06話 『お勉強』
中央教会にやってきて三日。
新しい自室にも大分慣れてきて、俺はフカフカのベッドの上に寝っ転がって寛いでいた。
体育座りの太腿に乗せられているのは一冊の分厚い本。厚さは五センチくらいある。
上質な、だけどちょっと古臭い黄ばんだ紙の、最後の一ページめくって、俺は本を閉じた。
軽く目頭を揉む。
明後日、専用武器を手に入れるまで、本を読み進めるように師匠から言われている。
俺は神官を経ずに聖官になったから、教会の決まりごとや魔物、『能力』のこと、様々なことに関する知識に乏しい。それを身に着けるように、とのことだ。
窓の外は既に暗くなっている。月光と蝋燭の炎が室内を照らしている。
……たしか、図書館は一日中開いていると言っていたはずだ。
そのまま眠ってしまいたいような気もするが、戦闘訓練をできない分、サボるわけにはいかない。
――
夜中でも明るい廊下を歩いていると、遠くの方に誰かの後ろ姿が見えた。
こういう時、大抵は黒メイドなのだが……珍しい。白メイドだ。
歩くのに合わせて、ツインテールが揺れている。
ちょっとだけテンションが上がる。
声をかけようかと思ったが……今は夜だ。あまり大きな声を出すわけにもいかない。
歩調を早めて追いかけていると、イプシロンはその足音に気付いたようだった。
「アル聖官、こんな遅くにどうされたんですか?」
「図書館に本を返しに行こうと思いまして」
イプシロンは灰色の瞳を、俺が小脇に抱えている本に向けた。
「『任務報告』ですか。勉強熱心ですね」
ツリ目を細めて、褒めてくれる。
俺は動揺を悟られないように、視線をイプシロンから逸らした。
「……そういえば、ずっとサラの姿が見えないんですけど、今どこにいるかって分かりませんか?」
たしか、聖官拘束で、聖女様には聖官のだいたいの居場所が分かっているはずだ。
思った通り、「ちょっと待ってくださいね」と言って、イプシロンは目を閉じた。
チラチラと様子を伺っていると、十秒ほど経ってからイプシロンはまぶたを開いた。
「……どうやら、既に聖国にはいないみたいですね」
「えっ……そうなんですか? えっと、じゃあ、今どこに」
「どこ、と言われると説明しづらいのですが……強いて言うなら山の中です。王国のさらに北、そこの山岳地帯にいるようですね」
……山岳地帯?
「そんな所で、何を……任務ですか?」
「いえ、任務ではないようですが……」
イプシロンは困惑顔を浮かべている。
「何をしているかは分かりませんが、カザネ聖官と一緒にいるようです。なので、心配の必要はないと思いますが……しばらく、山から出てこないかもしれませんね」
――
階段を一階まで降りて建物の奥へと進むと、やがて目的地が見えてきた。
重厚な、落ち着いた雰囲気の大扉を開けると、ムワリと、濃厚な紙の香りがする。
中央教会図書館。
途方もない年月を越えて集められた資料や、寄贈された書籍が、見渡す限り収められている。
ズラリと立ち並ぶ本棚は俺の身長の倍くらいの高さがあって、その中には押並べて分厚い本がギッシリと詰まっている。
図書館内には、読書ができるようにソファーや机が置かれているのだが、今は誰一人として座っていない。まあ、日中に来たとしても数人しかいないけどな。
中央教会のあらゆる場所を見て思うのだが、無駄が多いよな。
図書館しかり、食堂しかり、百人そこそこしかいない聖官のために、無駄に豪華な設備が整えられている。
シンと静まり返る夜の図書館に響くのは、俺の足音と、紙をめくる微かな音。
俺は紙の音がしてくる方向へと足を進めた。
本棚の合間を図書館の奥へと進むと、大きな机の上に、それに見合った巨大な本を乗せている少女がいた。
大きな机と、その上に積まれた分厚い本に埋もれるようにして、幼い少女がちょこんと座っている。
「すみません」
声をかけると、少女は読んでいたページに栞を挟んで本を閉じた。
視線を上げて、灰色の瞳で俺の事を捉える。白髪はおさげにされていて、肩から前に落とされている。
白メイド服から覗く平坦な胸元には『Ν』の文字。その文字に違和感を覚えつつ、俺は話しかけた。
「夜遅遅くにすみません、返却をお願いしたいのですが」
「えっと……『任務報告 教会暦一九五一~一九六〇』ですね。返却期限まであと二日ありますけれど、もうよろしいですか?」
「はい、もう読み終わったので」
「わぁ……読むの早いんですね」
少女はちょっぴり目を大きくすると、嬉しそうに話しかけてきた。
「続けて、何かを借りますか?」
「次の『任務報告』をお願いしていいですか?」
「分かりました!」
ぽんっ、と少女が両手を打った瞬間、机の上に分厚い本が出現した。
「どうぞ、『任務報告 教会暦一九四一~一九五〇』です!」
「ありがとうございます」
分厚い本を持ち上げて……その場を立ち去る前に、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「あの、私が言うのもなんですが……こんな夜遅くまで起きてて大丈夫ですか?」
俺の質問に、ミューは不思議そうな表情を浮かべた。
「ニューは、ついさっきまで眠っていたので、大丈夫ですよ」
「あ、そうなんですか」
一日中開いてるって聞いてたけど、司書さんがいない時間もあるのか。
今日はたまたまいたけど、今度からは気を付けた方がいいかもな。
そんなことを思いつつ、俺はミューに軽く頭を下げた。
「それじゃあ、こんな遅くに失礼しました」
「はい、また来てくださいね!」
ミューの笑顔にほっこりしつつ、俺は図書館を後にした。
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