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8 十三日前 〜別人疑惑〜

 まず最初に、その男は、物売りの少年から一輪の花を買った。

 釣り銭を断られた少年がひときわ元気よく礼を告げると、男も、ありがとうと穏やかに返した。


 ―――これからデートなのに、花? しかも、ありがとうって言った?


 誰だあれは。ユリエラは首をひねる。


 次に、少し歩いた先で足を止めて、髪の毛やネクタイの位置を直し、服の汚れを払った。

 ひととおり身だしなみを整えた後は、買ったばかりの花に目をやって淡く微笑した。


 ―――ユージンじゃ、ない。


 そうか、そうなのか。

 重ねて見るから駄目なのだ。

 弱い者には厳しく、煩わしいことや面倒が嫌いで、自分の都合しか考えないユージンだと思うから、花さえ慈しむ優しい顔に違和感を覚えるのだ。

 別人と思えば、まあ、微笑ましく映らないこともない。


 ―――あ、いきなり顔が輝いたわ。


 分かりやすい変化に、待ち人が現れたことを知る。


「走らなくていいよ、もし転んだら―――」


 注意を促そうとしたユージンは、そこで血相を変え、地面を蹴った。


「ほらっ! 危なかった。だからいつも、急がなくていいって言ってるだろ?」


 躓いた恋人を危機一髪で抱きとめたのだ。

 それに対するリーベラの声は聞こえない。代わりに、ユージンの苦笑が再び全開の笑顔となる。

 さながら、絵に描いたような恋人同士のひとコマだった。


「そんなこと気にしなくていいんだよ。君を思いながら待つのは楽しいからさ―――うん、これ? 君に似合うと思って買ってきたんだけど、今ので茎が折れちゃって―――いや、それなら新しい花を―――え、本当にこれでいいの?」


 押し問答の末、キザったらしく片膝をついて、幸せの象徴を差し出して。


 ―――あれが、ユージン。


 罪なき花がリーベラの手に渡る様を、ユリエラは固唾を飲んで見守った。




 リーベラの顔は今日も帽子に隠れていて、その状況で本心を探るのは困難である。

 だから、不審な振る舞いだけに限って観察していたのだと、挟んだ野菜がお尻から落ちそうなバゲットを片手にセーラスは言う。


「薄れてはきたけれど、魔術の気配がやっぱり強いんだよね。これだけ残るということは自分に掛けた系かな。でも分からないな、どういう術だったんだろう」


 この国の最高学府で正統な魔術を修めた魔術士がそう言うのだ。問われたところで返す言葉はない。

 渡されたランチを黙々といただくユリエラは、語尾に続く空白に気付いてゆっくりと顔を上げた。

 場所は、先週と同じ公園。

 ユージンたちは、こちらに背を向ける形で噴水前のベンチに座っている。


「―――いいわよ、ちょっと待ってね」


 食べかけのパンはそっと袋に戻した。

 いつになく動作が丁寧なのは、大きすぎる帽子を落ちそうな角度で被っているせいだ。

 顎の下でリボンを結ぶと視界が潰れる。だから、引っかける程度で浅く乗せているわけだが、いくら慎重を心がけても合わない帽子は簡単に落ちた。


「なんか、ごめんね。今度はちゃんと、君のための帽子を贈らせてほしい」

「贈らなくていいから、この帽子を返してきて」

「仰せのとおりに」


 贅沢品に分類される帽子は誂えるのが一般的だ。

 その常識を知らず、しかも時間がないセーラスは、あろうことか、雑貨屋の店頭で小粋感を演出中のディスプレイ品に目を付けた。

 サイズを選ぶ以前に商品ではない。

 困惑する店主を説き伏せ、言い値で支払ってユリエラに被せたところで、遅ればせながら失敗に気付いたというわけである。


「でもね、目的からいえば合格だと思うわ。顔に限らず首から上を全部隠してくれるもの」

「やめて、本当にごめん、穴があったら入りたい。僕は昔からそういうところが―――」


 誰だって間違えることはある―――同じ慰めを繰り返すこと、これで何度目だろうか。


「もういいから黙ってて」


 立ち直りが遅い幼馴染みに構ってはいられない。

 ユリエラは、たったひと言でセーラスを切り捨てた。


 ―――この力を使うのは久しぶりだけど、うん、大丈夫。


 姿勢を正し、呼吸を整える。


 ―――体は忘れていないもの。


 記憶に沿って体内に魔力を巡らせると、覚えのある酩酊感が津波のように押し寄せた。

 それを合図に、冬の公園は、リーベラの後ろ姿だけを残して薄墨に塗りつぶされた。


 ―――行けるわ。


 変化は徐々に訪れる。

 まず、人型に切り取られた白い塊にたくさんの糸筋が蠢いて見えた。

 熱を持った目をさらに凝らすと、その向こう側に手のひら大の丸い模様が浮かんでいるのが見て取れる。

 あれが、陣と呼ばれるものだ。

 中に描かれた術式を読み解けば、リーベラが紡いだ魔術の正体が分かる。

 陣を慎重に手繰り寄せながら、うわ言のようにユリエラは呟いた。


「……煙は、内に籠って渦巻いているわ……陣の模様もまだ残っている……」

 

 ユリエラの目は、今、セーラスが気配として感じる魔術の痕跡を力任せに暴こうとしている。


 魔力はただのエネルギーで、大切なのは使い方―――魔術の正確さや複雑さだというのに、魔術に頼らず見えないモノを見通すユリエラは相当な荒技使いだ。

 爆発した魔力は煙のように漂い、その奥の核となる場所に陣の名残が刻まれている。教師より早くセーラスにそう教えたのもユリエラだった。


「ユリ、やっぱり止めよう」

「待って、あと少し―――」

「もういいから!」


 強い制止に、ユリエラの頭から帽子が落ちた。


「ありがとう、疲れただろう?」

「……発動から二、三時間ってところかしら。煙が濃すぎて陣はほとんど読めなかった。見えた術式も私の知らない形だったし―――なんて、自信満々に言うことじゃないわね、ごめんなさい」


 酷使した目は必ず痛む。

 手渡された帽子を本来の位置に被り直した後、ユリエラは泣き笑いのように目を細めた。

 こうすると少し楽になる。

 本当は目を瞑ってしまいたいのだが、大袈裟にすると余計な心配をかけそうだからこれで我慢だ。


「恐ろしい人ね。特筆すべきは魔力の大きさより魔術の精度よ。陣が複雑すぎて、特徴を伝えようにも到底無理だわ」

「魔力の大小にかかわらず先天的な問題なんだろうね、または性格的な。『目』で敵わないことはよく分かった。潔く諦める」

「……何の話なの?」


 目というからには自分の話だろうか。

 そう問いただすより早く、うやむやにして流されてしまった。


「ありがとうってことだよ。無理をさせたね」

「全く本当に礼には及ばないわ。結局のところ要領を得ないんだもの。今からでも勉強し直そうかしら……」


 ユリエラの魔力は『目』に凝縮されたと言っても過言ではない。

 だが、見えるだけだ。

 視力がどんなに良くても読解できなければ意味がないと、自分が一番理解している。


「君に分からないものは大多数の人間が分からないよ」

「でも、セーラスやメイなら分かったかもしれないでしょ?」

「勉強自体は推奨するけど、『目』はやっぱり使わない方がいい。子供の頃なんて使う度に倒れていたじゃないか」


 そんなのは魔力の制御を覚える前、所構わず『目』を使っていた頃の話だ。『ユリちゃんが死んじゃう!』と泣き喚くセーラス少年までがセットの苦い思い出である。


「馬車酔いみたいな感じはするけど、歩けそうだから大丈夫よ」

「あの二人は当分動かないから休んでいて。僕の膝を使っていいからね」

「あら、面白い冗談ね」


 それを言うなら肩だろう。

 軽く笑ったのを最後に、ユリエラはひっそり目を閉じた。

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