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18話 『王の鳥籠 五』



 ファーターが部屋に駆け込むと共に、始まったことを理解した。


「それがっ、各地の直轄領、地方領において、同時に反乱が勃発したとの報告が。そこに書かれているのが、主な場所です」


 ――ああ、知っている。


 近日中に乱が起こることを、私は知っていた。


 逐一セバスが報告を上げていたから、潰そうと思えば簡単に潰すこともできたが……あえて放置してきた。


 むしろ、相手に分からない程度に、支援をしていたくらいだ。


 その時、背後から聖官殿の声が聞こえた。


「陛下、ファーター閣下。中央教会から、乱の鎮圧のために聖官が派遣されたようです」


 早いな。……やはり、なぜかは分からぬが、聖女様はどうしても私を死なせたくないと見える。


 とはいえ、乱は全土で勃発している。聖官がどれだけ化け物じみた存在だとしても、鎮圧には時間がかかるだろう。


 さてと、ここからが……私の本気の見せ所だ。


 静かに……私は唇を湿らせた。


 反乱都市名が書かれた紙を、指でなぞる。


「聖官が派遣されたのなら問題無いだろう。アル殿と同じような者たちなら、千や二千が暴れようとも相手になら――」


 口を噤んで、私はゆっくりと振り返った。


 紙の一点に指を押し付けて、聖官殿に見せる。


 聖官殿の目が見開かれたのが分かった。


「たしか、シエタ卿の妹君が……ここに嫁いでいるのではなかったか?」



 ――



「大切なことはなんだ、か」


 言って、エトナの実に(かじ)り付く。食べ慣れた甘さが、口の中に広がる。


 ……あの時、私に同じことを聞いてくれる者は、誰もいなかった。


 誰かが私に聞いてくれれば、全く違う道を歩めていたのだろうか?


 もう一口エトナの実に齧り付いて、私は自嘲した。


 今さら考えても、意味の無いことだ。


 たしかに、あの時の私は一人だった。けれど……結局の所、選んだのは私だ。


 私が……今の道を選んだのだ。


 全ては私の責任で、他人に転嫁できる物ではない。


 もう後戻りはできない。全ては、とっくの昔に決定してしまった。


 ……けれど。


 扉の外に足音が聞こえた。


 少しして、聖官殿が部屋に入ってくる。


「どうかしたか……聖官殿?」


「陛下に、お願いしたいことがあるのです」


「なんだ、言ってみろ」


 私には、もう後戻りはできない。けれど、聖官殿はまだ選ぶことができる。


「少しの間だけ、陛下の護衛から離れても良いでしょうか?」


 口元が緩むのを私は感じていた。エトナの実に齧り付いて、聖官殿の顔を眺める。


 ――初めて会ったときは、鉄面皮のいけ好かない奴だと思っていた。


「聖官殿が望むなら、好きにすれば良かろう――」


 聖官殿は頭を下げて、私に背中を向けた。


「聖官殿」


 言って、私は籠からエトナの実を掴み取った。


 聖官殿に向けて投げると、背中を向けたままに、聖官殿はエトナの実を受け止めた。


 不思議そうな顔で、振り返ってくる。


「貴重な物だからな、ちゃんと味わって食べるように」


 ――これは、迷惑料だ。


 聖官殿には色々と面倒をかけてしまうから……エトナの実を。


 レイネが一番好きだった、そしてエトナの名前の由来になった果物――これが、私が聖官殿にあげられる最上の物だ。


「頑張れよ」


 思わず、口をついていた。


 口に出してから……自嘲する。


 どの口が言うのだ。全ては私が仕掛けたことだというのに。



 ○○○



 王宮一階北側。


 数えきれないほど、歩いてきた道。閑散とした廊下を、私は歩いていた。


 使用人たちは、一ヶ所に集めて軟禁している。こうしておけば、無闇に殺されることはないだろう。


 近衛たちは、置いてきた。


 逃げろと言ったのに、あいつらはみな阿呆(あほう)だから、最後まで私なんかに付いて来てくれた。


 私を護ると言って、頑として聞かなかった。


 仕方がないから、(かわや)に行って……そこの窓から脱出して、近衛たちを撒いた。


 最後の最後まで、私は駄目な王だな。自分に忠義を誓ってくれている者たちを置いて……個人的な欲求に従ったのだから。


 ――図書館は、こんな時でも静かだった。


 静かな中に、紙をめくる音だけが響いていた。


「……セバスは、最後まで変わらぬな」


 司書机の前には、なぜか椅子が用意されていた。


 そこに腰掛けた私は……司書机の上に置かれている物に気が付いた。


 酒瓶と、グラスが二つ。その酒瓶には見覚えがあった。


「……おい、この酒瓶はなんだ?」


「陛下秘蔵の物ですな」


 セバスが答えた瞬間、微かに嫌な匂いがした。


 ……どうして、こんなしょうもないことで、初めての悪意を向けてくるのだ。


 若干力が抜けながら視線を向けると、セバスは居心地が悪そうに私から目を逸らした。


「……まあ、いい。それで? どうしてここに余の酒が?」


「聖官様と飲み交わそうかと思いましてな。陛下も飲まれますか?」


 セバスの言葉に、一瞬心が揺らいだ。


 だが……エトナの顔が浮かんだ瞬間、答えが決する。


 娘の記憶に残る最後の私の姿が、酒臭い親父だなんて耐えら、れ――ちょっと待て。


 突如、頭の中で浮かんだことがあった。


 私の部屋から勝手に酒を持ってきた。別にそれは構わない。


 けれど……これは初めてなのだろうか?


 無くなった酒は、他にも無かっただろうか?


 私がずっと、飲むのを楽しみにしていた酒。


「……なあ、セバス」


「はい、なんでしょうか?」


「もしや……泣酒も飲んだのか?」


「はい、そうですな」


 躊躇うことも無く、セバスは言いのけた。


 悪意の香りは全くしなかった。


 無言で、セバスと見つめ合う。


「……美味かったか?」


「酒はあまり好みませんが、あれはもう一度飲みたいと思える味でした」


「そうか……なら、よい」


 絞り出すように私が言うと、セバスは机の上の本を閉じた。


「もうすぐ、ですな」


「ああ」


「陛下は今、どのような御気持ちですか?」


 意図が分からず、私はセバスの目を見つめた。


 セバスは酒瓶を手に取った。


 グラスの一つにほんの少しだけ注いで、もう一つのグラスにも、一口に満たない量の泡酒を注ぐ。


「少しだけ、飲みませんか? 陛下とは一度も、共に酒を楽しんだことはありませんから」


 私は、弾ける泡を見つめていた。


「……そうだな」


 呟いて、グラスを握った。


 早速飲もうとした時。


「陛下は今……どのような御気持ちですか?」


 セバスが静かな声で聞いてきた。


 ……今の気持ち、か。


「あの夜を思い出すな。今のように、セバスと二人きり。私がエトナを王城に連れ帰ってきた日……その夜を。

 あの時、結局セバスは、何も答えてくれなかったが……今なら、答えてくれるのか?」


 グラスを傾けると、喉の中で泡が弾ける独特の感覚がした。


 セバスは無言だったが、構わず私は続けた。


「レイネの願いは、エトナを護ることだった。私とレイネの子どもを……それを亡き者にしようとする者たちから護ること。私は、いつものようにセバスに相談をした。

 セバスは言ったな。王宮にいては危険だと。正妃を差し置いて、従妃の子が生まれるのは……シンシア一族の者たちからすれば、我慢ならぬことだ。全ての手段を尽くして、子を亡き者にせんとするだろう。

 せめて、シンシア一族の力が及びにくい場所に、逃げるべきだと」


 あの時はまだ、何の疑問も無くセバスの言葉を聞いていた。


 悪意の匂いなど微塵も無かったから――セバスは私のことを第一に考えていたのだから、悪意の香りなどしようはずもない。


「エトナを護るために……芝居を打つことにした。離宮で出産に臨むことにしたと公には言っておいて、秘密裏に王宮内でレイネは出産をした。

 体力が回復するのを待って……レイネ一人だけが馬車に乗った。馬車に乗って、離宮を目指した」


 セバスは、何も言わずにグラスを傾けていた。静かに、私の話を聞いている。


「セバスの言はこうだった。いかにシンシア一族といえど、存在しない者は殺せない。仮に赤子を亡き者にしようと刺客を放ったとしても、離宮にエトナはいないのだから。

 ……表面上は、完璧だと思っていた。流石はセバス、と思っていた。けれど、私はこの論理の違和感に……途中から気が付いていたのだ」


 酒を飲み干した私は、グラスを司書机に置いた。


「赤子を殺そうとするなら、生まれるまで待つ必要は無い。母親ごと殺してしまえば、赤子も同時に死ぬのだから。

 そして、シンシア一族の者からすれば、母親その物も目障りな存在だった。離宮への馬車の旅……そんな都合の良い状況があれば、どのようなことが起こるか、火を見るよりも明らかだ」


 私は、セバスの澄んだ瞳を覗き込んだ。


「そんなことに……私でも気付けることに、セバスが気付いていなかったとは、思えないのだ。セバス、お前にとって……全ては計画通りだったのではないか?」


 セバスは、自身の手に握っているグラスを見ていた。ゆっくりと手を動かし、コツリと、グラスを机上に置いた。


「……計画通りとは?」


「そのままの意味だ。レイネが殺されること、それもセバスの計画の内だったのではないか?」


 私の言葉に、セバスはゆっくりと目を閉じた。


「レイネ殿下が殺されること、では語弊がありますな」


 開いた瞳で、私を貫く。


「レイネ殿下を殺すこと、それが私の計画でした。陛下も、気付いているのでしょう?」


 淡々としたセバスの声に……私は、自分がずっと考えていたことが、正しかったと理解した。


 覚悟はしていたが……こうして確定してしまうと、ズシリと重かった。


 胃の()の中に、鉛の塊でも溜まっているかのように……吐き気がする。


「陛下のご想像の通り、レイネ殿下の馬車を、シンシア一族の手先が追っていました。

 もしもレイネ殿下の身体を(あらた)められてしまえば、既に出産を終えられていることが、明らかになってしまいます。だから、その前に……部下に命じました」


「……一つ、いいか?」


「はい」


 吐き気に堪えながら、私は言った。


「レイネだけを、秘密裏に助け出すことは、できなかったのか? 死んだことにして――」


「確たる証拠が無い限り、シンシア一族の者たちは、執拗に調査を続けたことでしょう。エトナ殿下を守るためには、あれが最善でした」


「……どうしても、レイネは死なねばならなかったのだな?」


「あの状況では」


 そう言ったセバスの瞳は澄んでいた。いつものように……セバスからは匂いが全くしない。


 ……細く息を吐いてから、私は椅子から立ち上がった。


「ありがとう。これまで、色々と世話になった」


 私の言葉にセバスは……頷いた。


 それだけを確認して、私はセバスに背中を向ける。


 本棚の間を歩いていると、背後から紙を()る音が聞こえた。



 ○○○

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