5 サクヤの事情~前編
私が、この街にたどり着いたのは、三年前。
その前は、北の国境にある森の中で、偏屈なお爺さんと暮していた。
いや、正確には、保護されて育ててもらっていた、っていうのが正しい。
あの頃、私はまだ13歳の子供で、この世界のことを何も知らない、赤ん坊みたいなものだったから。
中学に入って半年くらい…ううん、本当ははっきりと覚えてる。
9月15日。それが、私がこの世界に迷い込んだ日、だった。
小学校の頃にはなかった部活に、友人たちと何に入ろうかと楽しく話し合い、走るのが好きだからという軽い気持ちで入った陸上部は地獄だった。
知らなかったけれど、私の通う中学の陸上部は、公立のくせに県内でトップクラスの成績を残す強豪校だったのだ。
放課後や休日はもちろん、授業前の早朝練習まで当然のようにある。
監督は、強面の頑固おやじで、体罰はないものの、吐く一歩手前のきつい練習は当たり前、いやな奴は辞めろというスタンス。おまけに口が死ぬほど悪い。
ただ、誰よりも早くグランドに出て整備を行い、部員一人一人に合った練習メニューを組んでくる。
伸び悩んでいる生徒に相談されれば、どこまでも親身に寄り添ってくれる。
そんな姿を知っているから、本気で陸上をやりたい生徒には、悪態付きつつも慕われている監督だった。
かくいう私も、持ち前の負けん気を発動。
最初の一か月は体力つくりのトレーニングにもついていけずグランドの隅に転がる日々。
それが、徐々にトレーニングできる時間が延び、最後までやりきった時は、思わず隣の仲間とハイタッチを決めたものだ。
次の瞬間、指導についてくれてたマネージャーの「じゃあ、50メートルダッシュ行こうか~~」に崩れ落ちたけど。
そう。その時に私たちが乗り越えたのは、基礎の体力増強メニュー。そこから種目別のトレーニングがようやく始まるのである。
「やってられない」「ついていけない」と去っていく背中を見送る暇もないほど練習に明け暮れる。そして、残った数少ない仲間と、共に支えあうように数ヶ月を耐え抜いた結果。
全身に無駄なくついた筋肉はいい仕事をした。
面白いくらいにタイムが縮みだしたのだ。
昨日より今日。今日より明日。
日に日に黒くなり、毎日どろどろのボロボロになって帰ってくる娘を心配していた家族も、楽しそうにその日の成果を報告しながらご飯を食べつつ寝落ちする姿に、呆れながらも応援してくれていた。
そして、ついに次の大会の100メートルでの出場権を獲得して、意気揚々と帰る道の途中。
私は暗闇に捕まったのだ。
それは、いつもの帰り道だった。
20時を回っていたから暗かったけど、そこそこ人通りもあるし街灯も多い。
何より通いなれた道のりで、そこに不安なんて何もなかった。
なのに、十字路を何気なく曲がった瞬間、世界は一変したのだ。
私は、変わらず住宅街の中にいた。明かりのともる街灯。窓からこぼれる家々の明かり。
だけど、見慣れた光景なのに、ひどい違和感を感じた。
何かが、違う。
「・・・・音が、しない」
遠く聞こえていた車の音。
窓からこぼれるテレビや人の声などの生活音。
意識せずとも確かにあったその音が、何も聞こえなかったのだ。
自分のこぼしたつぶやきが、やけに大きく響いた。
「なに・・・・なんで・・・・」
違和感が、恐怖に変わるのはすぐだった。
反射的に走り出す。
どこよりも安心できる場所、自宅を目指して。
だけど力強く蹴り出した足が、自慢のスピードを出してくれる前に次の違和感が来た。
地面が、柔らかい。
道路は、固いアスファルトだったはずだ。
それが、まるで土の上を走っているような感触がした。
進むごとに更に柔らかく・・・草の上のような・・・砂の上のような・・・。
その変化に比例するように、視界が黒い靄のようなものに覆われ始めた。
見慣れた町が黒く覆われていく・・・・。
「いやだ・・・いやっ!・・・なに?なんで・・・?!」
がむしゃらに足を動かす。もう、辺りはほとんど黒い靄に沈んで何も見えないけど、足を止めてしまえばなにかに捕まってしまいそうな恐怖があった。
(もっと足をあげて・・・肘はまっすぐに振りぬくんだ。全身の筋肉を意識して・・・)
脳裏に浮かぶ監督の声だけを意識して、がむしゃらに足を動かす。
どこか遠くで私を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、足を止めることは出来なかった。
何も見えない闇の中、気が付けば目を閉じていた。
(もっと速く・・・もっと強く・・・・)
足の裏に感じるコンディションは最悪で、まるでぬかるみの中を走っているよう。
まとわりつく何かを振り切るように、ただ無我夢中で足を動かす。
息が苦しくて、胸が痛い。
手も足もだるくて、今にも止まってしまいそう。
それでも走り続けたのは、追い立てられるような恐怖と意地のようなものだった。
だけど、永遠にも思えるその時間に、唐突に終わりが訪れる。
踏み込んだ一歩が、不意にひざ下までめり込んだのだ。
まるで田んぼの泥の中に踏み込んだ時のようにぐにゃりと。
予想外の事に、バランスを崩して倒れこむ。
とっさに頭をかばうように腕で抱え体を丸めた私は・・・・・・。
固い地面に投げ出された。
勢いのついていた体は、ゴロゴロと転がり、何かにぶつかって止まった。
衝撃に、息が詰まり、意識が遠のく。
(ダメ!こんなところで気絶しちゃ)
とっさに自分の胸を拳で叩いた。
詰まった息が強引に通され、激しく咳き込む羽目になったけど辛うじて意識は繋ぎ止められた。
勢いよく転がったせいで全身が痛い。
咳が止まらなくて、のどと胸が痛いし息が出来なくて苦しい。
それでも。
丸まろうとする体を伸ばし、起き上がろうともがく。
それは、生物としての生き延びたいという本能がとらせた行動だったと思う。
ようやく咳が収まり、生理的な涙でにじむ目を開く事が出来た私は、驚愕に息を飲んだ。
そこは、うっそうとした森の中だった。
正確には、森の中にぽっかりと開いた直径五メートルほどの広場で、その真ん中に立つ巨木へぶつかって私は止まったらしい。
すっとまっすぐに立つ木は、本当に大きくて、その幹を囲むには、両腕を広げた大人四人は必要そうだ。
さっきまで私を支配していた恐怖も忘れて、私は座り込んだままポカンとその大木を見上げた。
きれいな青空の中のびのびと枝を伸ばした緑の葉は、とても気持ちよさそうだ。
ここは、この木のための場所なんだろうと、何の根拠もなく思った。
ピピピ~~~、という、すんだ鳥の声で、私は我に返った。
「音が・・・・戻ってる・・・・」
黒い靄なんてかけらもない、のどかな森の中、だった。
こんな時じゃなければ「森林浴~~~」なんて、はしゃいでしまいそうなくらい。
「・・・・・・ここ、どこよ」
部活帰り。夜。住宅街の中。
私は家路をたどっていたはずだ。
ちょっと変な現象に巻き込まれてがむしゃらに走りはしたけれど、ご近所にこんな場所、絶対になかった。
気づいたら、森の中。どんな迷子だ。
「ん?迷子・・・?」
自分の突込みの何かが琴線に触れて、首をかしげる。
気が付いたら、見覚えのない世界…ってどこかで聞いたことがあるような・・・。
「あ、典ちゃんが熱く語ってた漫画だ」
幼馴染の典ちゃん。
家が近所で、好きとか嫌いとかいう前にずっと一緒にいた。
それは、成長して、外で走り回る私と家で本を読んでる典ちゃんに、それぞれに似たもの同志な友達が出来た後もなぜか続いていて、たまに会ってはいろんな話をしてた。
自分の知らない世界を聞くのは面白かったし、たぶん典ちゃんもそれは一緒だったのだと思う。好奇心旺盛なのが、二人の数少ない共通点だったから。
そんな典ちゃんが最近はまっていた漫画のジャンルが『異世界転生』。
ある日、主人公が見知らぬ世界に迷い込んだり、召喚されたりして、そこでいろんな冒険をする話。
何冊か薦められて借りてたけど、結局、部活に忙しくて読んでなかった。
「・・・いやいやいや、ないでしょ。そんな漫画みたいなこと・・」
首を横に振り、浮かんできた考えを振り払う。
「そう。めちゃくちゃに走ったから、思いもよらないところに着いちゃったんだよ。
どこかの鎮守の森みたいなところにはいりこんじゃった、とかさ。で、これ、ご神木。こんな立派な木だしありそうじゃん」
自分に言い聞かすように、言葉をまき散らす。
心のどこかで、(それこそないでしょ。目つぶって走ったら壁にぶつかって終わりだって)なんて冷静な声が聞こえた気がしたけど、それを認めちゃったら足元が崩れ落ちてしまいそうだった。
「もしくは夢!そうだよ、きっと角を曲がった時に何かにぶつかって、気絶するかどうかしたんだよ。で、夢を見てる。ありそうじゃん!異世界転移なんておとぎ話より、よっぽどありそうじゃん!!」
拳を握って力説すれば、それこそが真実のような気がした。
けど・・・。
「で、どうすればこの夢さめるの?」
ぽつりとつぶやき、肩を落とす。
だって、どうすればいいのか分からない。
これが夢だとしてもそうじゃないとしても。
現状、私は見知らぬ森の中一人きりだ。
「人を探して森の中を進んでみる?どっちに行けば人里に出るかもわからないのに…?富士の樹海みたいな場所だったら、迷いまくってジ・エンドじゃん」
ふと自分の側に立つ巨木を見上げる。
茂った派手全容は見えないけどこれだけ太くて立派な幹を持っているんだから、さぞかし高く伸びているんだろう。
「上まで登って何かないか見てみる?」
「それはお勧めせんのう」
つぶやきに返事が返ってきて、反射的に背中に背負っていたカバンを盾みたいに前に抱えて、声がした方に振り向いた。
「何やらわけわからんことをぶつぶつつぶやいて、気狂いかと思ったが、反射は悪くなさそうじゃの」
そこにはひょろりと背の高いローブ姿の人物がいた。
足元まで覆うローブを着てフードを深くかぶっているから、顔は見えないし体型も分かんない。
部活で一番背の高い先輩より高そうだから、身長は180cm以上はありそうだけど。
「あんた、だれ」
ここにきて第一村人(?)の登場に、私はジリッと後ろに下がった。
「やれやれ。森に見慣れん気配が突如現れたからわざわざ見に来てやったというのにひどい態度じゃのう。ただの森の隠居じゃ、ほれ」
警戒心もあらわにジリジリと後ずさる私に、目の前の人物は肩をすくめてから軽いしぐさでフードを払った。
その人の顔はしわが深く刻まれ、白髪を長くのばし横で一つにくくっていた。
『森の隠居』
自分でそう言ったとおり、結構な高齢に見えた。ただし、かなりの美形な、とつくけど。
彫りの深い顔立ちに、スッと切れ長の瞳は澄んだ碧で、通った鼻筋に薄めの唇が絶妙な塩梅で配置されていた。
見上げるほどの身長は背中が曲がることも無く真っ直ぐに伸びている。
これで、耳がとがっていたら物語の中で見たエルフの長老みたいだ。
年取っても美形は美形なんだな、と、なんか変に感心してしまった。
「観察は終わったかの、嬢ちゃん」
ひょうひょうとした雰囲気だけど、わずかに目じりが細められ、口角が上がっていた。
この人、絶対に面白がってる。
「・・・・ここ、どこ?」
悪い人ではなさそう。でも、いい人かもわからない。
いつでも駆け出せるように、体を意識する。
大丈夫。
足ひねったりとか怪我はないし、少し休憩したから息も整ってる。
まだ、走れる。
「・・・警戒心、バリバリじゃのう。まあ、強引に引き寄せられれば無理もなかろうて。安心せい…と、言っても無理じゃろうが、少なくともわしがお主に危害を加える事は無いよ。世俗のしがらみから離れて、大分経つしの」
まるで手負いの野良猫でも見るような目でこっち見ているおじいちゃんに毒気を抜かれる。
まあ、確かに。申告通り年寄りみたいだし、走ったら追いつかれる事は無いだろう。
後にこの考えは、あっさりと覆されるんだけど、その時は、私から警戒心を少しだけ奪い取ることに成功した。
「ここは、どこですか? 私、気が付いたらここにいて、訳わかんないんですけど。引き寄せるって何? おじいちゃん、何か知ってるんですか?」
少しだけ、力を抜いて質問を重ねる。
言葉使いを改めた私に、おじいちゃんはにんまりと笑うと手招いた。
「ここはシグナ大森林の中よ。と、お主に行ってもピンとこんじゃろうなあ。少なくとも、そこの樹にてっぺんまで登ったところで人の住む場所なんぞ見えんし、お主の足では、人里にたどり着くには一月はかかろうな」
「・・・ひとつき・・・」
そんな広い森、日本にあったっけ?
ていうか、シグナ大森林なんて世界地図でも見たことなかった気がする。
いや・・・・私が知らないだけかもしれないけど・・・・。
「まあ、立ち話もなんだし、久しぶりのお客さんじゃ。わしのうちで茶でも飲みながら、説明してやろう。わしのわかる範囲でよければの」
呆然としているうちにいつの間にか近づいていたおじいちゃんが、これまたいつの間にか手に持っていた杖でトンっと地面を突いた。
「なにこれ!?」
途端に、二人を囲むように光の輪が地面に広がる。
複雑な文様を描くそれに驚きの声をあげれば、おじいちゃんが、楽しそうに笑った。
「何、ただの転移魔方陣じゃよ。年寄りの足で歩いていては、いつまでたっても家にはたどり着かんからのう」
もう一度、おじいちゃんがその杖の先を打ち付けた瞬間、ぐらりと世界がゆがんだ。
思わず目を閉じたら、グワリと体が浮きあがったような落ちていくような、何とも言えないような感覚に襲われて崩れ落ちる。
「慣れとらんと、転移酔いを起こすことがあるから目をつぶっとけと言うの、忘れ取ったのう」
グラグラと揺れる視界と気持ち悪さに動けなくて蹲ったままの私に、少し困ったような声が降ってくる。
絶対わざとでしょ、と悪態をつきたいのに口を開けたら別のものが出てきそうで動けない。
「ほれ、ヒール。・・・・どうじゃ?」
おじいちゃんの声がした瞬間、ふわりと温かい何かに包まれた気がした。
「・・・どうだって」
反射的に顔をあげ、ぐらぐらしていた視界も気持ちの悪さも、どっちも治まってることに気づいた。
「あれ?気持ち悪いの治ってる」
あんなに気持ち悪かったのに、スッキリさっぱり。
なんなら残っていた倦怠感までない。
クリアになった視界に飛び込んできたのは、どこかの室内だった。
「それは良かった。ほれ、そこに座って待っとれ。茶でも淹れてくるわい」
目を丸くしてキョロキョロ辺りを見回す私におじいちゃんが椅子を勧めてきて、自分はキッチンの方へ向かいかけた。
「ちょっと、まっ……」
慌てて呼び止めようとした時、
ギュウゥぅ〜〜。グルグゥ〜〜。
私の言葉にかぶさるように、お腹が盛大に鳴った。
(いや、だって部活帰りでお腹減ってたし、夕飯食べる前だったし!)
「………茶よりも飯の方が良さそうじゃの」
真っ赤な顔でお腹を押さえれば、しっかり聞こえていたおじいちゃんはホッホッホッと笑いながら食事の準備をしてくれた。
ふんわり柔らかいパンと具沢山のスープ。
新鮮な野菜サラダには酸味のあるドレッシングがかけられてた。
恐る恐る口に料理を運んでいたスプーンが、高速で動き出すのはすぐだった。
「おかわりもあるから、遠慮せんで食べろ」
温かい料理を口いっぱい頬張り、飲み込む。
のどに詰まらせそうになって、慌てて水を飲んだら、やさしく背中を叩かれた。
「そんなに慌てんでも、誰も取りゃーせんわ。落ち着かんか」
少しあきれた様な声に頷きながらも、掻き込む手を止めることは出来なくて…。
それを見たおじいちゃんは、もう何も言わず、ただ黙って空いたお皿を温かい料理で満たしてくれた。
そうして、お腹が満たされていくのと同時に、なんでか涙が込み上げてきた。
「うぅ………うぇっ……えぇ〜ん」
ぼたぼたと涙がこぼれ落ちる。
「ご飯、美味しい………。美味しいよぅ……」
泣きながら、それでも、口に詰め込むことがやめられない。
しゃくり上げながらかみ砕いて、飲み込んで。
訳のわかんないことの連続で、気がつけば知らない場所で、森の中の見知らぬ外人顔のおじいちゃんのお家に招かれて、ご飯もらってて……。
美味しかった。
それと同時に、コレは夢なんかじゃないと実感した。
コレはゲンジツなんだ。
泣きながら食べるもんだから、鼻水で息が詰まって、苦しいけど、食べるのやめたら、もっと別の何かが溢れてきそうで。
だから私はただ馬鹿みたいに「おいしい」って繰り返しながら、パンを、スープを飲み込んだ。
溢れそうな何かを押し込めるように………。
「ほれ、食べれそうならもっとスープよそってやろう。コッチの果物も美味いぞ」
そんな私を、おじいちゃんは少し困ったような、でも優しい目でずっと見守ってくれてた。
お読みくださり、ありがとうございました。
というわけで、サクヤは転移者でした。




