21.
愛香が大阪に行ってから、二週間が経った。あのカレー屋の主人も彼女の展覧会を見に行ったらしい、その間に一度、そのカレー屋を訪ねると、「臨時休業」の張り紙がなされていた。
予定通りであれば、彼女が帰宅する日。彼女とは二日に一度程度、僕たちや愛猫の体調を心配するようなメッセージが来たので、その度に僕たちはそれに返事を返してきた。だが、彼女のアトリエの謎については、直接聞くことはためらわれ、またあれから何の進展もなかった。
二週間の間、僕の部屋に置いていた、本来は彼女のアトリエに置いてあったサボテンを元の位置に戻した頃、僕と彼女と鎌谷のチャットに、彼女からメッセージが入った。
『高速道路が渋滞しているので、帰るのが遅くなるかもしれません。六時になっても帰ってきていなかったら、先に夕食をお召し上がりになってくださって構いません。』
時刻は午後二時。今日は日曜日だ、しかも秋の行楽シーズンでもある、確かに道路が混んでいても不思議ではない。
今日は個展が無事終了したことを祝って、意外にも肉が大好きな彼女のために、ステーキを作ることにしていた。やはりステーキは焼きたてが一番美味しいので、時間になったら、僕と鎌谷の分を先に焼き、彼女の分は、彼女が帰ってきてから焼くことにした。
「遅いねー」
「やっぱりあれだけ混んでたらね……」
午後八時になっても、彼女はまだ帰ってこなかった。肉の一部を分け与えられた猫は、キャットタワーの上でぐーたらとし、ステーキを食べ終わった僕たちは、彼女の帰りを待って、お風呂にも入らずに、赤ワインを飲みながら大河ドラマを見ていた。
夜七時のニュースでは、紅葉の名所が賑わう様子や、高速道路が渋滞しているという内容が流れていた。彼女もそれに巻き込まれているのだろう。運転中なら、携帯電話を触るのも危険だ、どこにいる、などという連絡もしないでおいた。
だが、大河ドラマが終わっても、まだ帰ってくる気配がしない。あまり遅くに重いものを食べると、身体に差し障りが出るかもしれない。そんな僕の配慮もあって、僕は彼女にはステーキを後日食べさせることにして、夜遅い食事でも身体に負担の少ないリゾットを作ることにした。
そう考え、炊飯器を開け、ちょうどそこに残っていた一人分の白ごはんを、ピンク色のしゃもじで出そうとした、その時。
「水戸ちゃーん、電話!」
「あ、はいはい」
風呂に入ろうと、離れの自室から着替えを持ってきた鎌谷が呼ぶ。僕はしゃもじを炊飯器に入れたまま、その蓋を閉じ、ダイニングのテーブルの上に置いていて、震えていた携帯電話をとった。
だが、表示されているのは見知らぬ電話番号で、愛香からではなかった。番号は「〇六」で始まっている、つまりこの電話の発信地は大阪だ。やや不審に思いながらも、僕は電話に出た。どうしてか、悪い予感がした。
「もしもし、水戸です」
背後から救急車の音が聞こえる。この声に聞き覚えはない。
『え、ミトさん、ですか』
「ええ、水戸千春ですが……」
『あの、野島愛香さんの夫の、野島千春さんではないんですか』
おい、ちょっと、ちょっと待て。そんな事実は存在しないのだが。電話の相手は何を言っているのだろうか。
「……あの、私、彼女の家の手伝いの者であって、彼女も私も結婚していないんですが」
『え、そうなんですか……。あ、申し遅れました、私、救急隊員のナカムラと申しますが、野島愛香さんが車の中で気を失っておりまして、車の窓を叩いても反応しないので、緊急性が高いと判断いたしまして、現在救急搬送をさせてもらっているのですが……えと、ということは、あなたは野島さんの親族ではない、ということですか』
本当に、この男は何を言っているのだろうか。愛香の意識がない? 僕が彼女の夫? 頭が回らない。僕の様子を不審に思ったのか、着替えを持ったまま、鎌谷がこちらを見ている。僕は空いていた右手を上下に振って、彼を呼んだ。
「どしたの」
「訳が分からない電話だ」
僕は鎌谷にも通話が聞こえるよう、スピーカーモードをオンにした。




