02話 『師匠』
後ろ手で扉を閉めた。
俺が入った部屋は、広かった。
広すぎるくらいだ。
奥の大窓までは、十メートル以上はある。横幅はさらに長く、二十メートル近く。
……ここが、俺の部屋?
信じられない気持ちで、俺は部屋の中に踏み入った。
広大な床全体には、ふかふかの青い絨毯が敷かれている。
部屋の奥には、五人は眠れそうな巨大なベッド。
他にも、樹齢数百年の木を使ったのであろう一枚板のデスクや、ガラス製のテーブル、複雑な模様のあしらわれたソファーなど、高そうな物がたくさん部屋には詰まっていた。
……これだけでも、聖官になって良かったかもしれない。
部屋を縦断して、俺は窓の外を見下ろした。
眼下に広がるのは、中央教会の巨大な敷地だ。
純白の建物がたくさん見える。建物と建物の間を、様々な色が埋めている。石畳の灰色とベージュ。赤や黄色、ピンクの花壇。あと……あれは畑か何かだろうか? 緑の占める割合も大きい。
それぞれの場所には、幾つかの人影が見える。
ちょっと興味が湧いて、目に魔素を集めてみた。
双眼鏡のように、視界がズームされる。
目に写ったのは白髪の若い女性だった。
他の人の顔を確認してみても、決まって若い白髪の女性。髪型は違うけど、みんな似たような雰囲気だ。
ちょうど正面、遠くに見えるのは細長い尖塔だ。青色の屋根があって、そのすぐ下にキラキラと輝く物があった。
あれは……黄金の、鐘? 四方を柱で囲まれた場所に、鐘が吊り下げられている。
その時、ひとりでに鐘が揺れるのが見えた。
リン、ゴーンと間延びした音が中央教会に響き渡る。
……しばらくの間、俺はその音に聞き入っていた。鐘の音が消えゆくのを待って、再び意識を窓へと向ける。
今度は視線を遠くに向ける。鐘の尖塔を越えてもっと先。敷地全体をグルリと囲む壁も越えて……そこに広がる景色を見る。
暗赤色の大地。傷口に滲んだ血を、拭うことなく数時間放置したかのような、そんな色。
草の一本も見えない荒野が、地平線の彼方まで広がっている。
これが……聖国か。
イメージと全然違うな。俺に信心は全く無いが、もっと綺麗な場所なのかと思っていた。
俺は窓辺から離れて、壁際に置かれている大きな柱時計に目を向けた。
九刻過ぎを指している。
マエノルキアを出たのも九刻ごろだったはずだけど……たぶん、時差が幾らかあるんだろう。
明日の九刻に指導役とやらと対面する予定だが、それ以外には何も言われていない。ちょうど丸一日暇ってことか。
俺はソファーに腰を下ろして、豪華な室内を見回した。
……どうやって、時間を潰そうかな。
――
部屋を出て、右に曲がって、左に曲がって、階段を降りて、左に曲がって……そこまでは覚えている。
お腹が空いてきたので、食堂でもあるだろうと適当に歩いていたんだが……完全に道に迷ってしまった。
似たような扉に似たような廊下、似たようなシャンデリア。それがずっと続いている。
ひょっとしたら、同じ場所をずっと回っているのかもしれない。
途方に暮れていた俺の耳に、小さな足音が聞こえた。
目を向けると、ちょうど廊下の角から一人のメイドが出てくるところだった。
向こうも俺に気付いたらしい。その場に立ち止まると、洗練された動きで壁に背中を向けて、頭を下げている。
そのまま、彫像のように微動だにしていない。
ちなみに、中央教会には少なくとも二種類のメイドがいる
一つ目がベータやイプシロンのような、白を基調としたメイド服を着ているグループ。俺は白メイドと呼んでいる。
二つ目が、黒を基調としたメイド服を着ているグループ。俺は黒メイドと呼んでいる。服装以外の見た目は白メイドと似ていて、白髪に灰色の瞳だ。
そこで頭を下げているのは、黒メイドの方だった。
……助かった。
「すみません、ちょっといいですか?」
「はい、何なりとお申し付け下さい」
「実は道に迷ってしまって……食堂を探しているのですが」
「承知しました。距離が少々ございますので、よろしければご案内いたします」
「本当ですか! ありがとうございます!」
黒メイドはペコリと頭を下げると、綺麗な姿勢で廊下を歩き始めた。
当然のことだが、黒メイドの足取りに迷いはない。二人分の足音が、一定のペースで廊下に響いている。
「……あの、すみません。お仕事中でしたか?」
沈黙に耐え切れず話しかけると、黒メイドは歩調を乱さずに言った。
「いえ、私の業務時間は先ほど終わりました」
「そうなんですね……えっと、ちなみにどんなお仕事をされているんですか?」
「居住棟第二区画の清掃を担当しています」
淡々とした口調でそれだけ答えると、黒メイドは黙り込んでしまった。
……やりずらい。
でも、この黒メイドとも長い付き合いになるかもしれない。仲良くしておいた方がいいだろう。
親交を深めるには、ひとまず――
「そういえば、自己紹介を忘れていました。新人聖官のアルと言います。
今回みたいにまたお世話になることがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いしますね」
好感度を上げるには笑顔だ。
黒メイドの隣に並びながら、見えるように笑顔を浮かべていると、黒メイドはまんじりともせずに言った。
「アル・エンリ様のことは存じ上げております」
「えっ」
「聖官様の一人として登録されていますので」
登録……名簿みたいな物があるってことかな?
「そうだったんですね。……ところで、お名前をお聞きしてもいいですか?」
俺の問いかけに、初めて黒メイドの歩調が乱れた。数秒の間を挟んで、声が返ってくる。
「名前は持っていません」
「……持ってない?」
「はい」
「名前が無くて、他の人からは何て呼ばれているんですか?」
「聖官様方や白服からは黒服と。同僚からは、掃除係十三番と呼ばれています」
淡々とした掃除係十三番の口調からは、冗談を言っているという空気は感じられなかった。
その後にも、俺から話題を振っては端的に掃除係さんが答えるというやり取りを何度か繰り返しているうちに、廊下に美味しそうな匂いが混じってきた。
「こちらが食堂です」
掃除係さんが示したのは、巨大な部屋だった。壁際に調理場みたいなところがあって、その前方の空間には長机がズラリと並んでいる。
余裕で百人以上入りそうな食堂には、ポツポツと数人が座っているだけだった。その全員が、金三環の刺繍された青ローブを身にまとっている。
「ありがとうございました」
「いえ。それでは、失礼いたします」
掃除係さんはペコリと頭を下げてから、廊下の奥へと消えていった。
勝手が分からないので、とりあえず壁際の調理場みたいなところに向かってみる。
カウンターの奥には黒メイドがいた。目に見える範囲では数人。食器を洗ったり、調理具を持ったりしている。
メニューは……。
きょろきょろと見回していると、黒メイドと目が合った。
「すみません、食事を摂りたいのですが……」
「はい、何をお作りしましょうか」
「メニュー、じゃなくて……何がありますか?」
「お言いつけ下されば、何でもご用意いたします」
何でもって、さすがは中央教会だな。高級レストランみたいだ。行ったことないけど。
長机に目を向けてみると、確かに聖官たちは色んな物を食べている。中には、俺が見たことのない物を食べている聖官もいる。
「じゃあ、ラーメンを」
「……らーめん、でしょうか」
俺は慌てて訂正しようとした。
「申し訳ありません。勉強不足でして、らーめん、という物を聞いたことがありません。
お手数ですが、どのような料理か、教えていただいてもよいでしょうか?
似たような物なら、ご用意できるかと思います」
俺よりも先に黒メイドが頭を下げていた。
そこまで言うならと、記憶をたどって、説明を試みてみた。
とはいえ、自分で作ったことがあるのは袋麵くらいだ。
パンを紐状に伸ばして出汁に漬けたもの、という我ながら酷い説明の結果出てきたのは――
「どうぞ」
……ラーメンだ。
少なくとも見た目は完璧に。匂いも美味しそう。
黒メイドに感謝を述べて、汁がこぼれないようにラーメンを両手で持つ。
どの席で食べるかちょっと考える。
こぼしそうだから、あまり距離を歩きたくはない。
直近のテーブル席の端っこには既に座っている人がいるが、その反対側の端っこなら問題ないだろう。
器を机に置き、椅子に腰掛け、俺は器に橋掛けていた鉄箸を手に取った。
箸の先端で、数本の麺を摘まみ取る。ふーふーと、息を吹きかけていると――
「ほう、アル殿は器用ですね。私が箸なる器具を使いこなすには、かなり苦労したのですが……」
「――クルーエルさん! お久しぶりです!」
「隣、よろしいですか?」
「はい!」
「失礼します」と小さく言って、クルーエルさんは俺の隣の席に座った。
クルーエルさんが机に置いたトレイの上には、見たことのない食べ物が乗っている。
オレンジ色のスープに、立方体に刻まれた野菜や肉が浸かっていて、コンソメっぽい香りがする。
「それは華麺ですか? アル殿は王国出身と聞いていましたが、遠く離れた地の民俗料理まで知っているとは……やはり、アル殿とは気が合いそうです」
「……これ、華麺っていうんですか」
俺の言葉に、クルーエルさんは「おや?」と首を傾げた。
「知らずに食べていたのですか。華麺とは――」
華麺なるものの歴史を語りだしたクルーエルさんのバリトンボイスをBGMに麺をすすっていると、俺が食い終わるのと同じくしてクルーエルさんの講釈も終わった。
いつの間にかクルーエルさんの皿も空っぽだ。
「聞きましたよ、無事に初任務を完了したとか」
「はい、なんとか」
「まあ、二人とも問題ないと判断したからこそ、私も推薦したんですけれどね。どうでしたか、初任務の感想は?」
少しの間考えて、俺は口を開いた。
「想像していたのと違いました」
「……というと?」
「僕が想像していたのは、強力な魔物がいて、そいつを頑張って倒すというか、そういうのだったんですが……確かに少しはありましたけど、それ以外のことの方が大変でした」
それから、俺はマエノルキアでの任務のことをクルーエルさんに話した。
「なるほど。色々あったのですね――」
クルーエルさんは懐から手巾を取り出すと、それで口元を拭った。汚れた面が内側になるように綺麗に畳んで、それを懐に戻している。
「それでは、師匠として最初の指導といきましょうか」
……ん?
「人間には大きく分けて二種類います。一つ目が私やアル殿のような頭脳派」
自分と俺のことを指差したクルーエルさんは、続けて眉に皺を寄せた。
「二つ目が、例えばサラ殿のような肉体派です。――ところで、聖官の主要な任務は魔物の討伐ですが、より重要な任務があります。分かりますか?」
討伐よりも、重要な任務……なんだろう?
聖官とは、神官では手に負えない案件に対処する存在だと、聖官に任ぜられる際にベータは言っていた。
「……罪を犯した神官を処分することですか?」
「魔物の発生を予防することです」
俺の言葉をスルーして、クルーエルさんは答えを教えてくれた。
……ちょっと恥ずかしい。
そんな俺には構わず、クルーエルさんは話を続ける。
「予防ができれば、被害は出ません。そもそも、我々が呼ばれるような事態は、起こらない方がよいのです」
「たしかに、その通りですね」
「ここで先ほどの話です。予防の最たる物として、戦争の防止というものがあります。
考えてみてください。サラ殿のような肉体派には、国家の仲裁など難しいでしょう?」
国家の仲裁なんて、サラにできるわけがない。……というか、聖官はそんなことまでするのか。スケールでかいな。
「つまり何を言いたいかというと、頭脳派は頭脳派にしかできない任務を任されるということです。
戦争の防止のために教会の名代として出向いたり、重要な人物の護衛、あるいは魔物の討伐任務にしても、その手がかりを探す所から開始することが多いですね。
マエノルキアでの任務は、ちょうどいい訓練になったと思います」
俺はクルーエルさんの話を聞きながら、胃が痛くなるのを感じていた。
「つまり僕には今後、こう言ってはなんですが……面倒くさい任務が優先的に回ってくるってことですか?」
「そういうことです。話を聞くに、初任務で頭脳派だと判断されているでしょうからね」
クルーエルさんは椅子から立ち上がると、机の上からトレイを取った。
「不安な気持ちは分かりますが、心配する必要はありませんよ。師匠に任命されたからには、アル殿が一人前になれるよう、責任を持って指導しますから」
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