12話 『王の鳥籠 四』
念願叶ってエトナの部屋に向かうと、盛大にむくれている少女がそこにいた。
「お父様」
精一杯、私を睨み付けている。
可愛い、以外の感情は浮かばない。
近寄って頭を撫でてやると、エトナは満面の笑みになり……そうになって、慌てたように顔を引き締めた。
その様子に、少し驚く。
どうやら、今日の王女殿下は、相当機嫌が悪いようだ。
エトナはむむっと眉を寄せながら、腕を組んでいた。
「お父様。何か、言わないとダメなことが、あるのではないですか?」
ぷくーっと頬っぺたが膨らむ。
「すまぬすまぬ、ちょっと、ここに来れない用事があってな。余もエトナに会いたかったのだが、仕方が無かったのだ。その代わり――」
ここで、私は溜めを作った。
エトナが焦れてきた頃になって、続ける。
「今日は時間を作ったから、いつもより沢山、エトナと一緒にいられるぞ!」
エトナは陥落した。
パァーと、眩しい笑顔を向けてきた。
むくれているエトナも可愛いが……やはり、笑顔が一番だな。
「お父様!」
私に抱き着きながら、エトナは言った。
「どれくらい、どれくらいの時間、いられるのですか!」
「ふふふ……なんと、三刻だ!」
「三刻!」と驚いて、エトナは早速何をしようか考えているようだった。ブツブツと、何やら呟いている。
そんなエトナの姿を見ながら……私は、この数日で溜まっていた苛立ちが、解けていくのを感じていた。
――
幸せな時間が過ぎるのはあっと言う間で、いつの間にか三刻が経っていた。
扉を叩く音が、私を現実に引き戻した。
悲しそうな顔をするエトナを見て、私の方も胸が張り裂ける思いだった。
歯を食いしばりながら、その痛みに耐えて……エトナの部屋を後にする。
扉を開けると、セバスが立っていた。
開口一番、セバスは言った。
「聖官様は命に別状なく、お休み中です」
……は?
「ちょっと待て……あの毒は、何だったのだ?」
「医官によると、クサカブトだと」
「クサカブト……それは、本当か?」
「はい」
そう答えたセバスの頭を、私は最初に疑った。
クサカブトと言えば非常に強力な毒草だ。食べてしまうと絶対に助からない。それが常識だ。
聖官殿は、普通に食べていた。エトナの実を一口、よく噛んで……飲み込んでいた。
何人も殺すことのできる分量を摂取したはずなのに……生きている?
セバスの顔を見ると、至って真面目な顔をしている。冗談、ではないようだ。
いけ好かない顔をした、若き聖官の顔を思い浮かべる。
……あいつ、化け物の類か?
ファーターを、赤子の手を捻るかの如く下したのを見て、かなりの実力を持っているのだろうと理解していたが……別方向に、遥かに想像を超えてきた。
もう、人間ではない。聖官とは、かくも摩訶不思議な存在でなければならないのだろうか?
そして、聖官のさらに上位の聖女様とは……果たして、どんな存在なのだろうか?
胸の奥に、猛烈な畏怖が生まれた。
聖女様に対する、これまで以上に巨大な、畏敬の念。
私は……堪え切れずに笑ってしまった。
本当に、素晴らしい。
「セバス、聖官殿は生きているのだよな?」
「はい」
「目覚めているか?」
「いえ、私が見た時には、深くお眠りになっていました」
「そうか」
言って、私は歩き始める。
後ろから、セバスが付いてくる気配がした。後方に向けて、私は言った。
「セバス、後で頼みたいことがある」
――
執務室に戻り、溜まっていた仕事を必死にこなした私は……その快適さに驚くことになった。
後ろに聖官殿が立っていない。たったそれだけで、仕事が捗る。
途中、尿意を感じ、それを四半刻ほど我慢していた所で……私ははたと気づいた。
――そうだ、聖官殿はいないのだった。
だとしたら、我慢する必要も無い。私は椅子から立ち上がり、近衛に一声かけた。
厠まで近衛は付いて来て、扉の前で立ち止まる。私が厠の中に入っても、付いてくるようなことはしない。
一人、快適に放尿を終えて厠を出ると、再び近衛が付き従ってきた。
廊下を歩きながら、思う。
そう、これだ。これが普通なのだ。聖官殿がおかしいのだ。
……やっぱり、殺しとくか?
笑い混じりにそんな思考が浮かんで、私は執務室に戻る前に、聖官殿の様子を確認してみることにした。
警護の近衛が二人、部屋の前にいた。中に入りたいと言うと、すぐに聖官殿の部屋に侵入する事ができた。
部屋に鎮座する寝台の中は……空っぽだった。
一瞬、思考が停止する。その時、微かに甘い香りがした。
見ると、寝台脇の小机に、枝編みの籠が置いてある。
中は空っぽだった。
その光景を見て……私は、自分の口角が上がっているのを感じた。足を進めて、籠の中を覗いてみる。
「……全部、食べたのか」
一人笑って、私は踵を返した。
さて、聖官殿はどこに行ったのだろうか?
部屋を警護している近衛に、その居場所を尋ねてみた。
「聖官様なら、宰相閣下と共に、どこかへ行かれましたが……」
それが、近衛の解答だった。
……セバスと聖官殿が一緒に?
そんなことをセバスに命じた記憶は無い。私が命じたのは、エトナの実と私からの文を、聖官殿に届けることだけだ。
まあ、セバスは私の傀儡でもなし、何をしようと、私が口を挟むようなことではない。
けれども、聖官殿と二人でどこかに行った……というのは、気になる。
セバスに会わなければならない。
私は、図書館に向かう事にした。
――
セバスは、いつものように司書机に座っていた。難しそうな本を読んでいる。
「聖官殿と共に、どこかへ向かったと聞いたのだが」
声をかけると、セバスは顔を上げた。
「ああ、そうですな。聖官様なら……あちらにいらっしゃいますよ」
スッと、骨ばった指をセバスは伸ばした。
その先には、本棚がある。
特に変わった所の無い、ただの本棚。
意味が分からず、セバスに聞き返そうとする直前に……私は、セバスが何を言っているのかを理解した。
本棚……その向こう側にある物。
理解すると同時に、全身の血の気が一挙に引くのを感じた。
「……エトナの部屋か?」
「はい」
「聖官殿に見つかったのか?」
見つかってしまったのか?
見つかってはならないのに。
エトナには、関係ない場所にいてほしかったのに……。
「いえ、私が聖官様に教えました」
耳から入ってきた言葉が信じられず……ただ、セバスの顔を見る事しかできなかった。
セバスは動揺した様子も無く、澄んだ瞳で私を見ていた。
「……おし、えた?」
「はい。私が、聖官様に教えました」
「なぜだ」
私は、頭が冷たく冴え渡るのを感じていた。
――匂い。
人の悪意を示す匂い。
酸っぱいような、嫌な匂い。
セバスからは、微かにも匂いがしなかった。
昔からずっと……おそらく、初めて会った時から。
セバスからは、匂いが全くしないのだ。
私に対する悪意を、全く抱いていない。
そんな人は……セバス以外にはいない。
誰しも感情の揺れはある。常には私のことを立てていても、瞬間的に悪意を向けてくる時がある。
けれどもセバスには、それさえも無いのだ。
――仮に。
仮に今、少しでも悪意の匂いがしたら、私はセバスを処断していただろう。
悪意を持って、エトナを危険に晒したのならば……私は、セバスを許さなかった。
私の問に、セバスは落ち着いたままに答えた。
「それが、陛下にとって必要だと判断したからです。聖官様からエトナ殿下を隠し通すのなら……必然的に、陛下はエトナ殿下と会えなくなります。陛下はもう、限界でしょう?」
「……だが、仕方ないだろう? 聖官殿にエトナの存在が露見しては、計画が駄目になってしまう」
「おそらく、問題無いかと」
「ほう?」
不思議な返答だ。私には理解できない。
「少々話してみたのですが……その感触としては、聖官様は案外と情に厚いお方のようです。自分と関りができた人を、大切にされています。
であるならば、エトナ殿下との親交を結んでしまえば、聖官様はエトナ殿下の不利になるようなことはしないでしょう」
「……本当にそうか?」
「確実、とは言えませんな。ですが、このままエトナ殿下をひた隠しにしている場合、陛下が暴走する可能性も考慮せねばなりません。今朝のようにですな。短慮の危険と秤にかけるならば……これが最善かと」
セバスは責めるような視線を私に向けた。
決まり悪く感じて、私はセバスから目を逸らした。
○○○
「王宮から出るのは、久しぶりだな」
私が言うと、隣を歩いていた聖官殿が尋ねてきた。
「どれくらいぶりですか?」
首を傾げながらの聖官殿は、どこかあどけない表情をしている。
私は、生憎の曇り空を見上げながら、記憶を辿った。
最後に王都に出たのは確か……新年祭の時だった。
計画を始めた初期……まだ、葛藤に悩んでいた頃、民たちの生活を見たくて、お忍びで王都に下った。
「四……いや、五年振りになるか? それくらいになると、既に王都に降りることが難しくてな。今回、聖官殿の提案は、余にとっても良い機会だったぞ」
「そうですか……」
私の言葉に、聖官殿は悲しそうに眉を下げた。
……気にすることはないのに、本当に聖官殿は人が良い。
空気を変えようと思って、私は適当な話題を振ってみることにした。
話題の種を探そうと辺りを見回すが……見事に何も無いな。清々しいほどに、活気の無い街だ。
仕方が無いので、過去の記憶から探すことにした。
最初に思い出したのは、匂い。
妙な力のせいで、私は昔から匂いに敏感だから……良い匂いも、記憶に残りやすい。
「こんな余でも、昔は、良く王都を歩いたのだぞ――」
語りながら、私は昔のことを思い出していた。
一人、自嘲する。
あの頃の私は……まだ何も知らなかった。
――それから、聖官殿としばらくの間、雑談をした。
マエノルキアの話を聞いた時は、素直に羨ましいと思った。
王都に囚われている私の目には、世界を飛び回っている聖官殿が眩しく見えた。
そうしているうちに、目的地に辿り着いた。
処刑場だ。
王都を見たいと言った聖官殿だが、曰く、処刑場と民たちの生活は必ず見たいとのことだった。
どういう心境の変化なのかは分からない。けれども、聖官殿の心の内で、何かが起こっているのは、たしかなようだった。
――どうせ、セバスだろう。
セバスはいつも、私の知らない場所で何かをやっている。
後になって報告してくる時も、結局してこない時もあるが……全てにおいて共通しているのは、どれも私の為だということだ。
聖官殿は、ジッと、処刑場を見ていた。
私はとっくの昔に感覚が麻痺しているので……今、聖官殿がどんな心境なのかは分からない。
処刑場では、今回の罪人が縮こまっている。中央騎士団も既に揃っていて、いつでも開始できる状況だ。
私は空を見上げた。
分厚く雲が覆っている。いつ雨が降るか分からない。さっさと始めてしまおう。
「聖官殿、構わぬか?」
聞くと、聖官殿が頷いたのを確認できた。
「始めよ」
私の声に反応して、騎士たちが動き始めた。
少女が斬首場に引き出され、細い首を晒される。
両側に二人の騎士が並んで、同時に剣を抜いた。
騎士は、美麗な所作で頭上に剣先を掲げた。
それが振り下ろされる直前。
「ラインハルト……」
横から、小さく呟く声が聞こえた。
見ると、聖官殿が目を見開いていた。何かに気付いたような……そんな顔。
「なんだ? 誰か、聖官殿の知り合いでもいたか?」
「……いえ」
青白い顔をしながら、聖官殿は続けた。
「特に知り合いなどはいませんが」
聖官殿は、嘘が下手だな。丸分かりだ。誰か、知り合いがいたのだろう。
――もしや、罪人の中にいるのか?
もしもそうなら、多少の融通は利かさねばならないが。
聖官殿の表情を確認してみる。動揺が見られるが……もう、ほとんど収まっている。
自分の知り合いが処刑されようとしているのなら、もっと動揺しそうなものだ。
――という事は。
――
調べは簡単についた。
というよりも、元々調べられていた。
もっと言うならば、全てはセバスの手のひらの上だった。
ラインハルト・シエタ。
聖官殿の出身はエンリ領だが、その隣に位置するシエタ領の現領主だ。
それだけではない。
シエタ卿の妹はミーシャというのだが……これが、聖官殿の婚約者だったらしい。つまりは、シエタ卿は聖官殿の元義理の兄となる。
元、というのは、既に婚約が破棄されているからだ。
面白そうだったから、聖官殿とシエタ卿の対面の場を設けてみたのだが……これが、予想以上に面白かった。
知らぬ間に婚約解消されていたことを知った時の、聖官殿の狼狽ぶりは……笑いを堪えるのが大変だった。
そして、それ以上に――
「で? いつものことだから、私に隠していたことについては何も言わぬが……今は聞かせてくれるのだろうな?」
私が問うと、セバスは微かに笑ったように見えた。
「反乱勢力については、随時報告を上げていたはずですが」
「……ああも大量にあっては、覚えられるわけがなかろう。興味もなかったしな。
だが、聖官殿についての報告を受けた時、その時点でシエタ卿についての調査が済んでいなかったとは言わせぬぞ?」
セバスは何も言わず、懐から紙束を取り出した。
骨ばった手から受け取り、中身に目を通す。
ビッシリと……シエタ卿について、そして、その周辺情報についてが書き込まれていた。
紙を繰る音だけが、部屋の夜闇に響く。
全てを読み終わり、私はその紙束をセバスに返した。
「なるほどな。シエタ卿だけではないのか」
「はい。聖官様の御家族も、あちら側です」
「それこそ、なぜ私に報告しなかった」
軽く苛立ちながら問うと、当然のことを語るかのようにセバスは言った。
「陛下は隠しごとが苦手でしょう。知れば挙動が不審になる可能性がありましたので、直前にお伝えすべきと判断しました」
そんなに、挙動が不審になっているのだろうか? 自分では分からないが……セバスが再三言うのだから、そうなのかもしれない。
「直前、か。たしかに……直前だな」
言って、窓から空を見上げる。
中天に浮かぶ月は……消えそうなほどに、細い。
明日が新月、月替。
……もうすぐ、全てが終わる。
「それで? セバスは何を企んでいるのだ? 今回は、勝手に行動する前に教えてほしいのだがな」
「陛下は、聖官様に決着を付けてほしいのでしょう?」
セバスは目尻に皺を寄せて、薄く微笑んでいる。
「聖官様は、陛下を護衛する任務に就いていらっしゃいます。普通ならば、陛下の望みが叶うことはありません。だから……揺さぶる必要があります」
「揺さぶる?」
「ええ。聖官様が迷惑な正義感に溢れる御仁ならば、話は簡単だったのですがね。
自発的に聖官様が動かないのなら、使える物は最大限に使う必要があります。
今回の場合は当然――聖官様の御家族が、それにあたるでしょう」
雲が月を覆った。
同時、室内が暗くなる。
暗闇に、私の声が響いた。
「……聖官殿には、色々と迷惑をかけるな」
○○○




