50.
『千春さん、私は貴方に、罪の告白をしなければいけません』
「……何か、僕に、悪いことでもしたのですか」
どこかの建物の、屋上。階段を上って、ここに出られることを知っている人は少ない。
そこに、愛香と二人きり。健人はいない。僕は愛香に呼び出されてここに来たが、健人は呼ばなかったのだろうか。
『私は、貴方のことを愛していませんのに、勝手にあなたと籍を入れてしまいました。その理由は、あの家が心配だったからです』
「軽井沢の、家、ですか」
僕たちは、屋上に張り巡らされた柵に寄りかかる。彼女は背中から、僕は柵の向こうを向いて。
『はい。以前にお話しした通り、あの家は私の持ち家です。私が亡くなった後、誰も引き取る方がいらっしゃいません』
「お姉さんがいらっしゃるのではないのですか」
『……ごめんなさい、そこも詫びなければいけませんね。姉は六年前に亡くなったんです』
「……え、お亡くなりになっていたんですか」
『嘘をついていてごめんなさい。結婚して、大阪にいたことは間違いないのですが、姉は肺の病気で手術したのです。手術中に何らかの理由で心臓が止まってしまい、姉は亡くなってしまいました。姉の旦那さんは、手術中に何かミスがあったのでは、と訴えて、その時の医者を襲ってケガをさせる事態にもなったのですが、私の姉には生まれつき、免疫の病気があり、大人になってもずっと感染予防のための薬を欠かすことができませんでした。もしかすると、その病気が関係していたのかもしれません。なので、私は姉はあの時、天に召されるべきして召されたと思っています』
「他に親族は」
『いません。親戚とも疎遠ですし、何よりあそこには、大好きなお姉様との思い出が詰まっているのです。姉が亡くなった後、彼女の部屋をアトリエにしていたぐらいですから』
僕はそこでその理由を察した。家の相続だ。そして、毎週末、彼女があの部屋に一晩中いたのは、恐らくは亡くなった姉に思いを馳せるためだったのかもしれない。
「つまり、僕にあの家を託す、ということですか」
『ええ、そうです。もし、私に何かあっても、貴方がいれば、あの家は貴方に引き継がれます。お姉様が生きた証を、私がいなくなった後も、少しでも地上世界に残しておきたいのです。だめでしょうか』
「いや、それはいいことだし、大切なことだと思う……でも、どうやって婚姻届を偽造したんですか」
そんな疑問が、ふと口をついて出てきた。今まで気付いていなかったが、確かにそれはおかしな点の一つであった。
『あの三兄弟に手伝ってもらったんです』
僕はその言葉を聞いて、出てくる三兄弟は一組しかいなかった。
「……まさか、鎌谷?」
『ええ、そうです。姉の手術を行ったのが彼らだと知っていましたし、皆さん、私のところに直接謝罪しにきたんです。私は彼らを許し、もしもの時のために、連絡先を交換しました。その後、昌志さんは彼の母親の病院で働くことになり、千里さんはこの病院に残りました。健人さんはショックから、実家に引き籠もっていたそうなのですが、それも落ち着いたので、私のところで雇うことにしたのです。それが三年前です』
三年前? 僕があの求人募集を見たのは一年前だ、鎌谷健人はそれ以前からいたのか。
「え、ということは、僕よりも先に、彼が働いていたのですか」
『そういうことです。でも、彼、引き籠もっている間に家事はよくやっていたそうなのですが、元々料理は不得意な上に、お姉様の旦那様に襲われた時に、利き手の右手の腱を切られていまして、右手が以前ほど上手く動かなくなったそうで、よくケガをしてしまっていたんです。私も料理は不得手ですし、料理の上手な方、誰か来ないかなと思って、やってきた貴方の料理に納得しまして、貴方を採用したのです』
それで僕は一つ合点がいった点があった。確かに、僕は初めて彼女と会った時、その場で料理を提供して採用となったのだ。料理一つしただけで採用しても大丈夫なのだろうか、と当時は若干思っていたが、なるほど、特に料理の人員が欲しかったのであれば納得できる。




