第18話【締め付けられる時間、静かな危機】
ユリアナ嬢に絵を渡した翌日。
窓の外から、朝の日差しが差し込んできた。
熟睡出来たこともあって、目覚めは良かった。
起きてからベッドでずっと横になっていて、昨日のことを思い出し続けていた。
思い出す度に胸が温かくなって、自然と微笑んでくる。
「ユリアナ嬢の涙、少し信じてくれそうだった。あの絵が届いたのなら、俺の想いだって伝わったはずだ」
彼女と再会できて、絵を渡せた。
そして受け取ってくれて、涙を流していた。
「でもまだ婚約は取り戻せそうにないな」
ユリアナ嬢は「考えさせてほしい」と言ってきた。
拒絶ではないけれども、二度と捨てられるのは怖いと打ち明けていた。
やはり俺は、一度捨ててしまったことで前例を作ってしまった。
彼女にとっては再び起こる事を危惧しているんだな。
「殿下、お目覚めでしょうか」
「ああ」
レーナがやってきて、ベッドから降りる。
「殿下、昨日は本当によくやりましたね」
準備を済ませて執務室に向かうと、クレア嬢が書類作業をしようとしていた。
「受け取ってくれたよ」
「でも、婚約問題はまだ解決していませんよ」
そうだったな。
まだ保留状態。
俺は現状、婚約者がいない状況だからな。
「陛下から『そろそろ新たな婚約者を』という言葉が出始めています」
レーナが補足するように伝えてきた。
(まだ時間はある。でも、いつまでも待ってもらえないのは分かっている)
だからこそ、解決させないといけないが。
彼女には彼女の想いがある。
「失礼します、本日の書類です」
文官のガスペリが書類を机の上に置いた。
「ありがとう」
「それと、外務院から婚約打診の手紙が今月だけで、二十五件に増加しております」
結構増えているな。
数日だけで結構増えているな。
このままで大丈夫なのか。
「そんなにか」
ため息をつきながら、現状に困惑していた。
「では」
ガスペリは隣の文官室へ行ってしまった。
「殿下、今日はこの後に貴族との会議があります」
メモ帳を見ながら、スケジュールの確認をする。
「分かった」
執務室を出ていって、別館の会議室へ。
入ると雑談していたであろう貴族達が、俺を見て黙っていた。
会議は順調に進んでいったのだが、あるタイミングでとある話題に。
「王太子殿下、新たな婚約者はいつ決まりますか?」
侯爵の一人はそう言ってきた。
「えっ?」
俺は呆けた声が出てしまう。
ここでも出るなんて。
「ユリアナ嬢と再び婚約するのか、別の方と婚約を結ばれるのか」
「それは検討中だ」
ただ、俺はそう答えるしか出来ない。
ユリアナ嬢は保留にしているのだから。
「殿下、婚約が決まらないと外交にも影響が」
呆れながら、貴族の一人は俺を見てため息を吐いていた。
プレッシャーをかけているな。
「近いうちに決める。それで良いだろうか」
「我々にはそこまで決められませんが。何でしたら、娘を婚約させることも出来ますから」
何だその推薦は。
だが、深刻になろうとしているんだな。
(やはり時間はそこまで待ってくれないんだな)
会議を終えると、俺をチラチラと見ながら貴族達が話し合っていた。
「殿下はどうされるんだろうな」
「ユリアナ嬢と再度婚約を結ぼうとしているのは、確からしいが」
「全く分かりませんな。破棄したのに戻そうだなんて」
聞こえているが、婚約の話題だった。
「なあ、レーナ。婚約は急いだ方が良いのかな」
執務室に戻って、ふとレーナに訊いてみた。
「それはあるかもしれませんが、殿下にとってはユリアナ様と婚約を戻したい気持ちでしょうから」
「ああ、それはあるが」
婚約を急いだ方が良いっていうのは、確かにそうだ。
だが俺はユリアナ嬢が一番だ。
「ですので、私としてはユリアナ様と戻されるのが良いかなと」
「そうだな」
軽く笑みを見せて、レーナに伝える。
「そういえばクレア嬢。講習はまだ続いているんだよな?」
変わったことをユリアナ嬢に見せられた。
次は何なのだろうか。
「はい。ただ、まだ次の講習はもう少し先になるかと」
「そうなのか」
今は公務の合間だからな。
次の講習で、彼女へ届くようにしたいが。
どんな感じになるんだろうな。
「さて殿下。リグリス公国の大使と昼食会が、この後あります」
「分かった」
短いスパンけれども、それぞれの国と昼食会をする必要があるよな。
俺は晩餐室へ行って、大使と昼食を。
数日前と同じようなものだが、今日はより美味しく感じる。
「王太子殿下、新しい方との婚約は決まったのでしょうか?」
そんな話題が食事中に出てきた。
やはり別の国からも出てくるんだな。
「い、いや。まだです」
「それでしたら、我が国の公女との縁談っていうのも、どうでしょうか」
はっきりとした提案。
ただ雑談程度だから、どこまで本気にすればいいのだろうか。
「検討しておきますよ」
俺は当たり障りのない返事をすることにした。
「そうですか。ありがとうございます」
大使はにっこりとしながら、食事を続けた。
彼自身はこの日、それ以上婚約に関することは言ってくることはなかった。
(ユリアナ嬢に届いたと思ったのに、時間がないのか。でも、焦るな。まだ少し猶予はある)
色々な方向から、婚約の動きが出てきている。
モラトリアムが終わるのは、そんなに遠くないのか。
五日後、俺は執務室で公務をしていた。
クレア嬢がいつものように公務を手伝ってくれている。
「こちら報告書です」
「ああ」
執務室にガスペリが書類を持ってきた。
「それに殿下、朝に陛下がおっしゃっていましたが、『そろそろ決断を。国が待てない』と」
このタイミングで、そんな事を伝えてきた。
やはりマズい状況なのか。
直接言わないで、ガスペリに伝言するなんて。
優しさなのか、厳しさなのか。
だが、ユリアナ嬢とは先日会って以来、保留状態から動いていない。
なんとしても状況を変えて、婚約っていうことにしたいが。
色々な方向から、婚約って話が出てきている。
俺自身もどれだけ耐えられるか。
「殿下、侯爵令嬢のオリエッタ・ツー・アルマータ様が訪問にいらっしゃいました」
レーナが執務室にやってきた。
平然としながら、いつもの口調で。
「そうなのか。分かった」
確かに来客があるって、昨日言っていたな。
とりあえず応接用のソファで準備をする。
彼女の家は侯爵家であるが、かなりの名門。
オリエッタ嬢自身も、国内では良い評判の令嬢である。
外務院からの婚約打診にも、彼女の名前は入っている。
「私は紅茶の準備をしてきます」
レーナはそのまま出ていった。
クレア嬢は状況を察して、隣の文官室へ。
ドアは閉めて、俺とオリエッタ嬢が話せるようにしていた。
「本日は、お越し頂いてありがとう」
「レオポルド殿下、本日はご機嫌麗しゅうございますね」
侍女と共に部屋に入ってきたのは、金色の髪をした令嬢。
微笑みながら、ゆっくりと執務室へ。
俺は机の前にある応接用のソファに彼女を座らせた。
「さて、今日はどうしたのかな?」
「殿下のご機嫌を伺いに参りました」
笑みを見せ続けていて、惚れることはないが彼女も美しいな。
「そうなのか、ありがとう」
俺はにっこりとしたまま返事をする。
「殿下は現在、婚約者不在とお聞きしました。大丈夫でしょうか?」
心配そうに俺の顔を覗き込むオリエッタ嬢。
「ああ。今調整中だ」
「そうですか。それは決まると良いですね」
落ち着いた声を出していて、何となく真意が読めない。
「まあ、相応しい女性は見つかるはずだから、待っていてくれ」
俺はある程度距離のある返事をして、この話を終わらせようとする。
「もし決まらないようでしたら、私もおりますので。ご検討を」
「とはいえ、一旦は婚約破棄をしたユリアナ嬢と、婚約を戻そうと思っていたりはするけれどな」
オリエッタ嬢に、ユリアナ嬢の事を伝える。
一応、俺からの拒絶であるが。
「あら、そうなんですね。それは、戻せると良いでしょうけれど」
彼女は軽い驚きを見せるような返事をして、再び微笑んだまま話している。
とはいえ、俺とユリアナ嬢の婚約が戻ることを期待しているような声のトーンではなかったが。
「そうなりたいが」
「国のためになる縁であれば、わたくしも喜んでお力になりますわ」
「こっちも、国のためになりたいが」
「私を選んでいただければ、国も安定しますわ」
婚約に関する話はこれくらいで終わらせ、それから雑談をしていった。
少々話が盛り上がったが、それ以上仲が深まることはなかった。
「では、本日はこれくらいで。会えて光栄でした」
一時間くらい話し合ったのだろうか、それで会話は終わった。
「こちらこそ、会えて良かったよ」
「婚約の件、何卒」
「ああ」
「婚約というものは、迷っている間に決まってしまうものですわ」
そして。
「どうか後悔なさらないように」
帰り際そう言い残した。
オリエッタ嬢が帰っていったら、ため息が出てくる。
「お疲れ様でした」
紅茶のカップを片付けながら、そうレーナが話しかけてきた。
「オリエッタ様、雰囲気は良さそうですね」
「そうだな」
レーナからは、良い感じだったのだろう。
新たな婚約候補が出てきたな。
外務院からの話で、他にも婚約打診は出てきているが、実際にやってくるなんて無かったから。
まさか、直接来るなんて。
「オリエッタ嬢が正室に相応しいだろうな」
貴族が噂話をしている。
「ユリアナ嬢は、婚約を戻すのは難しいかもしれない」
「早く決まって欲しいが」
それから、貴族の間ではオリエッタ嬢に関することで持ちきりだった。
周囲から見れば、オリエッタ嬢が正室になるのが良いだろう。
だが俺にとっては違う。
しかもユリアナ嬢に関しては、このレースから脱落したような感じまで。
まだ脱落していないし、彼女はトップで走っているから。
ゴールしていないだけ。
「一気に変わってしまうなんて」
俺は執務室で、愚痴っていた。
彼女が来てから、貴族達はオリエッタ嬢が俺と婚約するって思っているみたいだな。
「殿下、このままでは本当に決まってしまいますよ」
クレア嬢が耳打ちしてきた。
「分かっている」
軽く頷いた。
少々自分でも焦っているのが分かっていた。
(俺はユリアナ嬢以外、考えられない。でも、このままじゃ……)
もう待っているだけでは駄目だ。
今度こそ、自分からユリアナ嬢を選びに行く。
「殿下を取られる前に、とは言いませんけれど。時間が無いのは確かです」
そう話しているクレア嬢は焦っていた。
「殿下、次の講習をしましょう。ユリアナ様に直接会って、行動を示しましょう」
するとクレア嬢が伝えてきた。
次の講習か。
「ユリアナ嬢への想いは届いています」
「そうだな」
あの絵で少なくとも、伝わっている。
彼女の涙だって本物だ。
「だからこそ、示すべきです」
「ああ」
また会いに行こう。
そしてはっきりと伝えないと。
「それに私もサポートしますから。これには、それも含まれていますので」
「助かる」
クレア嬢が手伝ってくれたら、より成功しそうだ。
頑張らないと。
【ユリアナ視点】
殿下が絵を届けに来てから、一週間近く経ちました。
わたくしは、絵を見ながら紅茶を飲んでいた。
こんなに見てしまうなんて。
「王宮に新たな婚約候補が来ているそうです。侯爵令嬢のオリエッタ・ツー・アルマータ嬢です」
サルチャクがそう報告書を持ってきた。
「そ、そうですのね。そこまで来るなんて」
わたくしは一瞬だけ動揺してしまった。
紅茶が揺れて波が立っている。
「オリエッタ様は社交界でも人気の令嬢です」
彼女について、サルチャクが補足していった。
「王太子妃候補として、名前が挙がることも多い方です」
わたくしよりも、かしら。
「殿下、本当にわたくしを選んでくれるのかしら」
もしもオリエッタ嬢に行ってしまったら、わたくしの気持ちはどうなるのかしら。
不安と期待がないまぜになり、わたくしは思わず絵を握りしめた。
王宮の空気が、静かに変わり始めていた。




