5.柚月さんを駄目にする希望
「きーじまーさーん」
「おー、柚月。はよー」
全力で井戸から這い出てきたような声を出したつもりだったのだが、雉島さんは全く堪えた様子は無く、至って朗らかに笑った。
「金曜日、泊めてくれるっていったのに!」
私は憶えてるんだぞ! 忘れてないんだぞ!
そう主張して、身を乗り出す。
「なあに、食われでもしたの?」
「くわ、わ、くわれてませんよ!」
あんまりにストレートな発言に、今度は身を引っ込めた。なんてことを言うのだろうか、この人は。誰もいないよね、と辺りをきょろきょろ。よし、誰もいない。セーフ。
一連の挙動を見ていた雉島さんは、「安心なさい、私はそんなヘマはしないわ」と胸を張っている。いやいやいやいや、そういう問題ではなくて。
「ごめんごめん。でもあんまりに焦れったかったから。老婆心よ、老婆心」
頬杖をついた雉島さんは、にんまりと笑った。
「ま、正直私が手を出しても出さなくても、そう大して変わらなかったと思うけど。あの人、狙った獲物を逃す程、優しい性格してないし。チャンスをみすみす逃すような甘っちょろさが無いから“鬼課長”なのよ。その辺りは私より余程分かっているでしょう」
そう言われたら、視線を泳がすしかなかった。仕事面でも思い当たる節はいくつかある上に、今回の──その、えーと──恋愛面でも、確かに言われてみれば、あの『朝起きたら自分の部屋じゃありませんでした』事件が無かろうとも押し流されていた可能性は……十分にあるような気がする。
自分に向けられた、あまりに真っ直ぐな眼差しと、唇に触れた柔らかい感触が、急に脳裏に蘇り、顔からボフリと湯気が噴き出した。
──わー、今はコレは要らない!
記憶を吹き飛ばすように、頭を振る。
「柚月だって、キッカケが必要だっただけでしょう」
その隙に、雉島さんの言葉がするりと入り込んでくる。
「一番大事なことは、他の誰でもなく、自分で選んだんでしょう?」
キャン、と鳴き声が響いた。
「……私一人だけだったら、それもできなかったと思いますけど」
助けていこう、見守っていこうという意識でいたはずなのに、いつの間にか助けられている“不思議”を、心地良く受け入れる。彼女が繋いでくれた縁を、彼女と同じくらい、大事にしたいと思う。
絶望を知る彼女が、希望を持って進むのなら、私だって諦める訳にはいかなくて。つい、感情の向くままに行動してしまう。誰かに──かけがえのない相手に、伝えたくなってしまう。
──手を握れば、温もりはまだそこにある気がした。
自然と口元が綻ぶ。
「自分の足で立つパワーを貰ったんです」
独りでいることと、それは同義ではない。傍にいたいと思う人がいるからこそ、腹の底から湧き上がってくるのだ。
根拠も理屈も無いこの“希望”は、私を、“馬鹿”にしていくのかもしれない。
それでもいいと思った。
それが、いいんだ。
どんなに不恰好でも、震える足で立ってやろう。
チャコは尻尾を振りながら、私を呼んでくれるだろう。
鬼頭課長は、眉間の皺を三本に増やして、不甲斐ない私を叱るか、──もしかしたら甘く笑ってくれるかもしれない。
素敵なパワーだ、と笑う雉島さんに、はい、と笑顔で応えた。
至らぬことも多いですが、最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!
(あー、良かった。丸く収まってくれてほんっとうに良かったー)
※けしかけた割に、実は内心でとても焦っていた雉島さん。
例によって、活動報告であとがき纏めます。
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