03話 『再会 後編』
昨日クルーエルさんと話した時に聞いたのだが、俺の部屋辺りから五区とやらには四半刻もあれば着くらしい。
そういうわけで、俺は八刻半に部屋を出て、適当な黒メイドを捕まえた。
昨日話したメイドとは髪型が違うから、別人だと思う。掃除係十一番らしいが、昨日のは何番だったか……。
「こちらが五区です」と黒メイドが足を止めたのは、大きな扉の前だった。
金属製で、その中央には『五』の文字が浮かび上がっている。
扉の取っ手を掴むと、金属特有のヒンヤリとした感触が手のひらに伝わってきた。
顔だけ振り返って、黒メイドに頭を下げる。
「ありがとうございました」
「お気をつけて」
何に気を付けるんだ? と思いながら扉を開けると、直後に何となくその意味を理解した。
部屋は三メートル四方くらいの大きさ。装飾品の類は見当たらない。
部屋の中央では、見慣れた青球が浮遊していた。
青球の下に入って、右手を頭上に掲げる。
……考えてみれば、自分でやるのは初めてだ。
普段は体内を流動している魔素を右腕へと押し出す。
ここまでは電気を作るのと同じだから、特に意識する必要もない。
いつもなら、体表で魔素を電気に変換するけど……今回は変換しちゃいけない。
――放出。
ふわっとした感覚。
よかった、成功したみたいだ。
……でも、真っ暗で何も見えない。洞窟だろうか? 足元がふわふわするから……苔でも生えてるんだろうか?
どこかから、ミントのようないい匂いがする。
それに、何か音がする。スース―と……寝息? 洞窟といえば、ドラゴンとかもこの世界にはいるんだろうか?
想定外の状況に困惑しながらも、俺の頭は動いていた。ここ最近鍛えられてるせいだろう。
――寝息の主が誰なのか分からないが、起こすべきではない。起こさないように、この暗闇から脱出する必要がある。
寝息から遠ざかる方へ向かって、抜き足差し足で進んでいく。
慎重に数歩進むと――足先に何かが当たった。柔らかくて、滑らかな感触だ。それは弧を描くようにして……寝息の方へと反転している。
熟考を経て、俺はリスクを取ることにした。
迂回路もあるだろうが、探す時間がもったいない。
寝息の主がいつ起きるか分からない。早く脱出しないと。
大丈夫。静かに、慎重に進めば……問題ない。
一歩、足を踏み出した時だった。
地面が動いた。
足が滑ったわけじゃない。地面ごと、俺の足が動いていた。
成すすべもなく、俺の身体は傾いた。
「――ふにゃっ!?」
柔らかな感触が、俺の身体を受け止めた。
ふわふわした物に、身体が沈み込む。
「なっ、なんなのっ!?」
耳元で聞こえると同時、視界が白く染まった。混乱が上塗りされる。意味が分からない。
何もできずに転がっていると、目が光に慣れてきた。
すぐ目の前に、女の子の顔があった。
綺麗な青色の瞳。桜色の唇の隙間には、二本の鋭い犬歯が覗いている。
「……アル、なの?」
そこはベッドの上だった。頭上には天蓋とかいう、用途不明の物が見える。
吸血鬼の少女がそこで眠っていて、そのベッドに俺が倒れこんだ――ということらしい。
ベッドから身体を起こすと、すぐ足元にシーツが転がっていた。
室内を覆う青い絨毯の上には、色々な動物のぬいぐるみが置かれている。
「……あの、ここが五区であってますか?」
「ごく?」
「ベータから、五区に行くよう言われて来たんですが」
少女はベッドから身体を起こしながら、きょとんとした顔を浮かべている。
「ベータに言われて来ることはないと思うの。だから、ごく? は、ここじゃないの」
「……それじゃあ、ここはどこですか?」
「私の寝室なの」
寝室……見たまんまだな。やっぱりここは五区ではないらしい。
頭を整理していると、視界の隅に動くものが見えた。少女がベッドの上に膝立ちをしている。
「ちょっと見せてほしいの」
そう言って、俺の頭を両手で掴む。
少女の手のひらから、魔素が出てくるのを感じた。
……これ、前にもやられたやつだ。あの時は意味不明だったが、今は何をやられているのか理解できる。
少女に頭を掴まれながら、俺は感嘆していた。
少女が紡ぐ魔素は繊細で、自然だ。何の抵抗もなく、スルスルと俺の頭に注ぎ込まれている。
マエノルキアで、似たようなことをしたけど……比べるのもおこがましいほど別物だ。
俺の場合は、細い穴に無理やり突っ込む感じだった。
この子の魔素は、布に水が染み渡るように流れ込んでくる。
抵抗しようにも抵抗できない。俺の身体が異物だと認識してくれない。
「……ふぅ、アルがいきなり私の前に来る理由が分かったの」
少女は俺の頭を放すと、ベッドの上にお尻を落とした。
女の子座りをしながら、青色の瞳を向けてくる。
「でも、もう大丈夫。アルの魔素を覚えたから、転移して来ないようにしておいたの」
「えっと……ありがとうございます?」
何を言っているのか全く分からないが、ひとまず感謝を述べておく。
すると、少女は思わず見惚れてしまうような笑みを浮かべた。
「えへへ、どういたしましてなの」
――『至急、五区に来なさい』――
突如、焦燥感が生まれた。任務が頭の中に書き込まれる。
やばい、集合時間になったらしい。
とは言っても、ここがどこにあるのかも分からない。部屋には窓が一つも無いし……少なくとも、中央教会のどこかだと思うんだが。
部屋の端っこに、小さめの扉が一つある。ひとまず、あそこから外に――
そこまで考えた時、俺はあることに思い当たった。
目の前に視線を向ける。
「どうしたの?」
少女はこてんと首を傾げた。
そうだ……俺のそもそもの目的は、この子に会うことだった。
この子に会うために、聖官として聖女様の信頼を得ようとしていた。
この子に会えたなら、任務とかどうでもいいんじゃないか?
「あの……そういえば、名前って」
「なまえ?」
「名前を聞いていなかったなって。お聞きしてもいいですか?」
少女はパチパチと瞬きをして、にこりと笑う。
「マオなの!」
「マオ様ですね。その、以前マオ様にお会いした時のことなのですが……」
マオ様の頬っぺたがどんどん膨らんでくるのを見て、俺は口を噤んだ。
「どうされましたか?」
「マオ様はいやなの」
嫌……まあ、それもそうか。どうやらこの子は偉い人みたいだし、陛下とか閣下みたいな敬称が必要なのかもしれない。
「申し訳ありません。では、どのようにお呼びすればいいか……お手数ですが、教えていただいてもよいでしょうか?」
「うーん。もっと、あったかい感じがいいの」
あったかい感じ? もっとフレンドリーに話しかければいいのか?
少し考えて、俺はおそるおそる口を開いた。
「……では、マオさんでどうでしょうか?」
「いい感じなの!」
少女の表情はころころと変わる。
むすっとした顔から、むむっと考え込む顔になって、また笑顔に戻ってきた。
その表情を見ていると、堅苦しくしているのがアホらしくなってきた。
マオさんも、そんなこと望んでないっぽいしな。
俺は幾分リラックスしながら口を開いた。
「それで、前にマオさんに会った時のことなんですが……僕の言うことを、何でも一つ聞いてくれるって」
「あっ、そのことなら、ちゃんと調べてみたの」
マオさんは真面目な表情になると、背中の羽をはたはたと動かした。
「でも……ちょっと長くなっちゃうから、今じゃない方がいいと思うの。
アル、さっきからセージョに呼ばれてる。知らんぷりしてたら、セージョがここに来ちゃうかもしれないの」
――
寝室の扉を開けると、エンリ村から転移してきた時の部屋があった。
蝋燭の炎だけが灯る薄暗い部屋には、誰もいなかった。部屋の中を急いで探すと、端っこの方にさっき開けたのと同じような扉があった。
そこを抜けると豪奢な部屋に出た。
ここは……宝物庫か?
黄金製のコインやゴブレット、宝石の散りばめられた剣やネックレス――それ以外にも、数え切れないほどの財宝が、巨大な空間に詰まっている。
振り返ると、さっき俺が通ってきた扉は、ほとんど完全に壁に馴染んでいた。
そこに扉があると知らなければ、見つけることは難しいだろう。
……さっきの部屋を隠そうとしてる?
疑問が浮かんだが、考える時間はない。
宝物には目もくれず、俺は巨大な鉄製の扉を目指した。
財宝を跨いだり踏んだりしながら宝物庫を縦断して、扉の前までたどり着く。
両手で押してみるが……開かない。
再び周囲を見回してみると、勝手口みたいなものだろうか? 巨大な扉の脇に小さな扉があった。
そっちの扉はスムーズに開いた。
扉の外に出てみると――薄暗い石製の階段が、ひたすら下まで続いている。
一番下まで降りて、そこにあった扉を開けると、緑が広がっていた。
畑だ。良く耕された茶色い地面に、等間隔に葉っぱが生えている。大根か何かが埋まってるのかもしれない。
現在地を確認するために見上げると、巨大な建物がある。中央教会で一番大きな建物だ。
ここから見える建物の壁には、窓の一つも無い。形状から判断するに、建物の裏側だろう。
もう一度、先ほど抜けてきた扉の位置を確認する。
よし、覚えた。
黄色い蝶々を避けながら、俺は土の上を駆けた。
○○○
「アル聖官、半刻の遅刻ですよ」
仁王立ちのイプシロンが言った。服装は神官服から白メイドに戻っていて、胸元に『Ε』が見える。
そこは、荒野だった。
俺の部屋からも見えた、中央教会の外側に広がっている不毛の大地。
こうして近くで見てみても、血糊がそのまま固まったかのような、不吉な感じのする地面だ。
困惑しながら、青球下の空間から外に出る。
「すみません、少し道に迷ってしまって……」
イプシロンに頭を下げてから、クルーエルさん――師匠の元まで歩いていく。
「師匠、お待たせしてすみません」
「いえ、構いませんよ。サラ殿の方が、ちょうど今終わったところですからね……」
師匠の視線の先で、サラが仰向けに倒れていた。
もう少しで肩まで届きそうな深紅の髪の毛が、荒野の上に広がっている。
神官服の所々が赤茶に汚れているが……血糊なのか土汚れなのかは分からない。
「……ところで、これはどんな状況なんですか?」
「ん? ああ、サラ殿に対する初指導が終わったところです」
サラの傍には、神官服を着た女性が立っている。
初めて見る女性は、黒髪をポニーテールにまとめていた。
肌の色が若干黄色い……それに気付いてみると、鼻や頬骨の感じも東洋っぽい。
シャープな黒い眉毛。その下の目は、閉じられている。
困惑を深めながらポニーテールの女性を見ていると、その女性にイプシロンが歩み寄るのが見えた。
「カザネ聖官、お疲れ様です」
「ん」
「サラ聖官はどこにお送りすればよいでしょうか?」
「二十区」
「……最初からですか?」
「ん」
サラが消えた。イプシロンが転移させたんだろう。
「私も」
「分かりました」
最後まで目を閉じたままだった女性が消える。
「さて、そろそろ始めますか」
隣から師匠の声が聞こえた。
「……? 何をですか?」
「私たちの場合は初指導、ではありませんから……二回目の指導ですかね」
状況を掴めていない俺をよそに、師匠は俺に背を向けた。そのまま数メートル歩いてから、再び俺に向き直る。
「最初の距離はこれくらいで構いませんか?」
「……えっと、はい?」
意味が分からない。
意味が分からないけど、師匠が頷くのが見えた。
「では、勝つつもりでかかって来てください。それくらいで、ちょうどいいですから」
ふと気付くと、イプシロンがやけに遠くに立っている。
三十メートルくらい離れた場所から、ジッとこちらのことを見ている。
そのことに、俺が違和感を覚えた時だった。
「――燃えろ」
低い声と同時に、熱を感じた。
反射的に横へ飛び退くと――俺がついさっきまで立っていた場所を、直径一メートルほどの火球が通過した。
混乱しながら師匠を見る。
「師匠っ、何を――」
「そんなことではすぐに終わってしまいますよ」
火球が轟音を上げながら飛んでくる。
俺は声にならない悲鳴を漏らしながら、必死になって身をのけぞらせた。
顔の真ん前を、真っ赤な炎が通過する。
ジュッ、と音がした。
地面に尻もちをつく。
焦げ臭い匂いがすることに気付いて、俺は自分の前髪を触った。
……焦げてる。
正面を見ると、師匠が手のひらを向けていた。
――殺される。
理解すると同時、俺は師匠に背中を向けていた。
全力で走る。
とにかく距離を取らないと。
背後から轟音が迫って来る。
勘に従って、俺は右に転がった。
すぐさま立ち上がると、火球が荒野の上を飛んでいくのが見えた。
額に冷や汗を浮かべながら、俺は再び走り始めた。
距離を取って、師匠の魔素が枯渇するのを――
「敵前逃亡とは、いい度胸ですね」
目の前に、師匠の鷲鼻があった。
「は?」
――イプシロン。
思い至った瞬間、俺は師匠に手を向けていた。
――放電!
「二度も、同じ攻撃は食らいませんよ」
青ローブの上を、紫電が滑る。
そのまま、赤褐色の地面へと逃げてしまった。
全く痺れた様子もなく、師匠が手のひらを向けてきた。
「鍛えがいがありそうです」
○○○




