第一話 発端
「カシア・フォン・アッシュフィールド! あなたにはダリル・フォン・ホーエンタールという婚約者がいるでしょう!? どうしてマグナス様のお側から離れないのよ!」
「だって私、ダリルよりもマグナスを好きになってしまったもの」
「……なっ!」
弱小子爵令嬢としてあり得ない台詞を吐きながら、カシアは背中にダラダラ滝のような汗を流していた。
趣味は筋トレ、好きなものは幼馴染の友人たちと鶏のささみ。パーティーに着ていくドレスで悩む時間があれば筋肉を鍛えたい自分が、こんな恋愛小説のイベントのようにマグナスの追っかけ令嬢たちに囲まれる日が来ようとは!
(いいわよ、いいわよ! これで私が二股浮気女としてダリルとの婚約を……!!)
カシアは己の作戦が功を奏しているのを実感し、感激していた。
そう。こうなったのには訳がある。あれは、一週間前のこと——。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「ライラ? ち……ちょっと待って、落ち着いて。い、いいい今、何て?」
カシアは親友の言葉を聞いて激しく動揺していた。彼女が言った言葉の意味が分からなかったのだ。言葉は聞き取れた。言っていることも分かる。でもその意図をどうしても飲み込むことができなかった。
絹のような白金の髪を揺らした幼馴染、ライラ・フォン・ヴァイスブルグ伯爵家令嬢は困ったように小首を傾げてもう一度言った。
「落ち着くのはあなたよ、カシア。もう一度言うからよく聞いて。カシアとダリルの結婚式を見届けたら、私は領地に戻ってそのまま一生を過ごすって言ったの」
「やだよっ! なんで? ライラの家の領地って、国の最北端でしょ? 少し風が吹いただけで寝込むライラが暮らせる場所じゃないよ!! ダリルも何とか言ってよ!」
カシアは無言のままでいる自身の婚約者の肩を掴んで揺らしたが、ダリルは一点を見つめ、カシアに揺らされるがままになっていた。
「ほら、ダリルも反応しなくなったじゃん! それくらい私たちにとってはショックなことなんだよ。ね、ライラ、どうして急にそんなこと言うの?」
「どうして……って……。私、身体が弱いもの。だからどこかの嫡男と結婚したって子どもを産めるかどうか分からないし、こんなんだから未だに婚約者もいない。この状態で王都で住み続けられるほど強くないのよ、私は」
「私が守るよ! ダリルだっている! 私たち小さい頃からずっと一緒だったじゃない。離れるなんて言わないでよ」
ライラは首を横に振った。
「カシアとダリルは結婚するのよ。なのに幼馴染とは言え未婚の私がいつまでもくっついているのは不自然よ」
「そんなことない! それに、婚約者がいないのは、マグナスだって同じじゃない!」
カシアはライラの兄、マグナス・フォン・ヴァイスブルグの名を出してみたが、またしても苦笑を呼ぶだけだった。
「お兄さまは……今はお相手がいなくとも、然るべき時に然るべき方と結婚なさると思うわ。今までだってそうしてご自身の力で解決してきた方だもの」
「それは……そうかもしれないけれど……」
カシアはライラと面差しを同じくする美しく有能で優しい幼馴染の兄を思い浮かべて反論の余地を探したが、これ以上何も言えなかった。
「そんなに悲しまないで、カシア。あなたたちの結婚式は最低でも学院を卒業してからでしょう? あと二年近くあるじゃない。何も今すぐってわけじゃないんだから」
でも……と口ごもるカシアを、ライラは柔らかく抱きしめた。花のような軽やかな香りをまとう友人を抱きしめ返したところで、カシアは自身の目の前に人影が立っていることに気づいた。
「マグナス!」
「相変わらずカシアはライラと仲が良いね。婚約者殿が嫉妬するんじゃない?」
笑顔のマグナスにカシアも笑った。
「仲が良いのは私だけじゃないわ。ダリルだって私に負けず劣らずライラのことが大好きよ。ねぇ?」
「っ!?」
ぎょっと目を剥くダリルは三人掛けのベンチから驚いたように立ちあがる。
「ぼっ、僕はカシアの楽しいところもしっかりしたところも、ひまわりみたいな髪の色も大好きだよ!」
「はいはい。いつも褒めてくれてありがとう。私ばっかりじゃなくて、ライラのこともたまには褒めてよ」
婚約者から贈られる身の丈以上の賛辞は幼い頃からいつものことで、カシアは手をひらひらさせながら受け流す。
「……!」
「……」
途端にダリルは顔を真っ赤にして口ごもってしまい、それをじっと黙ったまま見つめていたライラが困ったように口を開いた。
「こらこら、カシア。ダリルを困らせちゃだめよ。婚約者の前で他の女性を褒めるなんて、ダリルにそんなことできるわけないじゃない」
「こ、困ってるわけじゃ……」
「……」
カシアたち幼馴染三人のやり取りを面白そうに黙って見ていたマグナスは、フッと息を吐いてからライラのカバンを持つ。
「ライラ、伯爵家の馬車が待ってる。放課後のおしゃべりの時間は終わりだ。風も冷たくなってきたから、帰ろう」
「えぇ、お兄さま。また明日。二人とも」
「うん。また、明日ね」
見目麗しすぎる兄妹を、カシアはベンチに座ったまま手を振って見送りながら、隣の幼馴染兼婚約者にだけ聞こえる声で決意を口にした。
「ライラが領地に帰らないで良い方法、私、絶対に見つけてみせるからね」
「そんなこと、できるの?」
「できるできないじゃない。やるのよ」
カシアは右手をぎゅっと固く握った。
「そうだよね。出来る。出来るよきっと……!」
カシアに後押しされたかのように、隣でダリルも何度も頷いている。その様子を見ながらカシアはフッと頬を緩めた。この婚約者は、幼い頃からこうやっては、何度も自分に言い聞かせて気持ちを整えるのだ。
(気弱すぎるってよく陰口叩かれてるけど、これがダリルの良いところなのに)
大事な幼馴染である。婚約者というよりも、カシアにとってダリルとライラはどちらも大事な親友で幼馴染で、何にも代え難い存在であった。
だから、もう一度ダリルの瞳を見つめて言ったのだ。
「ダリルは心配しないで。私が絶対に何とかするからね!」
次回、カシアの暴走。




