1.行き倒れひろう前に朝ごはん
「また世界樹の葉が落ちているのね」
私は溜め息をもらした。
どんな傷も病気もたちまちに治すと言われる世界樹の葉。だけど巨大な樹木だけに、普通の人はとても手が届かない。
その世界樹の葉が、今日もまた私の家の前に落ちている。
だけどこの葉は使えない。くすんだ薄茶色に染まって、もう枯れているから。
世界と共に生きていると言われる世界樹は、力をどんどん失っている。
たぶんこのままなら、この世界は終わりを告げるのだろう。
世界では野も花も水も、少しずつ力を失いつつあるらしい。この辺りはまだ平和なのだけど。
「キミがなんとかしないの?」
突然かけられた声に、私は頭上を見上げていた。
屋根の上に黒猫が一人。今の声は彼女のものだろう。
「ルナ、私はただの魔女だよ。そんなことできるわけないじゃない」
かわすように小さな笑みを浮かべる私に、だけどルナは私をどこかもの悲しい目で見つめていた。
それから私の言葉にこんどはルナの方が大きく溜め息をもらす。
「ステラ。キミはただの魔女じゃない。キミには世界を救えるだけの力があるじゃないか」
「私には無理だよ。それより、朝ごはんにしましょう。世界より、毎日ゆっくり生きていく方が大事だもの」
「はぁ。まったくキミって奴は」
「いいのいいの。今日の朝ごはんはトーストと、森で拾った木の実を入れたヨーグルトだよ。でも、ちょっと贅沢かしら」
ヨーグルトは最近は手に入りづらくなってきた。牛乳もすっかり贅沢品だ。
もっとも私は魔女だから、少しくらいなら魔法の力で何とかなるのだけど。
「どうせキミが魔法で出したものだろ。贅沢も何もないよ」
ルナは屋根の上から飛び降りて、私の足下にすり寄っていた。ルナの体温を感じて、ちょっぴりくすぐったい。
今日は天気がいいから、このまま外で食べるのもいいかもしれない。
朝日が私の金色の髪を照らして挨拶している気もする。まぁ、三つ編みにまとめているから大して映えもしないけど。
軽く指先を振ると、テーブルの上に用意していたヨーグルトとトーストが姿を現す。
赤い木の実と、黒い木の実を、ヨーグルトの上にちらしていく。赤い木の実はほんのり甘く、黒い木の実は酸味が強い。二つを合わせると、実にちょうどいい具合に甘酸っぱくなるのだ。
トーストも焼きたて。ふわふわと柔らかいパンから、香ばしい匂いが私の鼻をくすぐっていく。パンの焼けた匂いって、どうしてこう食欲をそそるのだろう。
うん。我ながら美味しそう。お腹が空いて、もう待ちきれない。
「そうね。じゃあごはんにしようか。……あれ、ちょっとまって」
私は家とは反対側。うちに続く道のずっと向こう側に、誰かがいるのに気が付く。
この辺には何もない。街も遠いし、他に人も住んでいない。
まれに世界樹の葉を求めてやってくる旅人がくることもあるけれど、街から世界樹の幹まで行く道とも離れているから、道に迷った相手くらいだ。
外套をまとっているからよくわからないけど、彼。たぶん男の子だと思うけど、その子は何もないこちらへと向かってきている。
遠くまで見通す深い翠色の瞳。魔女の目を持つ私には見えているけれど、向こうからはこちらの家すらまだ見えていないはずだ。この先には私の家以外には何もない。きりたった崖があるだけだ。
「迷子……かな?」
「さぁ、もしかしたら悪い魔女を退治にきたんじゃない?」
私のつぶやきにルナが再び吐息をもらす。
確かにたまにどこからか噂を聞きつけた戦士とかが、悪い魔女を退治しにくることはあった。でもそれにしてはずいぶんと若いと思う。
「そういう風には見えないけど。あ、倒れた」
少年は途中で力尽きたのか、意識を失ったようだ。街から来たのだとしたら、嘆きの森を越えてこなければいけない。魔物も多い嘆きの森を越えるには、少年には少しばかりハードだったとは思う。
「放っておけば? どうせろくなものじゃないよ」
「そうもいかないよ。だって、うちにきたお客様でしょう」
「はぁ。キミは本当に物好きだね。まぁ、好きにするといいさ」
ルナは呆れてもういちど深く息を吐き出す。溜め息のオンパレードだ。
うん。まぁ、そうかもしれない。
でも目の前で倒れた人を放っておくのも忍びない。
「あ、でも。待ちきれないから、先に食べちゃおっと」
「……キミは全く助けにいくんだか、いかないんだか。困った奴だね、全く」
「いいじゃない。気を失っただけみたいだし、今すぐどうこうなりそうにはないもの」
笑いながら私はテーブルについた。
トーストを一口。うん。ちょっぴりだけ甘くて、小麦の香りがたまらない。何もつけていないけど、ふわっふわっの柔らかいパンが私の口の中で溶けるように消えていく。
つづいてヨーグルトを口に運ぶ。ヨーグルトの酸味が最初に口の中に広がった後に、ぷちんと弾けるような木の実の触感が続く。木の実独特の優しい甘みが広がっていく。これは赤い木の実の味だな。甘みは今はかなりの贅沢品だ。なかなか楽しむことができないだけに、幸せが私の中に充填されていく。
かと思うと、すぐに今度はやや強い酸味が続いていた。これは黒い木の実だ。赤い木の実よりも柔らかい触感が舌を刺激して、ヨーグルトと混ざり合えば優しい味わいに変わる。赤い木の実の甘さとも合わさって、口の中で三重奏が広がってくる。
うんうん。美味しい。こういうものが食べられるんだから、平和っていいよね。
続いて用意しておいた紅茶もいただこう。
名の通り紅色のお茶は、みずみずしくて華やかに目を楽しませる。カップから立ち上がる芳醇な香りは、私の鼻腔の奥を通り抜けて、どこか安心できるような気がする。
「じゃあ助けに行きますか」
玄関に立てかけてあったほうきにまたがると、私は彼の元へと飛んでいくことにする。
すぐに少年の元にたどりつく。
私よりかはだいぶん若いように見える。たぶん十二、三歳といったところだろうか。
私がいま十七歳だったかな。まぁ、どうせ魔女の年齢なんてあってないようなものだから、いくつでもいい。
とにかく私よりかは年下の男の子だ。ちょっと可愛らしい顔立ちをしている。
かなりしっかりした靴をはいていたり、旅支度はそれなりにしているものの、やっぱりこの年齢で嘆きの森を越してくるのは無理があったようだ。かなり疲労困憊のようだし、軽くだけれど怪我もしている。
もっとも命には別状はないようだ。怪我も擦り傷、打ち身程度のようだし、私の薬でも何とかなるだろう。
「いま、助けてあげるからね」
聞こえていないだろうけど、私は魔法で彼の身体を浮かび上がらせる。意識がないならほうきの二人乗りは難しい。少年の明るめの茶色い髪が風で揺れていた。
多少力を使ってしまうけれど、まぁ家までくらいなら十分だろう。
「朝ごはん、やっぱりあれだと足りないかな」
目玉焼きか何か追加した方がいいなぁなんて心の中でつぶやく。
ごはんはやっぱり力の源だよね。そのごはんもだいたい魔法で出しているのだけど。
ちらりと彼を横目に見つめる。
こんな辺境まできた彼の目的は何なのだろうか。普通の旅人ならまずくることはない。
悪い魔女を退治しにきたにしては、まだ若すぎるとは思う。
だけどもし、そうなのだとしたら。私は自分で自分を殺す手助けをしているのだろうか。
もしもそうだとしても。それならそれでもいいかもしれない。
どうせ今回の命が終わるだけだ。
もう私には守りたいものなんて、何もないのだから。




