04話 『王の鳥籠 三』
中央教会から、聖官が派遣されてきた。
その報告が上がってきた時、私はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
聖官――それは、聖女様の言葉を体現する、特別な者たちだ。
ハインエル王国国王という座にある私であっても、望めば聖女様と対面できるという訳ではない。
むしろ、その在位中に聖女様の訪問を受けた国王の方が、王国の長い歴史の中でも稀のはずだ。
比して、聖官は直接聖女様からの命令を受け、行動している。
聖官の言動は、聖女様そのものの言動と言っても過言ではない。
そんな存在である聖官が、王宮にやって来た。しかも、こんな時期に。
「やっとか……」
着付けをしている最中、私は誰に言うとでもなく呟いた。
その言葉を、着付け担当の女官が聞きつけて、一瞬不思議そうな顔をしたが……私が首を左右に振ると、黙って作業を再開した。
帯が腰を締める圧力を感じながら、私の思考は落ちていく。
聖官が、王宮にやって来た。聖女様の代行者として、私の元へと。
……計画通りに。
まさに、セバスの言っていた通りだった。
――続けていれば、聖官がやって来るはず。
……そう、そのために、私はこの数年間続けてきた。
法を改悪し、自領の民たちを虐げてきた。
女子どもも、年寄りも、関係無く裁いてきた。通常なら許すべき微小な罪で以って、私がその首を刎ねてきた。
……民たちには、申し訳ないと思っている。全く関係の無い民たちに、私の我儘などに付き合わせてしまって。
けれども……他に術が無いのだ。
――私の罪に、罰を与えるためには。
一つだけ、良かった事と言えば……聖官が派遣されてきた事だろう。
私に罰を与えるためには、二つの道があった。
聖女様に処断されるか、民の手に頼るか。
どちらかを選べと聞かれたなら……私は、聖女様の手によって処断されたい。
民たちの手に頼っては、たくさんの犠牲が出るのだから。
「陛下、御仕度が終わりました……」
女官の控え目な声を聞くと同時に、私は歩き始めていた。
目指すは、謁見の間。
そこで、私の命を奪う者と相見える。
やはり、どんな顔をすれば良いか分からない。
やっと終われる、と笑うべきか。
とうとう終わりだ、と泣くべきか
――もうすぐ、分かるだろうか?
○○○
朝目が覚めた私は憂鬱だった。
全て、あの聖官殿のせいだ。
見事な金色の髪に、薄青色の瞳。嫌味なほどに容姿が整っていて……しかも、これほど若くして聖官ときた。
今年で十六だという。常人では望む事もできない、類稀なる才能を持って生まれたのだろう。
まず、その時点で癇に障った。
私が勝手に想像していたのは……経験を積み重ねてきた、少なくとも私と同じくらいの年齢の聖官だ。
酸いも甘いも知っている、私を処断するに相応しい風格を持つ、聖官。
――それなのに、謁見の間にやって来たのは、こんな若造だ。
ついこの間まで親に甘やかされてきて、その上、自身の才能のおかげで、全く悩むことも無く年を重ねてきたのだろうと、容易に想像できる。
正直、こんな聖官に最後を頼むのは嫌だが……仕方が無いとは分かっている。運が無かったのだ、と無理やり納得することにした。
だから、私が憂鬱なのは、単に聖官が癪に障る奴だったから、という理由からではない。
理由は――
「なあ、聖官殿よ」
言って、私は振り返った。そこには、無表情の聖官殿がいた。
相変わらず表情が読めない……つまらない奴だ。
つまらないだけならともかく、頭も固い。
「聖官殿が余の護衛をせねばならぬ、というのも分かるのだが……何も厠まで同行する必要は無いのではないか?」
「そういう訳にはいきません。いつ何時刺客が訪れないとも限らないですから」
「……せめて、扉の外で待っていてもらえぬか?」
私は、当然の事を言っていると思う。それなのに――
「きちんと、護衛させてもらいます」
聖官殿は、断固とした口調で言い切った。その声と、表情を見るに……考えを変えるつもりは無いだろう。
……自分の命令を聞かせられない存在が、これほどまでに面倒だとは……思いもしなかった。
――
頭の固い聖官殿は、私を軟禁しようとしているようだった。
……そもそも、私を護衛するように聖女様から命令された、とは、どういう意味なのだろうか?
てっきり、私の首を切るために聖官が派遣されてきたのだと、半ば覚悟を決めていたのだが……全く逆のことを聖官殿がほざいた時には、完全に頭が混乱した。
聖官殿の護衛は、正気を疑うほどに徹底していた。
日中は、私から離れようとせず……厠の中まで付いてくる。
夜になると解放されるが、もちろん完全な解放ではない。
私を自室に閉じ込め、そこに繋がる唯一の階段を、訳の分からぬ薄っすらと青い霧で封鎖している。
聖官殿曰く、この青色の霧は有毒らしい。触れれば、死んでしまうこともあるとか。
……これまで、せっかく民に犠牲を強いてきたのに、こんなことで死んでしまうわけにはいかない。
聖官殿に殺してほしいのは事実だが……事故で毒死などという、阿呆な結末は求めていないのだから。
……こんな状況だから、エトナに会いに行くこともできない。その不満が、一刻ごとに私の中に降り積もっていくのを、私は感じていた。
夜、寝台に座りながら、月を見上げる。
右手には、酒の入ったグラス。
グイッ、とグラスの中身を喉の奥に流し込んでから、私は左手に持っていた瓶を傾けた。
コポポ、と勢いよく流れる液体で、グラスが満たされる。
香りを楽しみながら、私は視線を下げた。
そこには、王都が広がっている。五十万の民が住む、世界最大の都市。華や朝国の都も巨大だとは聞くが……おそらくは、王都が最大であろう。
その、世界最大の都市たる王都は、黒色に染まっていた。
……昔は、こうではなかった。
私がまだ幼い頃、王都は夜でも明るかった。煌々と灯りが焚かれ、夜でも多くの民たちが練り歩いていた。私の眼前に広がる暗闇とは……似ても似つかない。
――まあ、全て私のせいだがな。
自嘲しつつ、グラスを唇を付ける。
滑らかな感触が喉を伝う。
私は既に、王都から視線を外していた。
再び、空を見上げる。
そこに輝く月を見つめる。
「……その分、月が綺麗ではないか」
おかげで、酒が上手い――
「何が、その分、なのですか?」
……ゆっくりと振り返ると、そこにセバスがいた。
「お前は、いつも突然にやって来るな。……どこから入っているのだ?」
「普通に、扉から入ってきましたが」
言って、セバスは足を進めた。澄み切った瞳で、私を貫いている。
「階段には、聖官殿がよく分からぬ物を撒いていただろう? どうやって越えたのだ?」
言いながら、酒瓶を背後に隠す。
どうせ既に見つかっているだろうし、酒の匂いも部屋には充満している。意味が無いのは分かっていたが……堂々と持っているのが、少し苦しかった。
「あれでしたら、私は特殊な体質ですから問題無く通過できましたな。――陛下」
私の傍まで迫ったセバスが、咎める声を出した。
渋々……背中に隠していた酒瓶をセバスに渡す。
「陛下、何度も言っているでしょう。酒類はお身体に悪いと。……見るに、瓶を半分ほど飲みましたな?」
「……だが、どうせもうすぐ終わるのだし、少々構わぬではないか」
「それとこれとは話が別です。国王であるならば、自身の心身を管理する程度、当然のこと。国王が堕落して、民にどう威厳を示すというのですか?
ただでさえ、陛下の意によって民を虐げているのですから……最後の瞬間まで国王でいること、それがせめてもの意地でしょう」
ぐうの音も出なかった。
「一日、グラス一杯まで。分かりましたか?」
「……分かった」
言って、私は手に持っていたグラスを見た。中には、並々と酒が注がれている。
「なあ、セバス。この、グラスにある分は飲んでもよいか?」
「……陛下?」
セバスの声に、私は目を逸らす。
「でもな、捨てるのもなんだしな。セバスは酒を飲まぬし。なら、余が飲むしかないではないか」
「後で、外にいる近衛に渡せば良いでしょう」
反論の一つも思い浮かばなかった。私は黙って、近くの小机にグラスを置いた。
ここからは……真面目な話だ。
「それで。セバスが来たということは……何か、余に伝えねばならぬことがあるのだろう?」
「アル・エンリ聖官について、身辺の調査が完了しました」
「……ほう」
聖官殿がやって来て、まだ数刻しか経っていない。
そんな短時間で調査を終えるなど、尋常の芸当ではない。
「流石、セバスだな。……いや、お前たち、か?」
「幾人かで分担しました」
「そうか……よくやったと伝えておいてくれ」
「承知致しました」
……本当なら直接に労いたいが、生憎と私でさえ、セバス以外の人員の顔は知らない。
組織の名前は無い。
ただ、セバスを通じて、国王の命令に従う集団がある。
国王の座に就いたその日、初めて私にも、その存在が知らされた。以来、世話になっている。
「それで、どのような事が分かった?」
――
聖官殿が来て、二日目の夜。私は、ある計画を実行しようとしていた。
いい加減、我慢の限界だった。
今日こそはエトナの笑顔で癒やされるのだと、私は固く決意していた。
部屋から出ると、まず、近衛に見つかった。
「陛下、どうなされましたか?」
「ああ、少し行きたい場所があってな。付いてくる必要は無いぞ」
言って、私は階段に向かう。当然、そこは薄青い霧で満たされていた。
それを見て……ゴクリと唾を一つ飲み込んだ所で、後ろから近衛が慌てたふうに駆けてきた。
「へ、陛下! ですが、聖官様が、夜間は決して――」
「そんなことは知っている」
大丈夫だ。セバスは問題無く通過できたのだ。私も……。
一歩、足を踏み出した。
後ろから、近衛が手を掴もうとしてきたが、振り払う。
靴先が霧の中に入った。
……が、特に何も起こらない。
――やはり。
ほくそ笑みつつ、もう一歩足を進める。太腿、肩まで霧の中に入ったが、やはり問題は――
○●○
聖官殿がやって来て、三日目の朝。目が覚めた直後に、聖官殿が部屋に入ってきた。
すまし顔をしていて、何を考えているか全く分からない。相も変わらず、つまらない奴だ。
「おはようございます、陛下」
「……ああ」
応えて、私は寝台から足を下ろした。喉が渇いていたので、水差しを目指して歩みを進める。
そうすると、スルリと、聖官殿が私の近くまで寄ってきた。
……鬱陶しい。
そう思いながら、椅子に腰を下ろした。
無言の時間、頭の中で回っているのは、エトナのことだ。
エトナに、会いたい。
あの笑顔に癒されたい。
いや、笑顔でなくても構わない。
可愛い娘なのだ。機嫌が悪くてムスッとしていようと、それはそれで愛らしい。
もう、時間が無い。最後の時まで、できるだけ長い時間、一緒にいたい。
エトナに、父親と一緒にいた時間を作ってやりたい。
母親の……レイネの腕の中には、数日しかいられなかったのだから。
「なあ、聖官殿よ――」
縋る気持ちで、私は聖官殿に頼んだ。
「駄目です」
最後の望みが潰えると同時に、部屋の扉を叩く音がした。
「失礼します、陛下。係の者が朝餉を持ってきました」
「通せ」
近衛の声に反射的に返すと、女官が朝餉を持って入ってきた。
女官は二度会釈してから、台車を引いて近づいてきた。
その女官の姿に、目が吸い寄せられる。
――嫌な匂いがする。
濃厚な、酸い匂い。
まず、女官本人を疑った。
私のすぐ目の前を、女官服がヒラヒラと揺れ動いている。花の、良い香りがした。
……違う。
次に疑ったのは、女官が持ってきた朝餉。
何か、私に悪意を持つ物が含まれてはいないか?
探すまでもなく、正解が見つかった。同時、視界が真っ赤に染まる。
自分でも堪えられない程の……怒り。熱い、煮え滾るような熱が、腹の奥から脳天まで突き抜ける。
――誰だッ!!
誰が、この果実に毒を仕込んだ!!
匂いの元は……レイネが、大好きだと言っていた、そして、ただ一人の娘の名前の由来になった果実――エトナの実だった。
誰かが、エトナの実に毒を仕込み、私を弑そうとした。
圧倒的悪意――殺意の匂いが、エトナの実から発生していた。
「陛下?」
……目を向けると、そこには聖官殿。いけ好かない顔で私を見ていた。
瞬間、思い付きが頭をもたげた。
匂いの元を、器から掴み取る。
「――これ、いらぬか? 余は酸い物は苦手でな」
衝動的な行動だった。
私は、聖官殿に、毒を食らわせていた。
「ぶふっ!?」
聖官殿の口を中心として、真っ赤な霧が広がった。
少しして、聖官殿が膝から崩れ落ちる。
辺りは、赤色に染まっていた。
聖官殿の、血だ。
聖官殿と言えば特別な存在だと思っていたが、血は……変わらず赤色なのだな、と、どうでも良い事が頭に浮かぶ。
……これで良かったのだろうか?
エトナに会いたい――そんな些細な理由で、聖官殿を殺してしまった。
「いや……」
私は自嘲した。
何を今さら。
私は、もっと大量の民を殺してきただろう。
私の勝手な望みの為に……五万以上の民を殺してきた。
そこに、聖官殿が一人加わった所で……何の意味が有るのだろう?
○○○




