。差出人の名前は?」

「水野進さんて方」

「な…。何て言った今!?」

「水野進さん」

「進が…!あいつ生きていたのか!」

そう、あの大壇口の戦いを共に戦った戦友の水野進、彼が生きていて二本松町の助役になっていた。

そして東京に住む武良に手紙を届けたのだ。内容は『戊辰戦没者追悼五十回忌』が霞ヶ城城址にて開催されると云う知らせだ。それと同時に『二本松の医療を救ってほしい』と書かれてもあった。

前から自分が考えていたことを郷土に住む友から頼まれた。これは二本松男児として断れない。彼は二本松に帰ることを決めたのだ。無論、妻の冬美も一緒に行く。


『二本松少年隊』この名前は驚くほど世に知られていない。戊辰戦争当時を知る東西両軍の武士たちは知っていたが戊辰戦争から五十年経った今は忘れ去られてしまっている。

戊辰戦争で二本松藩は西軍、つまり明治新政府軍と戦った。敗戦を恥としたのか、それとも賊軍となったことを隠すことか、二本松の戊辰戦争を語る者はいなかった。少年たちの勇敢な戦いぶりは歴史に埋もれた。武良も二本松少年隊のことを語ることはなかった。真実は自分たちだけが知る、それでいいと思っていた。

だが大正六年、戊辰戦没者追悼五十回忌でついに二本松少年隊のことが語られ始めることになったのだ。酒巻武良の親友、水野進、現在の水野好之によって。


武良は妻の冬美を伴い、汽車に乗って二本松を目指した。

(落城以来だから…五十年ぶりか…)

五十年ぶりに故郷の土を踏む武良。二本松の町は変わっていた。往来には馬車が通り、商店が駅前に並ぶ。

「変わったな…。あの焼け野原からよくぞ、人間てすごいな」

「ここがあなたの故郷なのね」

当たり前だが冬美は夫が二本松藩の子弟と結婚後に知らされている。

「そうだ冬美。あれが安達太良山だ」

「うわぁきれい」

「変わらないなぁ、相変わらず美しい…」


武良と冬美は霞ヶ城の跡地に向かった。

城跡は公園になっており、明後日に開催される式典の準備に係の者は忙しそうだ。

本丸があった方向に頭を垂れる武良。

「平和な明治で育った私には信じられない戦がここであったんですね」

と、冬美。

「ああ、地獄絵図だったよ」

箕輪門付近を歩く武良。物思いにふける夫の邪魔をしないように歩く冬美。

「さて、そろそろ進と約束した刻限だ。町役場に行くか」

「懐かしい戦友との再会、私は外します」

「遠慮するなよ」

「いいえ、私もあなたの故郷をゆっくり歩いて散策したいですから」

「そうか?ならば十七時に駅前に来てくれ。そこから宿の岳温泉に行こう」

「分かりました。うーん、温泉楽しみです」


冬美は武良と別の方向に歩き出した。

「ええと、役場にはどう行けば…ん?」

箕輪門から東に少し進んだ武良は小さな墓標らしきものを見つけた。墓前には野花が活けてある。粗末なものだから、墓標と気づかない者も多いだろう。

「箕輪門の近くにあるってことは…あの激戦の戦死者かな…」

手を合わせようとした武良。


「…そこは成田才次郎、戦死の地じゃ」

「…え?」

それは白いヒゲを生やした初老の男だった。

「まさか…」

確かに面影がある。少年の日に共に泥だらけになって遊んだ友の面影が。

「す、進?」

「ああ、久しぶりじゃな」

「進!」

水野に抱きつく武良、およそ五十年ぶりの戦友との再会であった。

「よく生きていてくれた…」

「お前こそ」

「…どうして私がここにいると?」

「わしも式典運営の関係者でのう。ずっとここにおった。そんで立派な洋装で本丸の方向に頭を垂れるお前を見かけたのじゃ」

「そうか、会えて嬉しい。元気そうで何よりだ」

「積もる話は今宵ゆるりとしよう。ワシの家に泊まってくれると嬉しい」

「そうしたいが家内と岳温泉に行く約束が。宿も取ってしまったし…」

「そんなもん、なかったことにせい」

「ははは、分かったよ。相変わらず強引なヤツだ」

「で、龍次郎、この場所なんじゃがな。才次郎はここで長州の白井小四郎と刺し違えたのじゃ」

「ここでか…」

「ああ、成田才次郎戦死の地だ」

現在、この地には『成田才次郎、戦死之地』と石碑があるが当時はない。

「霞ヶ城の石垣の一部を拝借してのう、そこに置いた。石碑代わりじゃ」

「そうか…。才次郎はここで死んだのか…」

才次郎とは幼いころから親友だった。明治新政府軍に討たれて伏した地であろう場所に武良は手を合わさずにいられなかった。

「才次郎…」

「才次郎に討たれた白井もこの二本松に弔われておる」

「本当か?」

「ああ、真行寺にな。才次郎の親父さんは墓参を欠かさなかった」

「なぜ」

「白井は才次郎に討たれた直後『討たれるは我が不覚、その勇敢な少年を殺してはならない』と部下に命じたらしいのじゃ」

「知らなかった…」

「じゃが上官を殺されて激怒した兵にその声は届かず、才次郎は銃底で頭を砕かれた」

「無念だったろうな…。才次郎、わずか十四で…」

「明治三十一年、陸軍大将の野津道貫が山岡さんと青山さんを回想録で讃えて大壇口の二勇士として歴史に記されたけれど、我ら少年兵たちのことは誰も知らぬ」

「うむ…」

「もう戊辰から五十年じゃ。ワシはずっと仲間たちのことを語り継ぎたかったが沈黙を課せられた。しかし、もうええと思うんじゃ」

「私もそう思う。生き残った者の務めだ」

「会津白虎隊はよう知られているが、我らの戦いは誰も知らぬ。この二本松の人々でさえ知らぬ者がおる有様じゃ」

「進…」

「ワシはやるぞ。残る人生、仲間たちのことを語り続けるんじゃ」

「私も及ばずながら協力するぞ」


「もう一つ」

「ん?」

「龍次郎、二本松に戻ってきてくれ。そしてこの町の医療を救ってほしいのじゃ。これは戦友としてではなく二本松の民として頼む。二本松には医者が少ない。たらい回しは日常茶飯事、手当てが間に合わず死んでいった者がどれだけ多いことか。お前の手で医者を一人でも多く育てて欲しいのじゃ。医療学校を作り、二本松の医療の礎を築いて欲しいのじゃ」

「ああ、喜んでやらせてもらうよ」

「ほ、本当か!?」

「私はもう同愛社からも引退し、経営していた病院も息子たちに委ねた。元々そのつもりで来たんだ」

「あ、ありがとう!すぐに町議会の議題に出す!」


成田才次郎戦死の地をあとにした武良は予約した岳温泉の宿の予約を取り消し、水野の自宅に招待され泊まることになった。

温泉がパアになり冬美はむくれたが、水野の妻、智の料理は絶品ですぐに機嫌が直った。

智は久保豊三郎と幼馴染で、大きくなったらお嫁さんになってあげてもいい、と約束していた。

しかし豊三郎は戦死、それを知らないまま霞ヶ城城下を歩いて豊三郎の姿を探していたのを進が見つけ、米沢まで一緒に行った。その後、智は進の妻となったのだ。

「まさか智ちゃんが進と夫婦になっているなんてなぁ」

「米沢までの道のりは龍次郎さんも知る通り難所続き。この人はそれらから私を守り、安全な米沢城下まで連れてってくれました。それでまあ情も出てきて」

「ははは」


夕食の後、二人で酒を飲んで話す武良と水野。この時、水野が武良に手渡した小冊子があった。

『二本松戊辰少年隊記』

ガリ版刷りの粗末なものだった。そして小冊子こそが歴史に忘れ去られた『二本松藩の少年兵たち』を改めて『二本松少年隊』と世に示されるきっかけとなる小冊子なのである。水野進、現在の水野好之が書き上げた自費出版のものである。

「読んでほしい」

「うむ」


――緒言

慶応四年戊辰の役、会津藩においては少年相集まりて白虎隊を組織し、君国のために壮烈なる戦死を遂げたり。後世、これを琵琶にて弾じ、浪花節に歌い、あるいは演劇に脚色して武士道鼓吹の資となせるをもって、人口に広く好まれるに至る。

当時我が二本松藩においても二十有五人の少年、相団結して一隊を作り、西南の鎖やくたる大壇口において奮戦激突、なかば戦死せるの事蹟はこれを知るもの稀なりとする。


武良は続けて読む、一字一字、それは丁寧に。

『家ごとに皆破壊され、往年の江戸地震に等しい』

『家ことごとくに焼亡し、死人があちこちに埋められ臭気鼻をうがつ』

生々しい描写、西軍は二本松を徹底して破壊したのだ。その惨憺たる様子が書かれてあった。武良は涙を落とす。戦後五十年経っていても、あの深い傷は今も残る。

やがて読み終えた。小冊子に一礼し、水野に返す武良。

「これを霞ヶ城の祭典で…」

「ああ、配る」

「やっと、世に知られるのだな」

「そうだ、やっとだ」


そして翌日、武良は水野と共に大隣寺に向かった。ここは藩公丹羽家の菩提寺である。

その墓前に来る前、武良と水野は山門で立ち止まった。

「龍次郎、ここで二階堂副隊長と篤次郎が殺されたのじゃ」

「ここで…」

「副隊長は城の炎上を見て、この大隣寺を目指した。藩公の菩提寺なら味方がいると思われたのじゃ。そしてこの山門に到着した時じゃった」

当時の情景を思い出す武良。霞ヶ城の炎上を見て武良は大急ぎで家に走った。隊とはそこではぐれてしまったのだ。

「いたのは味方じゃなくて敵じゃった。おいでおいでと手招きしたので篤次郎は味方と思い、それに歩き出した。副隊長は敵だ、と叫んで篤次郎を連れ戻そうとしたのじゃが、その時に二人とも撃たれてしもうた…」

「そうか…。悔しかったろうな…。篤次郎も…二階堂副隊長も」

「篤次郎はその隊の隊長を務めていた土佐藩士に助けられ、野戦病院に搬送された。『僕は戦える。銃を、銃をよこせ』そして『悔しいよ、悔しいよ』と言って死んでいったそうじゃ…」

涙をポトポトと落とす武良。篤次郎の無念はどればかりか。篤次郎は当時十二歳である。自分より年少だった仲間の戦死、五十年経っても無念でならない。

「龍次郎、ワシとお前、生きてもあと十年ほどじゃ。一人でも多く語り継ごう」

「そうとも、そうだとも!」

岡山篤次郎と二階堂衛守戦死の地、現在は石碑が立っているが当時はない。水野が運んできた大きな石だけ置いてある。その石に触れて武良。

「篤次郎、副隊長、酒巻龍次郎は帰ってきたよ、二本松に」

石を両手でがっちり掴み

「語り継ぐ、二本松少年隊を!」

そう誓った武良だった。

その後、二本松藩祖である丹羽光重の墓参をした。戊辰の役当時の藩主である丹羽長国の墓は大隣寺にはない。藩祖光重の御霊を通じてかつて殿と呼んだ長国の御霊に合掌した。


「藩公長国様は明治三十七年に亡くなられたそうじゃ」

と、水野。

「そうか…」

「最期まで我ら少年兵たちに『すまない、すまない』と言っていたと聞く。じゃが表で語り継ぐことは許されなかった。無念じゃったと思う」

「進、殿様は我らが戦っているのに米沢に逃げていたと維新後に知った。最初は許せなくてな…」

「ふむ…」

「でも…殿様も悔しかったんだよな、きっと」

「殿様自身も戦って死にたかったと思う。でも生きることを選んで逃げた。これもまたつらい人生じゃよ」

「まったくだ…。還暦迎えてから分かるなんて、私もダメだな」


◆  ◆  ◆


翌日の大正六年六月七日、霞ヶ城城址において戊辰戦没者追悼五十回忌が催された。この年には東京、北海道、そして会津若松でも戊辰戦争五十年の祭典が行われている。

かつての激戦の地、霞ヶ城の旧本丸に祭壇を築き、神職者たちによる祝詞の朗読と僧侶たちによる読経があった。千名以上の参集者と見物人がいたと言われる。そしてすべての祭典が終わると武良と水野は『二本松戊辰少年隊記』を人々に配布していった。

「二本松藩の戊辰戦争を記しました。ぜひ拝読を」

と、水野。

「語ることを今まで許されず歴史に埋もれた悲劇、どうか知っていただきたい」

武良も、そして冬美と智も手伝い配布していく。一人、そして一人、丁寧に受け取りお辞儀していく。

やはり戊辰戦争に関わった人々である。その記録ならば知っておきたいと云うことだろう。


「もう本はおしまいですかのう…」

小冊子はすべて配り終えていた。帰り支度をしていた武良に一人の老人が話しかけてきた。

「申し訳ないです。手に入れた方に借りて下さい」

「うーん、残念じゃ…」

ずいぶんと高齢の老人であった。杖をついてやっと歩いている様相、武良はここに来ることさえ困難であったろうにと思い、自分が持つ二本松戊辰少年隊記を手渡した。

「これは貴方の物では?」

「いえ、私は著者と同じく木村銃太郎隊に属していましたから読まずとも」

「……」

「どうされ…」

どこかで見た顔だと思っていた武良、どこで見た、そうだ新聞で見たことがある。この鮮やかな白く長いひげ…。やっと老人の名前が出て来た。

「も、もしや貴方は…板垣退助公では?」

「…さよう」

絶句する武良。板垣退助と云えば会津と二本松を攻めた軍勢の大将である。明治になってからは政治家として活躍し、自由民権運動の先駆けとなった人物である。

岐阜県での遊説中に暴漢に襲われて腹部を刺され『板垣死すとも自由は死なず』と言ったのは有名である。

「何て無茶な、殺されるかもしれないのに!二本松の人々がどれだけ貴方を怨んでいるか知らないわけではないでしょう」

「無論、存じております。だがワシはもう十分に生きた。袋叩きにあって死ぬのなら、それもまた天命と思い二本松に来た。偽善の極みかもしれぬが、どうしても戦死者の御霊に『すまん』と言わせてもらいたくてのう」

「……」

「少年たちは霞ヶ城を出陣する際、見送る家族に『板垣退助の首を持ち帰る』と申したそうですな」

「はい」

「討ちますかな」

「五十年前に会っていたら、その首いただいておりました」

「……」

「しかし、老いて戦えなくなった者に向ける鉄砲を、我ら木村銃太郎隊は所持していません。たとえどんな仇敵であっても」

「仇敵か…」

改めて二本松戊辰少年隊記を板垣に差し出す武良。

「あのおりの敵軍大将にこそ、この記録を読んでほしいと思います。受け取って下さい」

丁寧に頭を垂れる板垣、両手で大事そうに受け取った。

「読ませていただきます。ありがとう」


板垣は去っていった。その後ろ姿を見つめている武良。

「お互い、老いたものだ…」

「おーい、龍次郎、そろそろ行くぞ」

帰り支度を終えた水野夫妻と冬美が呼んでいる。

「ああ、今行く」

「なんじゃ、どこのじじいと話していたのじゃ?」

「お前も私もじじいだろうが」

「そりゃそうじゃ」

「進、種は蒔いたな」

「ん、ちなみに新聞社にもいくつか送り届けておる」

「それはいい。進、お前忙しくなるぞ」

「望むところじゃ」


この『二本松戊辰少年隊記』によって、改めて二本松少年隊と云う存在が世に知られることになった。著者の水野好之には講演依頼が殺到したと云う。

時に武良も講演を頼まれ、時間の許す限り、二本松の戊辰戦争を語り続けた。武良の場合、会津戦争も箱館戦争も体験しているため、新聞社などが取材に来たらしい。


武良は二本松少年隊を語るためだけに帰郷したのではない。医療学校の校長を務めて後進の育成に努めた。彼が二本松町の支援も得て創設した医療学校は『敬学館医療学校』と云う。今日の『敬学館医科大学』である。現在では東北屈指の名門医大となっている。

敬学館とは二本松の藩校の名前であり、医療学校創設にあたり武良が町議会でこの学校名を提案したところ満場一致で決定したという。この敬学館医療学校から多くの優秀な医師が輩出され、二本松町のみならず福島県、そして東北、やがて日本中で活躍していくことになるのである。かつて鞘当により龍次郎を殴り飛ばした伊庭八郎が龍次郎に残した言葉

『戦以外の道で薩長に頭を下げさせてみろ。お前の勝ちだ』

二本松少年隊の酒巻龍次郎と水野進は戊辰戦争から50年を経て、それを実現させたと言っても過言ではないだろう。


◆  ◆  ◆


戊辰戦没者追悼五十回忌より十数年が経った。

武良の戦友の水野好之も天に召され、最後の語り部となった酒巻武良。水野と武良が二本松少年隊を語り続けたことが実を結び、二本松藩公の菩提寺大隣寺に少年隊の慰霊碑と隊士たちの墓標も建てられ、同じく霞ヶ城の本丸近くに『少年隊の丘』も作られたのだ。


七十七歳になっていた武良は大隣寺に作られた仲間たちの墓標に手を合わせた。すでに敬学館医療学校の校長から退き、自宅に小さな診療所を作り、その家を終の棲家とした。

この年は昭和六年、初めて二本松少年隊の映画が作られた年でもある。『霞ヶ城の太刀風』と云う無声映画。その完成試写会に武良は招待された。作中には成田才次郎と小沢幾弥の壮絶な最期もあり、そして愛妻小雪の首を抱いて号泣する酒巻龍次郎もまた登場する。この映画を見た本物の二本松少年隊は彼だけである。涙をポロポロと落としながら映画に見入る武良だった。

仲間たちと小雪の死を思い出した涙、そして何より映画になるほどに自分たち二本松少年隊のことが世に知られたことの嬉しい涙もあったかもしれない。


さらに翌年の秋、杖を持ち、二本松の町を歩く武良夫妻。少し冷たい風が心地よかった。

「冬美、今日は足を伸ばして、大壇口に行こう」

「はい」

武良は大壇口古戦場にはあまり行こうとしなかった。つらい思い出しかないからだろう。いま古戦場は大壇口の二勇士である山岡栄治と青山助之丞を称える石碑が建てられ、そしてその横には『木村銃太郎戦死之地』の碑がある。武良夫妻は合掌する。

「先生、ワシ七十八になってしまいましたよ」

当時の情景が浮かぶ、銃太郎は腹部を撃たれ、二階堂衛守が介錯し『先生が死んだぁーッ』と泣いたあの時。今でも忘れられない大壇口の戦いだった。二勇士の慰霊碑の真後ろは小高い丘となっている。そこにゆっくり登る武良と冬美。

「冬美、向こうから敵軍が攻めてきたのじゃ…」

「二本松軍の何十倍もある軍隊だったんでしょう?」

「ああ、おまけにわしらは初陣じゃった…」

杖を鉄砲に見立てて、構える武良。

「こうやって、わしら構えて…」


『龍次郎、お前は刀槍、相撲はてんでダメだけど狙撃は一番上手だな!』

「…え?」

『何をボケっとしている。今度も真ん中に当ててみろよ!』

「さ、才次郎…?」

老いて節々が痛んでいた体がウソのように軽い。十四歳の酒巻龍次郎がそこにいた。

『外したら小雪ちゃんのアソコの形を絵で描くんだぞ!』

「す、進…!?」

『よぉーし!みんな構え!』

「せ、先生…!銃太郎先生!」

『撃てーッ!!』


ばん…


「あなた?」

静かに酒巻武良はその場に倒れた。最期の言葉が迫る敵軍に向けて仮想で撃った鉄砲の音だった。満面の笑顔で倒れる酒巻武良。二本松の花である菊、それが大輪に咲き誇る秋に二本松少年隊の酒巻龍次郎は天に召された。享年七十八歳。

「あなた…。嬉しそうな顔」

良人の頬に触れた冬美。涙が落ちる。

「少年隊の皆さん、龍次郎がそちらに逝きました。温かく迎えてあげて下さい…」


『よくやったぞ。酒巻家の誇りだ』

…兄上

『立派な二本松男児だ』

…銃太郎先生

『私の自慢の弟子だ』

…凌雲先生


『『龍次郎!!』』

『『龍次郎!!』』

…みんな…!


二本松少年隊、龍次郎の仲間たちがすべてが目の前にいる。そして、その後には…

「龍次郎様」

「旦那様」

愛する二人の妻の笑顔だった。


小雪…寧々…!


二本松少年隊-秋に菊が咲くころに- 完

二本松は毎年菊人形や桜の時期によく行っているお気に入りの観光地です。

若武者と云うラーメン屋が美味しいのですよ。今年も須賀川の松明あかしに合わせて行くつもりです。

それでは皆さん、ご愛読ありがとうございました。

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