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08話 『畑の中で』



 不思議と、中央教会内の至る場所に咲き乱れている花々は枯れない。


 既に夏は消え去って、微かに冬の足音が聞こえつつある。ちょっと肌寒いような、でもまだそんなに寒くはないような、微妙な気温だ。


 にもかかわらず、景色を見る限り季節の変化は感じられない。レンガ畳を歩いていると相変わらず、黄色やピンク、青や白、様々な色が目を楽しませてくれる。


 中央教会に来て、ほぼ二ヶ月が経った。


 今日までの毎日は、日中は師匠に言われるがままにゴーレム狩り。日が沈んでからは図書館で借りてきた『任務報告』を順番に読んでいく日々。これも師匠の命令だ。


 どちらも、師匠に言われるまでも無く大切なことだと分かるから、俺は愚直に師匠の命令に従った。


 だからこの二ヶ月、気付けば一日が終わっている……という日々だった。


 辛くはない。自分の実力が、少しずつ確実に伸びているのが分かるからだ。むしろ、充実した日々だった。


 ――数日前、俺はふと気付いた。


 あれ? 何か忘れてないか、と。


 師匠に頼み込んでみると……一日は難しかったが、いつもより三刻ほど早く討伐を切り上げさせてくれた。


 というわけで今、心地いい夕方の日差しに貫かれながら花壇の間を歩いているというわけだ。


 記憶を頼りに足を進める。


 中央教会の裏庭に回ると、そこには畑があった。


 黄色い蝶々(ちょうちょう)が俺の目の前を横切り、その姿を目で追っていくと……そこにいた。


 金三環の刺繍された青ローブを身にまとう少女は、額に浮かんだ汗を手の甲で拭っている。


 畑仕事のせいで手には泥が付着していたようで、少女の純白の額には、茶色の線が一筋引かれた。


 そこで俺の視線に気付いたのか、畑の脇でしゃがんでいた少女は立ち上がって、俺の方へと振り返る。


 長い、腰の辺りまで伸びている銀髪が、空気を含んで大きく膨らんでいた。



 ――



「そこの葉っぱを切ってほしいの!」


「……これ、ですか?」


 頭上に手を伸ばしつま先立ちをしていた俺は、ハサミを右手に、左手で枝の一本を掴んでいた。


 「違うの」と言いながら、俺に寄り添うようにしてマオさんは精一杯背を伸ばして頭上を指す。


「その、右の……そう、それなの!」


 俺が別の枝を掴むと、マオさんは跳ねるような声をあげた。


 許可を得られたので枝にハサミを添えると、マオさんが小さく唾を飲む音が聞こえた。


 そのすぐ傍に立っていると、こっちまでなんだか緊張してくる。


 下にチラリと目を向けてみると、マオさんはギュッと両目を閉じていた。


 その様子に一瞬で和んだ俺は、緊張感が切れると同時に枝も切っていた。


 パチンッという音に目を開いたマオさんと目が合った。


 青色の、澄み切った瞳だ。


 しばらく見つめ合っていると、マオさんの視線が上に動くのが見えた。


 同時、ただでさえ大きな目が、さらに大きく見開かれた。


「きっ、切り過ぎなの!? 十センも切れてるのっ、五センって言ったのに!」


 マオさんの声に俺も目を上に向けてみると……うーん、五センでも十センでも大して変わらない気がする。


 とはいえ、そんな顔をされてしまうと、とてつもない過ちを犯してしまったかのような気分になってきた。


 俺は心の底からの気持ちで頭を垂れた。


「……すみません」


「うぅっ……もう切っちゃったものはしょうがないの……」


 マオさんは、儚い笑顔を浮かべていた。


 腰まで伸びる銀髪に、茜色の夕日が反射して光っている。


 「ふぁーぅ」と言って、マオさんは口元に手を当てながら大きな欠伸(あくび)をした。


「朝から一日中、畑仕事をしてたんですか?」


「ん? 始めてからまだ一刻も経ってないの」


「……あっ、そうなんですか」

 

 周りを見ると、畑はかなり整えられているように見える。


 一人で世話をしてるんだとしたら一日中かかると思うが、マオさんにとってはあくまで趣味で、基本は黒メイドあたりが手入れをしてるんだろうか?


 西の空に目を向けると、青紫に色付いている。子どもはそろそろお家に帰る時間だ。


「ちょっとマオさんに聞きたいことがあったんですが、今日はもう遅いですよね。できればまた機会を貰いたいんですが、都合のいい日とかありますか?」


「お話なの? それなら今からでも大丈夫なの」


「いえ、でももうすぐ日も暮れますし、聖女様も心配しますよ?」


 聖女様にとってマオさんは、大切な人だという。夜に連れ出しなんてしたら、八つ裂きにされそうだ。


「セージョなら大丈夫なの。まだ夜の鐘が鳴ってないから帰ってこないの。それよりも、お話ってなんなの?」


 夜の鐘って言うと、夕方の六刻のことか。


 太陽の高さを見るに、今が五刻半くらいかな? 残り半刻、確かにちょっとした話をするくらいなら問題無いか。


「マオさんに以前会った時の続きなんですが……」


 そこまで言うと伝わったようだった。


 マオさんは真面目な声音で言った。


「たしか、ロンデルっていう人を探してほしいって、アルは言ってたの」


「……そう、そうです」


 静かに俺は相槌を打った。


 心臓がドキドキと、壊れそうなくらいに早鐘を打っている。


 乾く唇を舌で湿らして、俺は口を開いた。


「……その、見つかったのでしょうか?」


 マオさんは……困ったような顔を浮かべていた。


「ロンデル・エンリ。アルが物心の付いた頃からずっと、すぐ傍にいた大切な人。そして、ある日突然消えちゃった人。これで合ってるの?」


「はい」


「教会の情報を確認してみたけど、ロンデル・エンリという人の存在は確認できなかったの」


「……そ、うですか」


 最後の希望が潰えたという事実にガッカリする気持ちと、やっぱりそうかと納得する気持ちがごちゃ混ぜになる。


「――でも、おかしな所があるの」


 マオさんの雰囲気が変わっていた。


 ほわほわした可愛らしい女の子ではなくて……畏れ多いような、それでいて惹きつけられるような、不思議な魅力があった。


「教会には登録されていないのに、アルの記憶の中にロンデルはたしかにいたの。

 それだけじゃなくて、イーナ・エンリっていう人の立場も、教会にあるものと違ったの」


「イーナの、立場?」


 マオさんは頷くと、静かな口調で続けた。


「エンリ領の人の認識だと、イーナは幼い頃、五歳よりも小っちゃい時に、アルの家に拾われたことになっているの。

 今のイーナは十二歳だから、七年以上前に拾われたはず。でも実際は、三年前。イーナは九歳の時にアルの家に拾われたと、教会には登録されているの」


「……三年前って」


「そうなの。ロンデルがいなくなった、その日に、イーナはアルの家に拾われたことになっているの」


 子どもが生まれたりしたら、領主を通して教会に届け出ることになっている。


 教会に登録、っていうのはその情報のことを言ってるんだろう。


「……えっと、つまり……父上が、あの日に登録したってことですか?」


「エンリ男爵から届け出があったことになってるの」


 ……父上が?


 父上は覚えてるってことか?


 いや、でも……そんなことはずは。


「アル」


 俺が考え込んでいると、マオさんが俺の名前を呼んだ。


「その日に、何かがあったってことは、たしかなの。そういう時、それを引き起こした存在がいるはずなの」


 マオさんの言葉を聞いて、俺はこの二ヶ月間読み込んできた『任務報告』の内容を思い出していた。


 過去の聖官の任務内容が淡々と記されている、報告書。そこには、聖官が出張らなければいけないほどの、厄介な魔物が大量に登場する。


 単に暴れ回るだけじゃない、例えばそう……マエノルキアに『眠り病』引き起こしたような魔物が、わんさかと登場する。


 あの日、俺たち討伐隊は、漆黒の狼に遭遇した。


「……魔物が原因ってことですか」


 俺の言葉に、マオさんはニッコリと微笑んだ。


「私もそう思ったの」


「やっぱり……」


 でも、あの魔物は既に、俺とロンデルさんが討伐してしまった。


 あの狼が原因だったのなら、もう元には――


「だけど、それだと説明がつかないことがあるの」


 マオさんの声が、どうしようもない結論が出る直前に、差し込んできた。


「百人単位の人の認識を変化させる力を持つ魔物なんて、かなり強力なの。

 そんな魔物がもしもエンリ領にいたのだとしたら、周りの魔物の発生数が減少するはず。

 だけど、過去の情報を見直してみても、魔物の発生数に変化は無かったの」

 

 マエノルキアでイプシロンに教えてもらった。


 魔物の発生原理は二つある。


 大量の人が死んだ場所では魔物が発生する。そして、強力な魔物の周辺では魔物の発生が抑制される。


 マオさんは、二つ目のことを言ってるんだろう。


「……つまり、エンリ領に魔物はいなかったってことですか?」


「分からないの。調べてみて分かったのは……何かが、何かを引き起こしたってこと。そして、その時に、普通の魔物はいなかったってことなの」


 こうして聞いてみると、全く何も分からないって状況に変わりはない。


 むしろ、疑問が増えている。


 でも、少なくとも……あの日、何かが起きた、ということは分かった。


 俺の妄想ではなかった。


 俺以外の誰も、覚えていない。


 けれど、たしかにロンデルさんは、そこにいた。


「色々調べてもらって、ありがとうございました」


 胸の内から溢れてくる感情に従って、俺は小さな少女に頭を下げていた。


 その頭を、優しく撫でてくれる感触があった。


 恥ずかしさは無かった。


 絵面的には、年下の少女に頭を撫でられている状況なのだが……そんなことは全く気にならない。


 目を閉じると、マオさんの落ち着いた声が降ってきた。


「私には分からないけれど……コテイなら、何か知ってるかもしれないの」


「こてい」


 口の中で呟いて、俺は顔を上げていた。


「そういえば……前から思っていたんですが、コテイって何、というか誰、なんですか?」


「コテイは……」


 ついさっきまでの空気が一変して、マオさんはほわほわした可愛らしい少女に戻っていた。


 小動物のように身を縮めながら、目をキョロキョロとさせている。


 かわいい。


 ほのぼのした気分でそんなマオさんの様子を眺めていた俺は、ハッと我に返った。


「どうかしましたか?」


「……んーん、何でもないの。コテイについては……私からは言えないの」


「言えない?」


 マオさんはこくりと頷くと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「……でも、たぶん数年以内に会えると思うの。少し長いけど、待ってて欲しいの」



 ○○○

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