36.
健人の兄、昌志が病院に到着したのは、午後六時半になるところだった。
あれから、愛香とはほとんど言葉を交わさず、側にいるだけだったが、また明日、と言って、僕がその個室を出る頃には、また少し落ち着いた様子だった。
昌志から到着したと連絡を受け、下に迎えに行こうと思ったが、病院の勝手は覚えていたらしい、集中治療室のすぐ外で待っていたのでいいと言われた。確かに彼は、ほんの数分で僕の目の前に現れた。
「野島さん?」
「えと、昌志さんですか」
「ええ、鎌谷昌志です。野島さん、二度目まして」
「あ、どうも……」
「どうも。斉藤先生は?」
「今は席を外しているみたいです。看護師さんに聞いてみましょうか」
「よろしく。僕は様子を見てくるよ」
昨日は暗くなった中で会い、その顔もよく見えていなかったが、確かに兄弟、髪の色は違うが(健人は染めていると言っていた)、その目元が似ているような気がした。
看護師らのうち、何人かは彼を見て、ひそひそと何か話していたが、その中の一人を捕まえ、事情を伝えると、斉藤医師にすぐに連絡を入れてくれた。
昌志は健人のいるベッドのあるエリアに入ると、勝手にカーテンをぴしゃりと閉めてしまった。僕は特にそれを咎めるようなこともしなかった。少しではあるが、兄弟水入らずの時間も必要だろう。
十分ほどしてから、部屋の奥、患者出入り口とは反対側から、昼間に見た顔が入ってきた。あの医者だ。
「あ、野島さん、お待たせしました」
「遅くまでいらしてもらって、すいません」
「いえ、いいんです。今日、当直ですし。――あの、昌志さんは」
「ここに入っていって、カーテンを閉じたのですが……」
僕が閉じられたカーテンを指すと、はあ、と医者は溜息をついた。
「ブラコンもほどほどにしろと言ったのに……昌志、いるんだろ。君の弟の手術の結果とこれからの見通しについて説明したいのだが」
その口ぶりからして、やはり斎藤医師は兄弟と知り合いで間違いないようだ。
しかし、カーテンの向こう側から返事がない。斉藤先生はずんずんとそこに進んだかと思うと、カーテンを開け、奥に向かって手招きした。するとようやく、昌志が出てきた。
「おにーちゃん、行くなよー」
どうやら健人の意識も戻っているらしい。兄は振り返って一言掛けた。
「すぐ戻るから。――あ、何なら、本人にも聞かせます?」
そして、元・同僚という斉藤医師にそう軽く言った。斉藤さんの顔が険しくなる。
「医者ではない方もいる、パソコンのある部屋で、画像を使って説明したいのだが。本人は今は安静にしておくべきだし、既に簡単に説明してある」
「ふうん……じゃあ、後で僕が個人的に詳しく説明しておくよ。君抜きで」
「越権行為だぞ。彼の手術をしたのは私だ、それに、お前はもうここの病院の医者じゃないだろう」
二人の間に険悪な空気が漂う。あれ、思いの外、仲は良くない、のか?
「えー、本人に画像見せてくれないの?」
突然、背後からカーテンが開く音がした。振り返ると、健人が点滴を付けたまま車椅子に乗り、自力でそれの車輪部分に付いたハンドルを回して出てきていた。
「あ、こら、健人! 君はまだ術後数時間だ、安静にしろと……」
「もう四時間ぐらい経ってるでしょ? オレも医者の端くれだし、心臓は手術した当日からリハビリをした方がいいことぐらい分かってますけど?」
「だが、いきなり起き上がって車椅子に乗っていいとは言っていない!」
「乗っただけじゃん。ほら、お兄ちゃんが押してくれるんだし、説明が終わったらちゃんとベッドに戻りますけど?」
いつの間にか、その車椅子の後ろに、昌志が移動していた。何なんだ、この兄弟は。
「……仕方あるまい」
斉藤医師は結局、二人に頭が上がらないような感じで、彼らを許してしまった。また、部屋にいた看護師らがひそひそ話を始めるのを横目に、僕たちはデスクトップ・パソコンのある部屋に通された。




