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鶯の声は死神と共に  作者: lazilywalker
1/12

第一章 1,解決済みの事件

『鶯の声は死神と共に』をお読みいただき、ありがとうございます。


本作は、五年前に起きた少年の失踪事件をめぐるミステリーです。


完結まで、毎日3話ずつ投稿する予定です。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

第一章 解決済みの事件


五年前、一つの殺人事件があった。


父親が、自分の子供を殺した事件だった。


子供が学校から帰ってこない。


そう届け出たのは、父親本人だった。


警察は当初、事故や事件に巻き込まれた可能性を考え、通学路や近隣地域を捜索した。しかし捜査が進むにつれ、父親の説明にはいくつかの食い違いが見つかった。


そして数日後。


市街地から離れた山中で、子供の遺体が発見された。


捜査線上に浮かんだのは父親だった。


事情聴取を重ねた末、父親は犯行を認めた。


子供との関係は以前から悪化していた。


事件当日にも口論があり、感情を抑えられなくなった。


殺害後、遺体を車で運び、人目につかない山中に遺棄した。


そして何も知らない父親を装って、子供がいなくなったと届け出た。


やがて父親は、殺人と死体遺棄の罪で起訴された。


裁判でも、犯行そのものが大きく争われることはなかった。


父親は罪を認めた。


判決が下され、刑が確定した。


事件は終わった。


少なくとも、世間にとっては。


ニュースから男の名前が消え、事件を覚えている人も少なくなったころ、服役中だった男が刑務所内で死亡した。


自ら命を絶ったと発表された。


それも短いニュースになっただけだった。


五年前の事件。


すでに刑の確定した殺人犯。


そして、その本人ももうこの世にはいない。


誰が考えても、終わった事件だった。


---


午後のAYA探偵事務所は静かだった。


窓際の机でAYAがノートパソコンを眺めている。


その向かいでは、あかねが湯飲みを両手で包んでいた。


「AYAさん」


「なに?」


「暇ですね」


「平和でいいじゃない」


「探偵事務所としては問題なのでは?」


「事件がない方がいいでしょ」


「それはそうなんですけど……」


あかねが湯飲みを傾けた、そのときだった。


控えめなノックの音がした。


二人が同時に扉を見る。


「どうぞ」


AYAが声をかけると、ゆっくりと扉が開いた。


入ってきたのは、一人の女性だった。


二十代半ばくらいだろうか。


肩に掛けたバッグを両手で握り、少し緊張した様子で立っている。


「あの……こちら、AYA探偵事務所で間違いないでしょうか」


「はい」


AYAはノートパソコンを閉じた。


「ご相談ですか?」


女性はすぐには答えなかった。


何かを決心するように一度息を吸ってから、小さくうなずいた。


「調べてほしい人がいるんです」


「どうぞ、座ってください」


AYAが椅子を勧める。


あかねがお茶を用意して、女性の前に置いた。


「ありがとうございます」


女性は椅子に座ったものの、バッグから手を離そうとはしなかった。


AYAは机の上にノートを開いた。


「まず、お名前を伺っても?」


「水瀬美咲です」


「水瀬美咲さん」


AYAは名前を書き留めた。


「それで、調べてほしい人というのは?」


美咲はバッグから一枚の紙を取り出した。


折り畳まれた紙だった。


何度も開いたのだろう。折り目が白くなっている。


机の上に置かれたそれを、AYAが開く。


古い新聞記事のコピーだった。


見出しを読んだAYAの表情が変わった。


五年前の、あの事件だった。


父親による子供の殺害。


死体遺棄。


逮捕。


起訴。


「この事件……」


あかねも横から記事を見る。


「あ、覚えてます。確か、お父さんが自分の子供を……」


美咲がうなずいた。


「この人について、調べてほしいんです」


AYAは記事から顔を上げた。


「犯人について、ですか?」


「はい」


「でも、この事件は……」


AYAは言葉を選んだ。


「犯人は逮捕されています。本人も犯行を認めて、裁判も終わっていますよね」


「知っています」


「最近、刑務所で亡くなったことも?」


美咲は少し間を置いてから答えた。


「それも知っています」


AYAは美咲を見る。


「では、何を調べるんです?」


「……」


「冤罪だった可能性を調べてほしい、ということですか?」


美咲はすぐに首を横に振った。


「違います」


その答えは、AYAが予想していたよりもはっきりしていた。


「あの人がやったんだと思います」


あかねが美咲を見る。


「裁判の記事も読みました。判決についても調べました。私は法律には詳しくありません。でも、あの人が犯人ではないなんて言うつもりはありません」


「それなら……」


美咲は机の上の記事へ視線を落とした。


「私、この人に会ったことがあるんです」


AYAの手が止まった。


「いつです?」


「ずっと昔です。私が中学生のころ」


美咲はゆっくりと話し始めた。


夏だった。


友人たちと川へ遊びに行った。


前日に雨が降っていたが、川は一見すると穏やかだった。


少し浅いところへ入っただけだった。


そのつもりだった。


しかし、足を取られた。


川底が急に深くなっていた。


流れに身体を持っていかれた。


泳ごうとしても、水を飲むばかりだった。


岸から友人たちの叫ぶ声が聞こえた。


それから先の記憶は、途切れ途切れだった。


「気がついたとき、河原に寝ていました」


美咲は自分の手を見つめた。


「知らない男の人が、ずぶ濡れになって私の横にいました」


偶然近くを通りかかった男だった。


川で溺れている少女に気づき、飛び込んだ。


流される少女に追いつき、岸まで引き戻した。


救急車が到着するまで、そばにいた。


名前も聞かなかった。


連絡先も知らなかった。


美咲に残っていたのは、助けてくれた男の顔と、周囲の大人が呼んでいた名字だけだった。


「ずっと覚えていました」


美咲が言った。


「いつか、ちゃんとお礼を言いたいと思っていました」


AYAは黙って聞いている。


「でも、探し方も分からなくて……そのまま何年も経ちました」


そして五年前。


テレビから、その名字が聞こえた。


画面に映った男の顔を見た。


忘れるはずがなかった。


「最初は、同じ人だと思いたくありませんでした」


美咲は小さく笑った。


だが、その笑顔には何の明るさもなかった。


「でも、本人でした」


自分を助けた男が、自分の子供を殺した。


遺体を捨てた。


そして逮捕された。


「裁判が始まってからも、ずっと記事を追っていました」


美咲は言った。


「何か間違いがあるんじゃないかと思った時期もあります。でも……ありませんでした」


犯行を認めた。


証拠もあった。


判決も出た。


「だから、いつか本人に聞いてみたいと思っていました」


AYAが尋ねる。


「手紙を?」


「何度も書こうとしました」


「送らなかった?」


美咲はうなずいた。


「何を書けばいいのか分からなかったんです」


――あのとき助けてくれて、ありがとうございました。


そんな手紙を殺人犯に送っていいのか。


――どうして自分の子供を殺したんですか。


命を救ってもらった自分に、そんなことを尋ねる資格があるのか。


迷っているうちに年月が過ぎた。


そして数週間前。


男が刑務所内で死亡したという記事を見つけた。


「もう、聞けなくなりました」


部屋が静かになった。


時計の秒針だけが聞こえる。


AYAは新聞記事をもう一度見た。


そこに写っているのは、殺人事件の犯人だった。


子供を殺し、その遺体を遺棄した男。


そしてAYAの目の前には、その男に命を救われた水瀬美咲が座っている。


「それで、私のところへ?」


美咲はうなずいた。


AYAは少し考えた。


「水瀬さんは、この人が本当はいい人だったという証拠を探してほしいんですか?」


美咲は首を横に振った。


「違います」


「では、無罪だった可能性を?」


「それも違います」


「なら――」


AYAは美咲をまっすぐ見た。


「何を知りたいんです?」


美咲はしばらく答えなかった。


やがて、バッグを握っていた手を離した。


「私を助けてくれたあの日から、あの人が自分の子供を殺した日まで」


AYAの目がわずかに細くなる。


「何があったのか知りたいんです」


「……」


「警察は、誰が殺したのかを調べました。裁判では、何をしたのかも明らかになりました」


美咲は新聞記事を見る。


「でも、それを何度読んでも分からないんです」


そしてAYAを見た。


「どうして、私を助けてくれた人が――」


声が少しだけ震えた。


「人を殺すところまで行ってしまったんでしょう」


あかねは何も言わなかった。


AYAも、すぐには答えなかった。


やがてAYAは、閉じていたノートパソコンをもう一度開いた。


「つまり――」


指がキーボードの上に置かれる。


「事件を解決してほしいわけではないんですね」


「はい」


「犯人も分かっている」


「はい」


「犯行も分かっている」


「はい」


「それでも、分からないことがある」


美咲はうなずいた。


AYAは五年前の事件の記事を見た。


そして静かに言った。


「分かりました。お引き受けします」


美咲が少し驚いたように顔を上げた。


「本当に?」


「ただし、一つだけ」


AYAは言った。


「本人はもういません。人の心は記録だけで完全に再現できるものではありません。だから、本当の意味ですべてが分かるとは約束できません」


「……はい」


「それでも、残っているものから辿れるところまでは辿ります」


美咲は深く頭を下げた。


「お願いします」


AYAは新しいファイルを開いた。


真っ白な画面に、一行だけ入力する。


**――なぜ、この人は犯人になったのか。**


「まず、事件そのものから全部やり直してみます」


「事件は、もう解決しているんですよね?」


「ええ」


AYAは記事を見ながら答えた。


「だから、犯人を探す必要はありません」


そして、美咲を見る。


「その人が犯人になるまでを、最初から調べます」


美咲は小さくうなずいた。


AYAはノートパソコンへ視線を戻した。


「結果が出たら、お知らせします」


五年前に終わったはずの事件。


犯人はすでに死んでいる。


新しい証拠を探すわけでもない。


真犯人を見つけるわけでもない。


AYAがこれから調べるのは、一人の人間が、なぜそこまで行ってしまったのか。


事件ではなく、その経路だった。

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・地名・心理描写は架空のものであり、実在の人物や事件について、その動機や内面を説明するものではありません。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


物語は、五年前の失踪事件を追いながら、少しずつ真相へ近づいていきます。


続きは明日、3話投稿予定です。

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