表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫と、彼女と、時々俺と。  作者: 桔梗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/9

恋心と黒猫(朔side)

「久世くん?」


楓さんの声がして、俺は反射的に背筋を伸ばした。


(デジャブだな……)


「はい!」

 

声が裏返った。


廊下の向こうから、楓さんが顔を出す。


眼鏡をかけていて、髪は少し乱れている。 

手にはマグカップ。 

さっき雑炊を食べたせいか、顔色は少しだけましになっていた。


「久世くん、そろそろ帰る時間かなって思って」


「……あぁ……そうですね。一応帰る時間ですけど、今日、ほかにやっておくことありますか?」


「今日はもう大丈夫かな。ありがとう」


***


その日の帰り道、俺は駅までの道を、ほとんど何も考えられないまま歩いていた。

いや、正確には考えることが多すぎて、何も考えられなかった。


ーー猫が喋った。

ーー猫が喋った。

ーー猫が喋った。


「……いや、無理あるだろ。どんな状況だよ」


思わず声に出た。

通りすがりの主婦がちらりとこちらを見たので、俺は慌てて咳払いをする。


病院に行ったほうがいいのか……?

というか、何科だ?精神科かーー?


もし、神様がいるなら、性格が悪いどころの話ではない。

人の恋路に設定を盛りすぎである。


恋愛漫画でもなかなかない状況だ。

いや、最近の漫画ならあるかもしれないな。

タイトルはたぶん、『好きな人の猫が亡夫だった件』だろう。


俺は駅前のコンビニに入り、冷蔵棚の前に立ったまま、ぼんやりと考える。


『楓には近づかないでくれ』


頭の中で、あの声が何度も繰り返される。

低くて、静かで、けれど痛いほど切実な声ーー。


柊さんの気持ちは、俺にはわからない。

でも、失くした人間の気持ちなら、知っている。


両親が死んだあと、俺は何度も思った。

自分だけが置いていかれたのだと。


両親が死んだ後も、世界は何もなかったみたいに続いてーー大切な人がいなくなっても、世界は終わらない。

秒針が無遠慮に進んでいくだけーーただそれだけ。


その当たり前のことが、俺の目にはひどく残酷に映った。

きっと楓さんも、そうだったのだろう。


生きている人間は無理やりにでも進むしかないのだ。


ーー前へ。

ーー前へ。


誰が決めたのかもわからない方向へ。


俺はコンビニを出て、買ったばかりの炭酸水を一口飲んだ。


青信号になり、人の流れが動き出す。

俺もそれに混じって歩き出した。


ーーその時、スマホが震えた。


画面を見ると、家事代行サービス<アポロン>のアプリから通知が来ていた。


《日向様より評価が届きました》


俺は思わず足を止めた。

アプリを開くと、星五つの評価と、短いコメントが表示された。


《本日もありがとうございました。ご飯、とてもおいしかったです。クロとも少し仲良くなれたみたいでよかったです》


最後の一文を見て、俺は思わず笑ってしまった。

クロ――いや、柊さんが聞いたら、きっと鼻で笑うだろう。


(仲良くなれた?どこがだよ)


俺は返信欄を開いた。


《こちらこそありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします》


***


家に帰ると、部屋はいつも通り静かだった。


一人暮らしのワンルーム。

大学の教科書。読みかけの小説。安いローテーブル。部屋に不釣り合いな大きい本棚。


(あの家とは全然違うな)


楓さんの家には、物が多かった。

たぶん、単に散らかっているだけではなくてーーあの家には、きっと、整理できないものが多すぎるのだ。

だからこそ、楓さんは家事代行を頼んだのかもしれない。


俺はベッドに倒れ込み、目を閉じる。

まぶたの裏に、日向さんの顔が浮かぶ。


ーー時折見せる哀しげな顔。

ーー愛おしそうに話すあの声。

ーーしっかりしていそなのに、全然そうじゃなくてだらしないところ。

ーー不意に見せる、無邪気な笑顔。


やっぱり俺は、日向楓という人が一等好きなのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ