01話 『評価』
俺とサラ、それからイプシロンは、聖女様の執務室の前までやって来ていた。
焦げ茶色の重厚な扉をノックする。
「……」
一向に返事が返ってこないので、俺は隣のイプシロンに目を向けた。
イプシロンが困惑した表情で扉をノックする。
「イプシロンです。任務の報告に来たのですが……」
やっぱり返事が無いので、イプシロンと二人で顔を見合わせていると、
「入らないの?」
サラが扉を開けていた。それと同時に、抑揚のない声が部屋の中から聞こえてくる。
「パチパチパチ。お二人とも初任務完了、おめでとうございます。ついでにイプシロンも、ご苦労様です」
「……どうしてベータがいるのですか?」
聖女様が座っているはずの場所には、気だるげに頬杖をつくベータがいた。
「外せられない用事が急遽発生したそうです。代理として向かうようにと、命令がありまして」
「なるほど、聖女が。私が以前、どれだけ呼んでも顔を出さなかったのに」
ベータは頭を持ち上げると、机から身を乗り出した。
「ひょっとして、妬いてくれているんですか?」
「いえ……ベータに会えて、嬉しいだけです。それはひとまず置いて――アル聖官、報告をお願いします」
――
俺の報告を聞きながら、ベータは羽ペンを握っていた。
机の上には羊皮紙が広げられているが……ちゃんと人の話を聞いてるんだろうか?
無駄に繊細な花の絵が見えるんだけど。
「ベータ。真面目に話を聞いてください」
イプシロンが突っ込みを入れると、ベータは羽ペンをインク壺に突っ込んだ。
「イプシロンが同行していたのですし、こんな無駄な時間は要らないのではないですか? あとでイプシロンが通信で伝えてくださいよ」
「それはそうですが……規則ですし。それに、質問などがあれば、この際に――」
「イプシロンの今日の下着は何色ですか?」
真面目な顔で、ベータが言った。
イプシロンは口を噤むと、ベータを睨みつけた。
「白いの、はいてたわよ」
「さ、サラ聖官っ……答えなくていいですよ!」
「そーなの?」
サラは手に持っていた高そうな置物を壁際の書棚に戻しながら首を傾げた。
「イプシロンは昔から変わりませんね……それと、サラ聖官。ここには男性がいるわけですし、そういうことを言ってはいけませんよ?」
「おー、分かったわ!」
珍しくまともなことを言ったベータは、机の上で手を組んだ。
「さて、私も暇ではないですし、本題に入りましょうか」
……本題?
「今回が、アル聖官とサラ聖官の初任務だったわけですが、その内容をイプシロンが評価していました」
イプシロンに目を向けると、薄っすらと赤い顔で頷いている。
「二人には伝えていませんでしたが、それが私に下っていた任務でした。隠していて、すみません」
「――聖官に任じられると、数日内に初任務が割り振られます。その任務の成功失敗。成功したにしても、どの程度完全に達成したか、それを新人聖官は評価されるわけです」
ベータの声は、いつもと変わらず感情が籠もっていないが……ほんの少しだけ、不機嫌さが滲んでいるような気がした。
「お二人の評価は、既にイプシロンから上げられています。ご自分の評価が気になりますか?」
「……はい」
俺が頷くと、ベータは腕を組んだ。
「嫌です。教えません」
「え」
困惑した俺は、隣に目を向けた。イプシロンは呆れたようにため息をつくと、俺とサラのことを交互に見る。
「二人ともに、最高の評価を与えています。
今回の魔物は、当初想定されていたよりも厄介でした。アル聖官はその全容を解明し、討伐しました。
サラ聖官は魔物に操られてしまったわけですが……実際に私が相手をして、その高い戦闘力を目の当たりにしています。当然の評価です」
ベータは人形のような灰色の瞳をイプシロンに向けている。
「それを伝えるのは私の仕事ですよ」
「ベータが訳の分からないことを言うからです」
「だって、こいつらのせいで、私の可愛いイプシロンが殺されちゃったんですよ――」
ベータの姿が消えた。
肩を握る感触。
「少しくらい、意地悪したいじゃないですか」
俺とサラの間に、ベータが立っていた。もう片方の手のひらは、サラの肩を掴んでいる。
ベータは俺とサラの耳元に顔を寄せると、抑揚のない声で囁いた。
「……私は怒っています。イプシロンに嫌われたくないので、何もしませんけれどね」
肩をぽんっと押されると、ベータが聖女様の机に座っている。
ベータは見せつけるように、長い足をゆっくりとした動きで組んだ。
「初任務の評価に応じて、新人聖官には指導役が当てられることになっています。
稀に、指導が無くとも完成している新人もいますから、その場合は例外ですが……お二人の場合は評価が高かったので、それぞれに専任の聖官を選んでおきました。
顔合わせは明日の九刻、五区で行います。忘れないように注意してください」
「五区……?」
どこかの場所の名前か? 詳しく聞こうと口を開きかけた時、イプシロンが手を叩いた。
「ひとまず、大事なお話は終わりましたね。――ベータ。私から話があります」
言いながら、イプシロンは自然な手つきでベータの手首を握った。
「い、イプシロン……お二人が見ていますよ。恥ずかしいです」
「こうすれば逃げられませんよね。無理に転移をしたら、私の手のひらが傷ついてしまいますよ」
ベータの手首を掴んだまま、イプシロンは俺とサラの方を向いた。
「本来、聖官に任じる前に、それが何を意味するのか説明しなければなりません。
ですが、ベータはほとんど何の説明もしないうちに、二人を聖官に任じてしまいました。
――ほら、ベータ。二人に言うべきことがあるでしょう」
ベータは何も言わず……空いている方の手で、自分の手首を握るイプシロンの手の甲を、さわさわと撫でた。
ペチンと、イプシロンが手を叩く。
「くすぐったいから止めてください!」
「私としては、ずっとこのままでも本望なのですが……そうですね」
灰色の瞳が俺とサラのことを見下ろしている。
「えー、私ベータは、アル聖官とサラ聖官に十分な説明を与える前に、聖官に任命しました。
これは明確な教会典範違反であり、あってはならないことです。遅くなりましたが、謝罪いたします」
めちゃくちゃ棒読みで、ベータは言った。
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